〘四十七番星〙愁傷




「私のランクで受けられる中で一番難しい依頼……」


凛はレギオンの掲示板を必死に漁っていた。



ノイドとの約束は「試験の結果が出るまでレギオンの宿泊施設を無償で利用できる」こと。


もう甘えていられない。



脚が、呼吸が震える。

凛は鼻をすすった。


横を見ても、後ろを見ても、誰もいない。



思考の奥深く、「凛は一人じゃないよ」「何があっても味方だからね」という、よく聞き知った声が聞こえる。



しかし凛には分からなかった。その声の主が誰なのかを。






――――凛は叶都に出会う以前の記憶を失っている。





それすなわち、頼れる人がいないということだ。


ずっと支えてくれていた名奈は、迷宮での一件以来一度も会っていない。


彼女の矢が刺さってしまったことについては誤射であるともちろん理解しているが、大抵の痛みの元凶であった黒髪の女性と、名奈が重なって見えてしまったのだ。


ほんの一瞬だった。





思い出した――流れ出した感情があまりにも悍ましくて、もう二度と感じたくなくて、とっさに名奈から離れてしまったのだ。




理由の分からない痛みほど苦しいものはないだろう。




「今さら戻るなんてこと……できない」



今度こそ、本当にひとりだ。



「お金が貯まったら、どこか遠い場所へ行こう」




あの雪原から一番遠い国を目指そうか。


南の――砂漠?それとも海?

どちらがいいのかは愚か、両者がどんなものなのかすら、凛には分からない。


そもそも国外へ出ることはできるのだろうか。




――――もはや旅先すら無いのかもしれない。





そう思い至ってしまうと、一気に体から力が抜けていくのを感じた。



「もう……いいかな」


――――ぜんぶ終わりにしても。



プティ・エトワール小さなお星さま、」


続きのその言葉は、背後からの声により遮られた。



凛は驚いて振り返る。




後ろで束ねられた、目を刺すような、それでいてどこか落ち着きも感じさせる深紅の長髪。

柔らかく独特な口調、大柄な体と洒落た現代的なファッション。


「ル、ルカさん!?」



スターゲイザーの夫婦の家で出会った、あの女口調の男性だ。

あまりにも第一印象が強烈すぎたため凛は彼のことをよく覚えていた。


驚いた凛が反射的に彼の名を口にすると、「ルカちゃんって呼んでって言ったでしょ」とウィンクして見せる。



まさかもう一度彼と会うなんて思ってもみなかったので、凛はあ然として口をぱくぱく開閉させた。


「え、あ…何ですか、ぷて…えと……??」


「プティ・エトワール――小さな星。アナタのことに決まってるじゃない!」


彼の言っている意味がよく分からず、はあ、と当惑する凛。




「そうそう、EMAの入学試験見させてもらったわよ! 危機察知能力と言い器用さと言い、冷静で素晴らしい戦いぶりだったわ~!」


観戦席遠いし二次試験はカメラ越しだしもっと近くで見たかった、と残念がる。



そんなルカの様子に、凛は困ったように笑った。


「ありがとうございます。――不合格…でしたけど」



少女のその表情が、ルカには心なしか自虐的に見えた。





凛ははっとする。

雰囲気を重くしてしまったと思い、なぜレギオンにいるのか、とルカへ尋ねた。



「それはもちろんアナタに会いに来たのよ、エトワール」






「――――えぇっと……?」



その言葉を脳内で反芻するが、意味を理解できなかった凛は首をかしげた。




「クリプト・マジェスティ・アカデミーへの合格通知を届けに、ね」


魔術によりふっと現れた封筒を手渡す。


凛は目をまん丸にして、何も分からないまま、ひとまずそれを受け取ることにした。



「えぇっと、クリプト?」


「そうよ、略してCMAクマとも呼ばれるわね。可愛い響きでしょう!」


「熊…?」



「……ここも広々としていて素敵だけれど、場所を変えましょうか」




そうしてルカはカウンターの方へ、「クロちゃ~ん、少しアナタの部屋に居させてくれないかしらッ!」と叫んだ。



「構いませんよ、どうぞ」


返事をしたのはまさかのノイドで、凛はそこ知り合いなんだ、と本日何度目かの吃驚をあらわにした。








「それじゃ、少し時間をもらうわね」


レギオン会館のカウンター奥――つまりはノイドの作業スペースにて話は始まった。





「まずはこの学校についてよね」



――――クリプト・マジェスティ・アカデミー、通称CMA。



それはエピック・マジェスティ・アカデミーの系列校である。



EMAは未来を担う魔導師を育成する機関として魔界を代表しているが、だからこそ、存在が公になるべきでない者の入学は非常に難しい。


例えばそう、国一つ滅ぼせるほどの力を持っているがそれを制御できない者、世界に畏怖される種族の末裔などなど。



しかし彼らは教えを受ける必要があるのだ。

本来は滅びをもたらす力かもしれないが、彼らを教え導くことで、その力を正しい方向へ使ってもらえたら。



そう、彼らには可能性があるのだ。




「界王女様のご意向により設立された学校なのよ!」


ルカは優しく微笑む。




強大な力を、正しく使える方へ導く――。



冬の眷属だなんて言われはしたけど、そんな力持っていないのにな、と凛は思う。

しかしもはやそんなことはどうだって良かった。


なんだって良かったのだ。




「とは言うけど、アタシったらただの怪しい勧誘オネエよね!分かってるわ!!ってわけで、EMAヴェニュスキャンパス長からの伝言を――――」


「入学させてください」



「えぇっ?あらやだ、光のような決断の速さ…ステキ! じゃなくて!これじゃあキャンパス長が可哀そうだから、見るだけ見てあげてちょうだい」



ポケットから取り出されたSLIM端末に映る男性の姿。

ルカが再生ボタンをタップすると、その影は動き出した。





『やっほ~、えーっと……名前忘れちゃった!まあいいや元気かな~? 僕も忙しいから大事なことだけ言いま~す』


相変わらず掴みどころのない男である。



『EMAはカードの表、CMAはその裏。面こそ違えど、実際は同じ一枚だ』


つまり実質EMA合格だねおめでとう!!と言いながら(棒読みであることはさておき)両手をぱちぱち叩いた。



そして何を思ったのか、突然力が抜けて、腕が滑り落ちる。


しばらく間があってから彼は再び口を開いた。



『ま、僕は信じているということだよ』


――――君がその力を正しいことに使うってね。






動画はそこでプツリと終わっていた。







凛は考える。

自分に力がないからこんなことになってしまったのに、と。

故にそれの使い方などと言われても困る。そもそも無い力なのだから。


今日に至るまでずっと、自分の無力さを呪ってきた。

失われた記憶とこびりついたままの得体の知れない感情、失望、別れ、弱さ。



しかしだからこそ、強くなりたいと願っているのだ。

とうに覚悟はできている。




「私、何が正しいとか分かりません。いつだって勝者が正しさになると思って生きてきました」



――――でも多分、そういうわけじゃないんですよね?


凛はさみしげな瞳をルカへ向けた。



「だから、そこから教えてくださいね」






☆   ☆   ☆







 CMAはその性質上、EMAと違って世界中に分校があるわけではない。


界王が住まい統べる、魔界で最も重要視される国・マジェスティの辺境にひとつあるのみらしい。



ワープポイントがあるとはいえ、当国との間には海が広がっているため、凛はCMAの寮で生活することになるだろう。


よって、ヴェニュスに行けるのもホリデーのみになる。





ならば、名奈やポットにその旨や感謝と別れを伝えなければならない。



優しい彼らに頼りきりで甘えることしかできない自分がどうしようもなく嫌だった。

凛はこの日を待っていた――はずだったのだが、どうにも、言語化し難い感情が胸の奥で渦巻いている。






彼らになんと言えばいいだろうか?

何を言ったとしても、きっと快く送り出してくれるのだろうと凛は思う。


でもなんだか、少し、変な気持ちがしていた。




凛は考える。


名奈は優しい人だ。

自分は彼女が救ってきた大勢の中のひとつに過ぎないのだろう。

だからあの家から去ったら、もう他人かもしれない。


もう、二度と会うことはないのかもしれない。





それが心に浮かんでしまうと、ぎゅっと掴まれたように心臓が痛んだ。


この感情のことはよく知っていた。

ただ、名前は知らなかった。



(もし最初から知ってたら、別の結果になってたのかな)










 あれこれ思案していれば、あっという間にマゼランの家に着いてしまった。



迷って、躊躇って、ついになんとかドアをノックする。



中から足音が聞こえてから、ガチャリと戸が開いた。


「り、凛さん!?」



隙間からのぞいたのはポットの慌てた顔だった。











「そうですか!凛さんが行きたいと思える場所が見つかったようで良かったです」


リビングのテーブル、手元に置かれたアイスコーヒーを嚥下してから、ポットは心底嬉しそうな表情を浮かべる。



凛は少し申し訳なさを感じた。


「たくさん助けてもらったのに、何も返せなくて……」


謝罪の言葉を口にしようとしたが、ポットは首を横に振る。



「そんなことを言えば、僕だって名奈さんに何も返せてませんから」


「……え?」




話していませんでしたっけ、とポットは続けた。









 ポットあるいはスポットもとい、ラファエルは冴えない学生だった。

気が弱く、特別明るいわけでもない。


故にチャラチャラした不真面目な輩に目を付けられてしまい、嫌がらせを受けることも少なくなかったのだ。



そして試験当日、事件は起こった。

会場へ向かうラファエルを見かけた彼らは、面白半分で犬の姿になる魔術をかけたのだ。


当時のラファエルの気持ちは、言うまでもなく絶望だ。

魔癒師になることは幼いころからの夢、二人暮らしの病弱な祖母――それらを掬いあげる唯一のチャンスだったのに。



心と共鳴するかのように空が泣き出す。

いつもよりずっと小さくて柔らかい体がじっとりと濡れる。



――――ラファエルはその日、初めて何かを諦めたのだ。




「野良犬かな、びしょ濡れだけど大丈夫?」


鈴を転がしたような、耳に心地よい声。

見上げれば、そこには精霊と見紛うほどに可憐な少女が立っていた。



「首輪はないみたいだね。お名前はあるのかな」


少女は、野良はいろんな人がそれぞれ違う名前で呼んでることもあるんだっけ、などと言いながら思案している。


しばらく考え悩んだ結果、「よし決めた!犬といえばやっぱりスポットだよね!」と、かなり雑に命名された。





道端にあるベンチに座る。

彼女はラファエルの背中を撫でながら様々なことを語った。



窮屈な家から飛び出して来てしまったこと、「自分のことを深く知った人はみな離れて行ってしまう」とも。





数分後、少女は突然撫でる手を止める。


「あなたもしかして……人なの?」



ラファエルは心底驚いた。

この手の変身魔術は気配さえも変えてしまうというのに、彼女はそれをたった数分で見破ったのだ。



ラファエルは必死に吠える。


「あはは。そっかそっか、誰かにいじわるされちゃったとか…そんなところかな?」


少女は立ち上がり、ラファエルを優しくベンチにおろす。


「私に任せて」



ここまで来て何だが、ラファエルはあまり期待していなかった。

時間制限で解ける魔術は、リミットが仕掛けられている分手動での解除がしにくい。


こんな十三歳かそこらの少女が出来るはず――――




「ほら、もどったよ」



いつの間にか、視線がいつもの高さに戻っていた。



分厚い雲から太陽が顔を出して、大地に光が差す。

目を細めて微笑むその少女は、ラファエルにとっての救世主だった。









「僕がこうして魔癒師をしているのは名奈さんのおかげです。この恩は返そうにも返しきれない」


微笑みを崩さないまま、マドラーでコーヒーをかき混ぜる。

凛は続きの言葉を待つ。



「でも、僕は――――」



「ただいま~…」



ガチャリとドアが開く音、柔らかい声。


凛は驚いて、がたりと立ち上がった。





「ポット、さっきソテイラーの――って、凛ちゃん……?」


持っていた、おそらく食材が入っている袋をぼとりと落とす。



「どう、どうして……そうだ、怪我は?私の毒が、病院、気づいたらいなくなってた」




「何も言わずに飛び出しちゃって…ごめんなさい。半年も、連絡も何もしなくて。体は――もう大丈夫だよ」


名奈へ用意していた言葉も忘れて、凛は狼狽えながらも一つ一つ話す。



後遺症も何も残らず完治したことを知った名奈は安堵して、床にへたり込んだ。




「私、行く場所を見つけたから、今日はね、その……お別れを言いに来たの」


声は震えていた。



「これからはマジェスティに住む予定で――――」


「待って」



「……え?」



良かったね、と、そう言われると思っていた。

凛は予想外の言葉に固まる。



名奈の若草色の瞳が据わっているように見えて、一歩後ずさる。




「なんで?」


「なんっ、なんでって――」



「やっと……やっと凛ちゃんのこと見つけたのに」






――――見つけた? 私を?


彼女の言葉の意味を理解できずに、凛はただ立ち尽くす。




「私を救ってくれたあの人にもう一度会いたいだけなの、それだけのためにここまで来た」



――――どうしておぼえてないの?



無垢で切実な願いだった。

名奈のそれが、凛には深く突き刺さる。




潤んで湛えた瞳から零れ落ちた涙が、じゅわりと床を溶かした。




アキラ――凛ちゃんのお母さんの名前だよ」





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