第17話 スラム

久々のお風呂を満喫して部屋に戻ると、アリスの姿がなかった。

トイレなどかと思ったが、どうやら姿は無さそうだ。

どこに行ったのかなどと思いながら何気なく窓を見ると…アリスがスラム街を歩いていた。


「なにやってんの!」


ベッドに掛けてあった雨外套2つと自分の上着を掴んで、部屋を飛び出す。一人でスラム街を歩くなんてどうかしている!


「ごめんなさい、ちょっと失礼します!」

「え?」


宿屋の受付の窓を全開に開き、外套のフードを被って、窓を飛び越える。スラムの地面や建物は表通りとは全然違って所々崩れたり…って、それどころじゃない


周りを見渡してアリスを探すが、その姿はない。突き当たりまで走っていったところで…


「どけやガキ!」


大きな声がした方を見ると、体の大きな男の向こうにアリスよりも年下と思われる小さな男の子と、それを庇うように立つアリスの姿。

いや、ほんとに何をやってるんだ!


どうやら男の子が殴られそうになっていたところを身を呈して庇ったようだが、男はそのままアリスに殴りかからんとしている。

…考えている暇はない。


上着のポケットの小さなナイフを強く握りしめながら、男に向かって駆け出し、膝の裏側目掛けて思いっきり蹴り飛ばした。

男が大きくバランスを崩した隙に、アリスと男の間に割って入る。さて、どうしたものか…


「てめぇ…なんなんだ次から次へと…」

「…走れる?」

「う、うん…ありがとう」


とりあえず、アリスを逃がして…幸いここはスラム街。市民が1人入り込んで戻ってこなかった所で大した問題にはならない…と思いたい。

ナイフを取り出そうとした瞬間、男の後ろ。つまり私がさっきまでいた三叉路から、女の声がした。


「衛兵さん!早く!こっちだよ!」


女はそう言いながら、こちらへ走ってくる。周囲がざわつき始め、男は狼狽している。呆気に取られているうちにその女は男を追い越して…


「なにしてんの!早く逃げるよ!」


アリスと私の手を取って、そのままの速度で走り抜けた。

男もそれに気が付いて追いかけてこようとするが、その女の足は驚くほど早く、それに引っ張られた私達も凄い速度で駆ける。

引かれるままに途中の細い路地を曲がり、また曲がり…何度かの曲がり角を抜けた先の扉を開け、そのまま中へ流れ込んだ。


女は直ぐにそのドアを閉めて、内側から鍵を掛けた。家の中には私たち二人と、先程の男の子もいる。どうやらアリスが手を掴んで連れてきたらしい。


「はぁ…はぁ…ナイスガッツ」

「…助かったよ、ありがとう」


私たちを引っ張ってきた女は息を切らしながら、私とアリスに向かってピースサインを出した。

なんなんだ一体…?いや、紛れもなく助かったのだろうけど…


「ぜぇ、ぜぇ…よし」


女は息を整えて、椅子に腰かけた。

家の中にはそれなりに大きな机と、椅子が4つ置いてあった。促されるままに、私達も椅子へと座る。


「マルク、水出せる?」

「あ、うん!」


マルクと呼ばれた男の子は、台所へと走って行った。そして直ぐに戻ってきて、土器のコップを4つ机の上に置いた。器の中には、水が注がれている。それを女はゴクゴクと喉を鳴らしながら一息に飲み干した。

喉が渇いていたので、一口頂く。それを見たアリスも一口。

…まぁ、普通の水だ。少しぬるいのが気になるが…


「…さて、私はクロエ。クロエ=ジュアンだ。こっちはマルク」

「…アンナ=ルナールです」

「アリス=ルナールよ」


マルクは先程の男の子だ。身長も年齢も、アリスよりだいぶ小さいように見える。大方7か8歳と言ったところだろう。

次にクロエは、私よりも大きい。18歳くらいか…?身長も高く、足や腕などの筋肉がよく発達しているのが見受けられる。先程の全力疾走を見ても明らかだ。


自己紹介もそこそこに、クロエはマルクが持ってきたお代わりの水も飲み干すと、話を始めた。


「何から話したもんか…とりあえず、二人はこの街の人じゃないね?何をしにスラム街へ?」

「…えっと、その…スラム街を、見ておきたくて…」

「それは…趣味が悪すぎないかい?」

「悪かったよ…私達の生まれた街ではこんなに大きなスラム街見たこと無かったんだ。別に嘲笑の気持ちがあったわけじゃない」


まぁ、嘘だが…

言葉を探しながら喋るアリスに被せるように、嘘っぱちの返答を上塗りする。このようにした方が都合がいいだろう。


「逆に、そのマルクって子はどうしてあんなことに?」

「えっとね、お姉ちゃんが病気で、お金を稼ぐのに道に落ちてるものを集めてて…」

「前を見ていなくてぶつかった、と」

「うん」


なるほど。場所を見るに、それほど表通りから離れていなかったし、表通りでぶつかったか、なにかの理由でスラムに来ていたのにぶつかったかで、殴られそうになっていたという所だろう

さっきの男の服装はスラムにいるとは思えないくらい綺麗な服装だったし…


「…アリスは?」

「えっと…歩いてたらそれを見つけて、体が咄嗟に動いて…」

「うん…まぁそうだろうね」


そもそもスラムを歩いていた理由をもっと詳細に聞きたいところだが、先程違う理由を述べた手前聞く訳にも行かない。


「ここは?」

「ここはマルク達が住んでる家だよ。私も部屋を1つ間借りしてるんだ」

「へぇ…両親は?」

「…聞かないでやってくれ」


まぁ、スラムに住んでて、それなりの歳の子が間借りしてるのなら、大方そんなところだろう。


「じゃあそのお姉ちゃんはどこに…?」

「ああ、二階にいるよ。出迎えはできないけどね」

「よければ…私に合わせて貰えませんか?少しですけど、回復魔法が使えますから」

「…うん、それはありがたい。是非ともお願い出来るかい」

「アリス!」


病人の介抱を依頼されたアリスが嬉しそうに笑ったところで、我慢の限界だった。私は周囲の目も気にせずに、ついつい大きな声が出てしまう。


「今の状況、わかってる?」

「…わかってる」

「わかってないよ。自分の明日だって危ういような状況で…人に情をかけてる場合?」

「それもさっき会ったような全くの他人に…聖母様にでもなるつもりなの?」


魔法は消耗が激しい。それは山の中で掛けてもらっていた時に明らかになっている事だ。寝れば体力は回復するだろうが…ここに定住する訳でもない以上、いつでも可能な限り万全の状態であるべきだろう。


それを今日あったスラムの子供の、しかも会ったことも無い姉に使うなんて、何を考えているのかさっぱり理解ができない。


「とにかくもう宿に戻って、明日以降の身の振り方を…」

「私は!」


止まらなくなっていた私の説教を遮るように、アリスは大きな声を出した。こんなに大きな声を出したのは、初めて見た。


「私は、自分に出来ることをやっているだけ!人の為に力を使うことを、アンナにだけは否定されたくない!」


そう言ってアリスは踵を返し、反対にある階段から足早に2階へと上がって行った。マルクが急いでその後を追いかける。


「…あはは、ごめんね」


マルクが階段を登っていくのを、2人で無言で見送っていた。

…アリスがあんなにも…泣きそうな顔で怒っている姿も、初めて見たな


「…もし良ければ、話してくれないかい?あんた達に何があったのか」

「いや…大丈夫。表通りの宿屋にいるから…アリスを頼めるかな」


机に置いてある水を飲み干して、フラフラと立ち上がる。スラムの一市民に話せるようなことでは無い。

しかし立ち去ろうとした私の手を掴んで、クロエは真剣な顔で話し始める。


「改めて名乗ろう。私は盗賊ギルド、サマリロ支部所属、クロエ=ジュアン」

「安心して欲しい。私より非合法な人間は、そうそういないから」

「…そんなことは真剣な顔で言わない方がいいよ」


ポケットから「盗賊ギルド」と書かれた身分証を取り出して、クロエは笑う。

顔は笑っているが、手は全く離してくれそうにはない。

盗賊ギルド…厄介なところに関わりを持ってしまったと思うと同時に…

内心で、前々から思っていたことがある。私達の逃亡生活をする上で…結局一番力になりそうなのは、盗賊ギルドなのではないかと


商業ギルドにどの程度アリスの家の影響があるのか分からない以上、関わりは最低限にするべきだ。冒険者ギルドや魔法ギルドは、全くの畑違い。

となれば、私達が力を借りれる可能性があるのは…盗賊ギルドしかないのではないかと薄々思っていた。


「…わかった。話すよ」


どちらにしてもアリスを置いて戻るのも気になっていた所だ。最も、あそこまで言ってしまって彼女が私を許してくれるか、甚だ疑問だが


話すと答えるとクロエの手はスルリと離れて、コップの水をくみにいった。

どの道あの瞬足では逃げきれないだろう。宿の場所もさっき教えてしまったし…ならばこの機会を、上手く利用するしかない。

この行動が吉と出るか凶と出るか…

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