第5話 苗字

──


「はぁ…」


すっかりと日は沈み、辺りはオレンジの街頭に包まれた頃、私は一人その中をとぼとぼと歩く。一日経って、成果は全くなしと言って差し支えない。

いくつかの店舗に話をしてみたが、やはり身分証が出せないような奴は雇ってはくれないようだった。

腹を括って、いつでも逃げる準備をして捕まる覚悟で身分証を出すしかないか…

そんなことを考えながら、昼間の職業斡旋所へと足を運ぶ。

重いドアを開くと、この時間は酒場としてそれなりに繁盛しているようで、席はほとんど満席だった。

客の間をかき分けてカウンターへと進むと、主人は朝と同じ位置で座っていたのが見えた。


「大繁盛ですね」

「まぁそれなりだな…あんたもいつか飲みに来いよ」


雑談を挟みながら、店主は再び台帳を取り出す。そしてあるページを開いて、私の方へと向けた。


「あんたが出ていく時にぶつかった奴がいただろ?そいつがとある店の店主で…」

「あんたを、雇いたいと言っている」


…驚いた。店主の言った通り、ほとんど期待はしていなかったが…

自分で言うのもなんだが、身元不明の私を雇いたいだなんて、どんな物好きなのか。

湧いてきた疑問を振り払ってお礼を述べると、店主はため息をついてそれを止めた。


「紹介料はしっかり貰ってるんだ。そんなもんを俺に言うくらいなら、雇い主に言ってやるこったな…俺への礼は、金を稼いで飲みに来ることでいい」

「あはは…それは是非」


後の顧客に嬉しそうな顔を見せた主人は、台帳の1枚をちぎって、私に差し出す。


「店主はアダム=サルド。商業ギルドじゃあそれなりに新参だが…あっという間に自分の店を持った、中々のやり手だ。地図は別で用意してやるから、明日自分で話してみるんだな」

「はい!ありがとうございます!」


本当に、よかった。思わぬ収穫だ。

食い口が見つかるのが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。

店主に貰った資料を片手に、駆け足気味に店を後にする。

店に来るまでは落ち込んでいて気付かなかったが、オレンジの街灯に包まれた街の上には、綺麗な星空が輝いている。

今まで下と前ばかり見ていて全く気付かなかったが…案外、綺麗な街だ。


──


「あ、アンナ。おかえりなさい」

「…何してんの?」


宿屋に戻ると、宿屋の1階の机を雑巾で拭いているアリスが出迎えてくれた。


「私、ここで働くことにしたの。宿代と私達の食事代は出してくれるそうよ?」


…そりゃあまた、灯台もと暗しだ。

愛想の悪い店主だったから視野にも入れてなかったが…


「思ったより優しい人よ。ね、ワイラーさん」

「思ったよりは余計だ」


ワイラーと呼ばれた男性は、朝と同じように受付に座っていた。思ったより…は辞めるか。あまり顔を見ていなかったが、先程の酒場の主人よりも若い。40歳から50歳位だろうか?


「朝は地図、ありがとうございました。アンナです」

「…フィリップ=ワイラーだ。仕事は見つかりそうか」

「ええ、なんとか」


ならよかった…と呟いて、厨房から土器の器に乗せられたスープを出してくれた。沸き立つ湯気と、中から香る香辛料の匂いが食欲をくすぐる。


「あんまり大したもんは出せねーが…まぁ、腹の足しにはなるだろう」

「ありがとうございます」

「…労働に見合った対価だ。礼なら嬢ちゃんに言いな」


フィリップさんの目線を追うと、アリスが椅子を片付けていた。私よりも先に仕事を始めるとは思ってもみなかった。


「元々そんな頻繁に客が来るような店でもねぇから、そんなに大した額は払えねぇが…まぁ、ゆっくり泊まっていくといいさ」

「ありがとうございます」


人は見かけによらない…なんてのは、失礼な話なのかもしれないが、全くもってその通りだ。

アリスのおかげで宿代はなんとかなった。ならば貯蓄の方を、私が何とかしなくては。

節約方法を考えながら、アリスに声を掛けてからスープを机に置いて、椅子に腰かけた。


「どう?仕事は決まりそう?」

「なんとかね…まだ、店主に会ってないから分からないけど」

「そう。良かったわ」


雑巾を持ってエプロンに身を包んだ彼女は、私なんかよりも随分としっかりしている。貴族の一人娘とはとても思えないほどだ。

山の中での適応も早かったし、地頭が良いのだろうと思う。


「…なに?どうしたの?」

「いや…結構反応薄いんだなと思ってさ」

「ふふっ…アンナは頭がいいから、あんまり心配してないわよ」

「はは…そりゃどうも」


重たい期待だ。1人でブツブツ考え込むのは好きだが、自分の頭が優れていると思ったことは無いよ。


「そういえば…ワイラーさん。商業ギルドについて教えてもらいたいんですけど」

「…商業ギルドは、本部を首都に置く大きな組織だ。この街にも支店がある」


フィリップさんの言葉をまとめる。

そもそもこの世界で何かを始めるには、ギルドと呼ばれる集団に属する必要がある。無論、属さなくても個人で始めることは出来るが、ある程度の支援が得られたり、大きな取引の際に後ろ盾として使うことが出来る。


一般的に大きく有力なものは、冒険者ギルド、魔法ギルド、商業ギルドと、盗賊ギルドがある。

冒険者はチームを組んで洞窟などの探索を行い、その報酬で生計を立てる者。ギルドからは報酬の支払いや依頼の受注。戦利品や洞窟資源の買取などが出来る。

基本的に森などの動物や、洞窟内に満たされた魔力によって特異な進化をした動物。俗に「魔物」と呼ばれる物を狩ることを生業としている者が参加する。


魔法ギルドは魔法の研究やその活用。また、魔法の技術やそれに付随する研究の成果で、薬や医療を発展させる事による貢献。研究成果や人類の繁栄に助力したものは、それに応じた報酬が支払われる。

魔術師ギルドはその報酬の支払いや、魔術本の発行、人材派遣や人材育成などを行う。

魔法を使うことを生業とする学者系の魔法使いの他に、例えば「土魔法を使って土器を生み出す土器屋」「火魔法で起こした火を売る火種屋」などと言った学者とは関係の無いものも参加している。


商人は街で店を持ったり、行商を行い、その収益で生計を立てる。商業ギルドはその管理を行い、街への振分けや交渉の後ろ盾、算術士の手配やその報酬の支払いを行う。

先程の火種屋などとは違って、魔法の力は使わずに物作りや料理などを行って、この宿屋や昨日の屋台のように自分の店をやり繰りする者たちが参加する。


盗賊は…これらに並べるようなものでは無いか。あまり表立って職業と呼べるものでは無いのだが、それなりの人口はいるらしい。

主なギルドの仕事は推測するに…盗品の販売、と言ったところだろう。これに関してはあまり情報はないし、それを知る手段もほとんど無いに等しいが、一つだけ分かるのは参加者はスラム街にいることが多い、ということ


最後にこれらギルドは参加掛け持ちは基本自由。ただ、本籍を置くギルドだけは決めておいた方が、双方にとって都合がいい…とのこと


「…と、まぁこんなところだな」

「へぇ、色んなのがあるのね」


パンをペロリと食べ終えたアリスが、口を拭きながらそう呟く。

村の中では知り得ることがなかった情報だ。村から街へ仕入れに行く者たちは商業ギルドに属していたのだろうか…今となっては聞くことも出来ないが


「私の家は、商業ギルドで稼いでたわ」

「ん、そうなの?」

「ええ。だから私の名前を出せば知り合いに会えるかもしれないし、逆に言えば私の名前を出すことで…」


そこまでいったアリスの口を、首を振って瞑らせた。

アリスの家は、首都の貴族だった。それも身なりを見るにかなり高い地位にあったのだろう。

ならばその知り合いとなればお金持ちが多いのだろうが…わざわざアリスが生きていることを公表する必要は無い。

それならば永遠に隠して、どこかで野垂れ死んだと思わせた方が、都合が良いだろう。


「…ありがとうございます。部屋に戻りますね」

「ああ…アリスも、今日はこれで終わりでいいぞ」

「ありがとうワイラーさん。明日からよろしくね!」

「こっちこそな…」


フィリップさんに挨拶をして、2人で部屋へと戻る。

ドアが閉まったのを確認して、ベッドへと腰掛ける。


「アリス、ここで決めよう。あなたの家の名前を、利用するかどうか」

「アンナはどうしたらいいと思う?」


アリスの中で、答えは決まっているのだろう。一切の迷いもなく、私の意見を聞いてきた。


「…私は、利用しない。利用することで得られる可能性と、リスクの採算が取れない」

「…私も、そう思うわ」


…ただ、それをするということは…アリスは今の名前を、捨てることになる。

今まで生きてきた人生の、ほとんどを無かったことにしてこれから生きることになる。

そんなことを…私には、決めることが出来なかった。


「そうだわ、アンナ!今2人の姓を決めましょうよ。あなたの名前を決めたみたいに」

「…アリスが、それでいいのなら」


姓を決めることは…つまり、私は完全に新しい名前になるということ。

村にいた私の名前は…完全に捨てることになる。

身分証の再発行…なんてのは、出来るのだろうか。

そんなことを考えていると、アリスはベッドの上に立ち上がって、嬉しそうに笑った


「ルナール!アリス=ルナール!どう?」

「…意味は?」

「狐!」


確実に今思いついただけだなと…思った。口には出さなかったが、呆れ顔が伝わったのか、ぷくーっと頬をふくらませた。

その顔が面白くて、少し吹き出してしまった。


「なにか文句があるのかしら?」

「…いや、何も無いよ。いいじゃないか。狐を食って生きのびた私達にぴったりだ」


蟻に集られていたところを慣れない手つきで皮をはいで、山の中に埋めた狐のことを思い出す。

もちろんアリスはそんなつもりは無かったろうが…実際、今も物憂いげな顔をしている。


「気に入ったよ。私も今日から、アンナ=ルナールだ」

「…!ええ!いいと思うわ!」


これで、村にいた頃の私は完全に消えた。

身分証の再発行は…果たしてできるのかわからないが

先行きは以前と不安のままだが…それでも、ある程度の方針は固まった。


「アンナは、雇い主さんと明日初めて会うのよね?」

「まぁ、そうだね」

「どんな人かしら…」


…雇ってもらってなんだが、正直身分証を出せない私を雇うなんて、正気の沙汰ではない。

身元不明ということは、何かがあっても追えないということだ。勿論、何かをするつもりは無いが


「でもきっと、いい人ね!」

「…そうだといいね」


会ったこともない人と急に会って一緒に仕事、というのは不安がないと言えば嘘になる。

ただまぁ、今それを考えても仕方ないのは確かなわけで…

1人で悶々と考えてため息を漏らす私を見て、アリスは何か話せる内容がないかと部屋の中をキョロキョロと見渡しているのが見えた。気を遣わせてしまっているな…


「あ、そうだ!今日ワイラーさんにこれがあるって聞いたんだけど…」


そういいながら、ベッドの隣に置かれた小さめの机の引き出しを開く。

上にライトが置いてあるからただのライトの台かと思っていたが、引き出しがあったらしい。昨日は疲れていてその辺の探索ができてなかったな…


アリスが引き出しから取りだしたのは、大きめの四角い箱だった。硬そうな箱だが…金属製か?

箱の上には同じく金属製の棒が1本垂直に立っていて、その隣には丸いボタンと、菱形の水晶のようなものが付いていて…


「ほんとになにそれ?」

「なんか、魔法ラジオって言うの。ファーレス領の中の出来事を知らせてくれるのよ」


そういいながらアリスは横のボタンをクルクルと回す。しばらくはピーとかガーとかそんな耳障りな音が流れていたが、明瞭な音声に変わったところでアリスは手を止めた。


「うわすご…箱が喋ってるよ」

「魔法でね?ここから北に行った街にこの棒の大きいやつがあって、そこからファーレス領全体に届く魔法を打ってるらしくて…」


箱に付いた棒を指でピンと弾きながら、アリスが自慢げに教えてくれる。

ファーレス領全体って…すごい広範囲だな…

魔法ってなんでもできるんだなぁと、しみじみとしてしまった。


「私の家にもあったし、商業ギルドにも置いてあったわ。あまり使い方は知らなかったけど、毎日決まった時間に音楽だったり、出来事だったりを読み上げてくれるの」

「…じゃあ、あの村でのことも?」

「そういうこと。本当に広域で聞かれてるみたいだから、もし流れたらチェックしておいた方がいいかも」


確かに、ファーレス領全体で知れ渡ったのなら、また対応が変わってくるし…あの遺体を全部見ることがあれば、「ブロンドの長髪の女の子が行方不明」なんて読み上げられるかもしれない


そう思ってしばらく聞いていたが、特にその件について話すことも無く…流れるのは、やれ領主の挨拶だのどこかの街道で強盗が起きただのと、どうでもいいことばかりだった。

まだ見つかってないのか、もう既にあの件から5日程度経っているので、ほとぼりが冷めたのか…


そんなことを考えながらラジオを聞いていると、コクコクとアリスが船を漕ぎ始めたので…見よう見まねでラジオを消して、アリスを布団に戻した。

アリスは必死に起きようと目を開いていたが、そのうち瞼の重さに耐えきれなくなって、眠りについた。


──

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