〖五十四番星〗明けの明星/Lucifer



 神秘と神託の国、エリシア。

それはヴェニュスの南東に位置する国である。



大きさで言えばヴェニュスの五分の一ほどもないが、その色濃い文化と信仰心により栄えている。


この大陸とマジェスティの間にある海に面していて、白い街並みと海の青のコントラストが美しい。






 街並みはスポットの家周辺と変わらないように見えるが、雰囲気は全く異なるものだった。

白い石で作られた四角い建造物、錆びることを知らずに煌めく黄金の装飾。



手にした地図と景色を見比べながら精一杯歩く凛には、エリシアは童話の世界のように思えた。





「そこの可愛らしいお嬢さん。銀髪の……そう、貴女のことよ」


鈴の声音が凛を呼び止める。



振り返った先には、細かい装飾が施された薄いローブを着た女性が立っていた。



「突然ごめんなさい。不躾なお願いだけれど……貴女を占わせてもらえないかしら?」


これは私の好奇心だから、もちろんお代は結構よ、と女性は微笑む。



「そうね……お礼に、と言ってはなんだけれど、貴女に道を教えてあげるわ。迷っているのでしょう?」


目の前に立っている女性は深くフードを被っているため顔は見えないのだが、確かにその霊妙な雰囲気には占い師らしさがあった。



「……どうぞ」


凛が困惑しながらも頷くと、占い師はすぐに腕輪を取りだし、凛の両手をぎゅっと握り込む。




占い終わると、女性はほうと息をついた。




「ああ、貴女に出会えたのは本当に幸運だわ。この邂逅に、ラプラス様へ感謝を」



言葉の意味が何一つ分からずに戸惑う凛に、彼女は「貴女ほど神から視線を注がれている人はそういないわ」と言い添える。



「結末を知ってしまうのは、きっとつまらないわね。そうね……なら、少し先の未来を教えてあげましょう」


占い師は凛の両手を握ったまま顔を上げる。



「貴女は東を向いている……正面に煌めくは明けの明星。貴女は迷っているのね、自分にはそれを掴む資格があるのか。でも大丈夫よ。少し先、待ちに待った出会いが訪れるでしょう」


凛は言葉を失った。

影から覗いた彼女のアメジストの瞳は、凛を捉えて離さない。



「その邂逅に身を委ねてごらんなさい。きっと、貴女の望む未来が待っているわ」








 やっとの思いで地図に記された建物にたどり着く。

占い師が目的地の方向を示してくれたおかげで、予定に遅れることなくここまで来ることができた。




凛は自分を落ち着かせるため深く息を吸う。潮の香りが胸に広がる。

そして、意を決してその白いドアをノックした。




「ようこそ、ダフネたちの魔法師事務所へ~っ!」



ドアノブに手をかけたその瞬間。

扉は開け放たれ、中からクラッカーのリボンと共に少女が飛び出してきた。




耳の横の髪だけが少し長い、淡い桃色のショートカット。

花弁を想起させる柔らかな色とデザインのワンピースを身に纏っている。


そして彼女の背には、光加減によっては虹色にも見える、透き通った美しい羽が生えていた。





「あなたは――」



「こらこらダフネ。彼女、驚いて老木のように固まってしまっているよ」


――いたずらもそこそこにね。

ダフネと呼ばれた少女の後ろから、足音と共に男性の声が聞こえてくる。



すらりと縦に伸びたしなやかな体躯、ハーフアップにされたうなじまで伸びた金髪。

姿を現したは気のよさそうな、洒落た青年だった。


ミドルネックのトップスと茶色のチェスターコートが良く似合っている。





 しばしぽかんと二人のことを見つめていた凛はすぐに我に返って、自分のことを話し始める。



「えぇっと、私。ルカ・ゲランさんからの紹介で来ました、凛と言います。今日からここで――」


「ああ。ダフネ、この子が今日からうちで働いてくれる子だね」



「うん、ダフネの孫弟子ちゃんだよ!」




星を再び灯すことを目的とする凛に、ルカが魔法師の事務所を紹介してくれたのだ。




 魔界を代表する魔導師組織・ヘカテー魔導師団。

魔術師にその名を知らない者はいないだろう。


そしてその中でも、世界に各属性に一人ずつしか存在しない、「魔法師」。



ここは魔法師のうちの二人が営む事務所だ。




「それじゃあ、知ってるとは思うけど改めて自己紹介するねっ!」


少女と青年は横に並び、凛へ視線を向けた。



「あたしは華属性魔法師、ダフネ・オドラ! 気軽に『ダフネちゃん』って呼んでね!」


「木魔法師、エルだ。君の優秀さはよく分かっているよ、これからよろしく頼む」



二人ともフレンドリーで優しそうで、凛は安心した。




「それで……ダフネさん」


「ダフネちゃんって呼んでよ!」



「ダフネ……ちゃん。私が孫弟子って、一体どういうことなんですか?」



まさかとは思うが――。

凛は前にもこんなようなことがあったな、とぼんやり思った。



「あれっ、聞いてないんだね。ルカちゃんはダフネの可愛い弟子だよ!」


「ああ……」



自分と同じ歳くらいに見える少女が、まさかルカ先生の師匠だとは。

と一瞬思うが、背に生えた美麗な羽と僅かに尖った耳を見るに、彼女は恐らく長命種なのだろうと納得する。


それに理解が及ばないほどに明るい性格は確かにルカとよく似ている。



「私なんかがお二人のような魔導師のもとで働けるとは……直接会うまで実感がなかったのですが、そういうことだったのですね」


「うんうん、おばあちゃんが孫のお世話をするのは当然でしょっ!」


長命種とは言え、その見た目でおばあちゃんなどと言われると変な感じだなあ、と凛は心の中でつぶやいた。




「ちなみに、そういった身内贔屓で君を選んだ訳ではない事も理解してくれ」


「……そうなのですか?」


心底予想外だという顔をする凛にエルは笑って、建物の中を案内を始めた。






「ここが僕たちの休憩室だ。リビングとも言うね」


白い内壁に若々しい緑色をした蔦の装飾が伸びている。

ダークブラウンのソファには白とミントグリーンのクッションが置かれていた。



「棚にあるお菓子、好きに食べていいからね~」








 居住エリアを一通り見て回ってから、ゲストも利用するスペースへ向かう。


早速お願いしたい仕事があったんだった、と思い出したダフネは、凛の手を引いて駆けだした。


「見て見てっ! ここ、応接室なんだけどね、酷い有様でしょ!」



無造作に散らばった魔導書、使ったまま消されていない魔方陣――そこには応接室という言葉の定義を問いたくなる光景が広がっている。



「初仕事はここの掃除、ということですね……」


半日はかかりそうな大仕事だなと腹をくくって、凛は腕まくりをした。






☆   ☆   ☆






 初めてエリシアを訪ねてから数週間。

凛はうっそりとベランダからの景色を眺めている。



白色の街並みと風にそよぐ洗濯物が、陽光を浴びて眩しく輝いていた。

海の深い深い青色はどこまでも広がっていて、水平線は溶け合っている。


まるで神々が空というキャンバスに直接描き込んだような、鮮やかなコントラスト。


海からの風が顔に触れると、塩気を帯びた潮の香りが鼻腔を満たす。




心地よさに身を委ねて目をつむれば、そのまま眠気が意識をさらっていく。






 白昼夢を見るように、いつかかの少年が見せてくれた星を思い出す。



地上で煌々と輝く星々。人々の生活の灯。


凛にはそれらを守るだなんて大層な目標はないが、その尊さはこの数年でよく理解した。



窓から零れるあの光一つ一つに物語があって、そしてそれは決して同じものがないこと。

にも関わらず、人々は互いを尊重し合い、共存していること。




『迷っているのね、自分にはそれを掴む資格があるのか。でも大丈夫よ。少し先、待ちに待った出会いが訪れるでしょう』


ふと脳裏に浮かんだ、占い師の言葉を反芻する。



「待ちに待った邂逅……ね。どうだろう、あの人の言う神様は、私に『待つ』っていう余裕すらくれなかったけど」



 偶然か必然か、一瞬交わった運命。

少し前の凛はその刹那に脳を酷く焼かれて、焦がれた。


しかし今では、当時の胸を締め付けられるようなあの感情も、迷いだって、過去の思い出だ。



「いいの。もう答えは出たから」


凛は再び目を瞑り、風の香りをめいっぱい感じる。

そして、微かに頬を緩めた。




『その邂逅に身を委ねてごらんなさい。きっと、貴女の望む未来が待っているわ』













 とうとう凛が舟を漕ぎだした頃、遠方で突如として爆発音が轟いた。


「なっ、なに……!?」


釣り針に掛かった魚のように意識は引き上げられ、勢いよく身を起こす。




一番魔力が濃い方向へ視線を向けると、懐かしさも感じる電流のような刺激が、凛の体の芯に迸る。


「この感覚……」






「おい、君! エルんとこの魔術師だろう、二人はどうした!!」


下から男性の声が聞こえて、凛は慌ててベランダから身を乗り出し、視線を向ける。

彼はひどく焦った表情で、道から凛を見上げていた。



「エルさんとダフネちゃんなら、今日はヘカテーの集会があるとマジェスティへ……あれは一体、何が――」


「分からない、あそこら辺は廃れた海道だからな。被害もそう多くはないだろうが、ただ……」



事態の深刻さを悟った凛は眉をひそめる。


「ただ、何ですか?」




「――悪魔だ。悪魔の血族の匂いがする」




 凛も一度耳にしたことがあった。

悪魔という蔑称は、魔人の中でも最も魔物に近い種族――すなわち魔族を指すものだと。



エリシアは深く神を信仰する文化であるため、魔族への偏見も他と比べて多いのだろう。


「冬の血族」と疎まれることも多かった凛は、そう言った差別をとてもじゃないが快いとは思えなかった。





「おい、嬢ちゃん!?」



男性の声も聞かぬまま凛は柵を乗り越え、空中に身を放り出した。


そしてすぐに宙に氷で足場を作り出し、そのまま駆けだす。




空を走る少女を目にした人々は皆揃って、口をあんぐり開けて凛を見上げている。

しかし、そんな刺さるような視線すら今の凛にとってはどうでもよかった。





通常なら気配を感じ取れる距離よりずっと離れているはずなのに、第六感が叫んでいる。

ふたりは、未だに契約と言う濃い糸で結ばれたままだ。







 東の海岸を目指し疾駆する。


肺が酸素が足りないと叫んでいるが、凛は体の警告を無視して走り続けた。





 出会いも、別れも。

人との旅路が交わるのはいつだってたったの数瞬だから。


そしてそれはいつだって唐突だ。




流星は瞬く間に過ぎ去ってしまうもの。

――――同じ星に願うチャンスはきっともう二度とない。




 凛はこの四年の旅路で、ずっと考えていた。

流れ星に何を願うべきなのかを。




その答えはもう胸の中にある。


だからどうか、今はただ――――




「――――叶都!!」


今はただ、もう一度出会って、伝えたい。












 よく知った、泣きそうになるほど懐かしいその気配と、別のもう一つ。

再会に第三者はいらない。



覚えのない、そして害意に満ちたその体躯を、無心の氷柱の雨が切り裂いた。


「――邪魔」



凛の無彩色の瞳に見知らぬ少年の顔が映る。

まるで血液のように赤黒い髪、夜を煮詰めたような黒い眼。



彼の頬に付着した赤は確かに叶都のものだとすぐに分かって、凛は顔をしかめる。




命を奪わない程度に無力化しようと、凛はもう一度その少年へ魔杖ワンドを向けた瞬間、彼は口角をつり上げる。


凛がそれに動揺したために生まれてしまった一瞬の隙の間に、その体は霧散してしまった。




「にげ、られた」


海辺は打って変わって静謐に包まれる。

まるで最初からここには二人だけしかいなかったかのように。




 しばらく凛は乱れた呼吸のまま、黒い目をした少年がいた場所を、虚空を見つめている。


そして、白い砂浜が赤く染まっている箇所があることに、そして背後から微かに聞こえる苦しそうな息遣いに、凛は気が付いた。





 凛は躊躇うことなく振り向く。

赤黒く染まった砂を踏みしめて、そしてもう一度彼の名を呼んで。




「……叶都」


さらりとした黒い髪、細くも力強い体、僅かに尖った耳、そしていつだって心の内を見透かしてしまう琥珀。


それらが再び、凛の瞳に映りこむ。




叶都は、まるで陽光を直接見たかのような眩しそうな目で、凛を見上げていた。






 凛がいくら琥珀色の目を見つめても、彼から自分の名が発せられることはない。

その代わりに一筋の血が、彼の口元を伝った。




今まで散々弱いと思ってきた相手に助けられてしまったことへの驚きか、はたまた別の感情なのか。


凛は叶都の心情を探ろうとしたが、どうやったって難しかった。




しかし少女の心は、未だかつてないほどに凪いでいる。




「ねえ、叶都」

「……なんで?」


凛の言葉を遮るように言う。


「俺、壊したはずだよね」



たったひとこと。

それだけで、凛は叶都という人を少し理解した気がした。



「そうだね」


そして、感動的な再会なのに開口一番がそれなのか、とおかしく思えて、くすりと笑う。



だったら何故。

そう問いたげな瞳に視線を合わせるべく、凛はしゃがみこんだ。



「答えを持ってきたよ。『俺の道に凛は必要ない』って言葉への」



叶都が酷い重傷を負っていることにも気が付いていたが、まるで気にせずに話す。




 彼にとってあの判断は、味のしなくなったガムを捨てるような、当たり前のことだった。



「あのね、叶都。きっと……目指す場所が違っても、旅路はともに歩けるものだよ」



しかし凛からすれば、叶都が自分に価値を見出せないだなんて、そんなことはどうだっていい。


どうでもよくなったのだ。




「私は向こう側に置いて来ちゃったを取り戻す。星を見るんだよ。それで……その旅路を、だいすきな人と歩きたいの」



――――これが私のこたえ。



「もう一度言うよ。ううん、一度じゃ足りないなら、届くまで何度だって言うよ」


凛は叶都の手を拾い上げるようにそっと握った。




「――――わたし、叶都と旅がしたい」





決して揺らぐことのない意志が籠った瞳が、琥珀だけをじっと見つめている。





 叶都はその冷たい手つついたりなぞったり、自分の手と絡めたりしてみる。


そしてどんな考えに思い至ったのかは分からないが、突然吹き出して笑いだした。



叶都が笑い声をあげながら砂浜に寝転がると、絡んだままの手に引かれて凛もその上に倒れ込んだ。




「な、なに……なんで笑ってるの、怖いんだけど……」


彼は当惑に満ちた表情を浮かべる凛を心底面白そうに見つめながら、凛の手をなぞったりつついたりして遊ぶ。



「いーや? 俺、お前のこと舐めてたなって、それだけ」


「そう、だね……?」



面白いと思った玩具を遊びつくしたのなら最後にはそれを壊しておしまい、そういう生き方をしてきた。


しかしまさか、壊したはずのものが自分からもう一度現れただなんて、こんな面白いことは叶都にとって初めてのことだった。




「あ゙ー……日光痛ぇ」


燦燦と降り注ぐエリシアの陽光に、叶都は手をかざす。




「――そうだね、そろそろ行こう?」


凛は立ち上がって手を差し伸べる。


こんなにも純粋な微笑みを、叶都は見たことが無かった。




「髪、伸びたね」


「それは四年も経ったから」



叶都はそれに対して、ふーんだなんてあからさまにつまらなそうにして、白い髪に触れては弄んだ。



当時肩に触れる程だったのが、今や胸のあたりまで伸びているそれ。



「……ね、切ってよ。前の方が似合ってた」



唐突な言葉に凛は目をぱちくり瞬かせてから、すぐに笑って見せた。


「いやだよ、せっかく伸びたんだから」



そして髪をいじっていたその右手を引き離して、握って、引っ張る。


ようやく立ち上がった傷だらけの叶都に肩を貸す凛。




砂浜に落ちる二つの影は一つに。

枝分かれした旅路も、再び交わる。



二人はゆっくりと、再び西へ歩き始めた。






章末・Pass the winter

揺蕩うハティは星をたべた。













「それで叶都の目的って何なの?」


「え……それを知らずにあんなこと言ったの?」


「む、だって分からないもん」


「あはは。そういうとこは変わってないんだね、凛らしくて好きだよ」


「もう待たせるのはいいでしょ、もったいぶらないで教えてよ」


「いいよ、特別に教えてあげる」


「うん」



「俺の旅の目的は、神を殺すことだ」





The Journey Continues.

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