第7話 葡萄酒

──


「アンナ!」


初収入を大事に抱えて宿屋の扉を開くと、アリスが飛び付いてきた。

力一杯飛び付いてきたので、倒れそうになるが…なんとか持ち堪えると、嬉しそうに顔を上げた。


「おかえり!大丈夫だった!?」

「あはは…大丈夫。ありがとね」


アリスの頭を撫でて、給料の入った袋を渡す。アリスはその袋には目もくれず、私の胸に頬ずりをする。


「無事でよかったわ…」

「戦いに行ったわけじゃないんだから…大袈裟だよ」


ある意味では、戦いだったが…

アリスの頭を撫でながら、奥のフィリップさんに頭を下げる。


「私もね、初給料をもらったのよ!」


アリスがポケットから取り出した手には、銅貨が数枚握られていた。宿代と飯代を引いた額なのだろう。

その銅貨を受け取って、袋の中に入れる。


「ねぇアンナ!少し街に買い物にいきましょうよ!」

「…いいよ。行こうか」


正直、金を溜めないと行けない以上遊んでいる暇はないが…

最初くらい、いいだろう。


フィリップさんに少し挨拶をして、アリスに手を引かれて街へと出る。

今日の分のご飯はいいと伝えたので、外で食べて帰ることになるだろう。


「ねぇアンナ!どこに行きたい!?」

「ん…そうだね…」


少し考えて、思いついた。というより、思い出した。


「この先に職業斡旋所があるんだ。そこに、お礼しに行かないと」

「律儀ね…いいわ!行きましょ!」


律儀、というよりも約束だから。

行き先が決まって、アリスの歩幅はさらに大きくなった。


「思ったより、順風満帆ね」

「ほんとにね…上手く行きすぎて、跳ね返りが怖いけど」


初日に宿が見つかり、2日目に雇先が見つかり、3日目に収入を得た。

飯と宿には、困らなくなった。

技術も経験も、身分証すらない私達がこんなに上手くいっていいのかと…少し不安になる。


「きっと、上手くいく事ばかりでは無いかもしれないけれど…」


わたしの暗い顔を見たのか、アリスは立ち止まる。オレンジの街頭に包まれた彼女は、明るく笑った。


「2人なら、なんとかなるわ。きっと大丈夫よ」


…根拠の無い自信だな、と少し思って…頭を振って考え直した。

アリスの言う通り、先のことを気にしても仕方ない。

今は、今を一生懸命に生きよう。


「…ありがとう、アリス。これからもよろしく」

「こちらこそ!」



「おや、いらっしゃい。今日はどっちだ?」


酒場のドアを開くと、たまたま目の前に店主がいた。

酒場は相変わらずの大盛況。酒場がどのくらいあって住民がどのくらい居るのか分からないが、経営は上手くいっているようだ。


「今日は客です。約束を果たしに」

「ははっ、そうか。それは良かった」


別の店員に案内されて、カウンターへと座る。

酒を飲むか悩んだが…アリスがいる手前、辞めておこう。


酒に年齢の制限はない。が、酒で失敗するのは散々言われてきた。

20を超えるまでは体に耐性が出来ていないから、酔いやすいのだと。


「私、葡萄酒っていうの飲んでみたかったの!家が厳しくて、飲ませて貰えなかったから」

「ああ…飲むんだ」


私の配慮を全部蹴っ飛ばして、アリスは葡萄酒を頼んだ。

私は…一応、ぶどうジュースにした。悪くいえば意気地無しだ。


「アンナ!これとても美味しいわ!」

「あはは…良かったね、アリス」


労働への当然の対価だ。喜んでくれてよかった。

ぶどうジュースも味が深くてとても美味しい。値段を見るにさして高級なブドウでは無いのだろうが…この美味さも人気の秘訣だろうか。


「はいよ、注文の鶏肉だ」

「ありがとう!」


店主が持ってきた鶏肉は、小さく細切れにして味付けをして炒めてあった。生ではない肉はやはり美味いものだ。

仕事の対価に、と思ってとる食事は、また格別な味がする。


「店主さん、身分証の発行って、簡単にできるもの?」

「…そうだな、再発行だけならこの街でもできるが…」

「名前を変えたり、新規の発行はフランシスカじゃあ出来ねえな」


となると…やはり、首都に出るしかない、ということか。

仕事は決まった。宿も当面は大丈夫。ここでコツコツ旅費を稼ぐ…というのが、現実的な手なのだろうが…


「なにか他に、手はないんですか?」

「…盗賊ギルドなら、あるいは…ってとこかな」


盗賊ギルド…?何故、ここでそんなものが出てくるのだろう。

怪訝そうな顔をして頭を抱える私を見兼ねて、大きなため息を着きながら店主は小声でつぶやく。


「俺は真っ当な店を開いてんだからあんまり言えねえけどな…」

「身分証ってのは、あくまで手書きの板に過ぎねえ。ただし、その板自体に首都の役所の魔導師が特殊な魔法をかけてる。だから、その身分証が本物かどうかは、少し調べりゃ分かるんだ。」

「だが、再発行はフランシスカでも出来るんだから…後は察してくれや」


そう言って去ろうとする店主に、追加の料理を注文した。

再発行が出来るということは、魔法をかけられただけで、未記入の板がこの街にはあるということ。

盗賊ギルドに頼むのは…それを盗み出すか何かの手段で手に入れて、偽装の身分証を作ってしまえば、それを本物かどうかを見分けられなくなるからだ


「どうするの?アンナ」

「…まぁ、考慮はしとく…かな」


正直、そういったアングラな方法は…取りたくない、などと言っている場合では無いのだろうが。

しかし、可能な限り危険は避けて通るべきだとは思う。とりあえず真っ当な方法で発行が出来れば…


「思ったのだけれど…」


葡萄酒を飲み干したアリスが神妙な面持ちで口を開く。


「さっき店主さんが言ってた「名前を変える」って、苗字だけなんじゃない?」

「…ああ、そっか」


私の名前は、村に置いてきたのだった。

ともすれば身分証は新規発行…アンナ=ルナールという新しい人物のものを作成しなければならない。


「店主さん、おかわりもらえるかしら」

「あいよ」

「…それから、もうひとつ聞きたいんですけど…名前の違う身分証の新規発行って、どんな手続が必要なんですか?」

「…それは、新しい人間のもの…って意味か?」


私が頷くと、店主は怪訝な顔を浮べる。

そりゃあそうだ。一般的に身分証は生後まもなく作成するものだ。

この街や私の村では無かったが、入門に身分証が必要になる街がある。街でトラブルが起きた時、衛兵に確認されることもある。


「…ちょっとここじゃあ言えねえな…アダムに聞いてみな」

「…わかりました」


多方私たちがやろうとしていることを察したのだろう。周囲を見回して、店主はそう言ってから調理場へと戻って行った。

アングラなことは避けたいと言っておきながら、完全にアングラな事情が見える質問だ。2人の子供が生まれたようにも見えないだろうし。というか同一性だし。


前途多難、だ。この問題は、あまりにも大きすぎる。

ため息を付きながら鶏肉をつつく私の向かいで、アリスは2杯目の葡萄酒を美味そうに煽った。


────


結局あの後アリスに流されて私も葡萄酒を飲んだことで、それなりの杯数を飲んだが…会計は思ったより嵩まなかった。酒の相場なんて知らないから、そんなものと言われればそんなものなのだろうが。

わたしは千鳥足でなんとか宿屋へたどり着き、お風呂に入り、ベッドへ倒れ込んでいた。


「お疲れ様」


私の後にお風呂に入ってきたアリスが髪を乾かしながら笑った。若干湿ったブロンドの髪が、部屋の明かりに反射してキラキラと光る。

というかこの子はお酒があまり回っていないように見える。この年齢でも酒に対する個人差があるとは驚きだ。


「いや、アリスこそ…私は体の疲れと言うより、頭が疲れたよ」


色々なことが起こりすぎたし、考えることが絶え間なく増える。

1つずつ解決するべきなのだろうが…どの程度のんびり考えていられるか分からない以上、早いうちから考えておくに越したことはないのだから。


「…アンナは色々考えてて、本当にすごいと思うわ…本当にありがとう」

「やめてよ…何一つ解決できてないんだから、ただ考えてるだけだよ」


仕事も考えた結果ではなく、周りの人に助けて貰っただけだし。

私一人の知識と知能では、限界を感じる。


「…私には出来ないことばかりだけれど…困ったら何でも相談してね」

「…ありがとう、アリス」


電気を消して、それぞれのベッドへ入る。

明日からも考えないといけないこと、やらなければならない事が沢山ある。少しでも体力を回復させなければ、倒れてしまうかもしれない。


どれだけ考えても答えは出ない一人問答を続けながら、私の意識はゆっくりと夢の中へと飲まれて行ったのだった。


──

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