第3話 優しい味

「あー!人生で最高のお風呂だったわ!」


貴族の娘が何を言っているんだ…と思ったが口には出さなかった。私も同じ意見だったからだ。

街にたどり着いた私達は、ボロボロの格好を守衛に怪しまれながらも、街に入り、宿屋を見つけて風呂に入った。

建物はボロく、店主の愛想は悪く、風呂は狭かったが、何分格安だった。身入りの金がない私たちにはちょうど良い。

風呂に一緒に入ろうと誘われたが、風呂の狭さを理由に断った。何より、山で付いた生傷を見せたくなかった。そして、この子の傷を見たくもなかった。

貴族の暮らしから連れ出して、私の無計画故に傷付けてしまった彼女の体を見れば、私は私を責めざるを得ない。

それがただ、億劫だった。

それでも湯に浸かった余韻に浸りながら髪を乾かす彼女を見て、なんとなく救われた気持ちになってしまう私は…自己中心的なやつなのかもしれない。


そんなことを思う私は、さぞ物憂いげな表情をしていたのだろう。

心配そうに近付いてきたアリスに大丈夫だと声をかけ、続けて夕餉の買い出しに行こうかと誘う。

言うが早いか動くが早いか。昨日まで調理されていないキノコを貪っていた反動か、アリスは目を煌めかせ、私の手を引いて、部屋を飛び出す。


「ちょ、ちょっとアリス…ごめんなさい!少し出てきます!」


店主に念のため声をかけて、宿屋を出る。外は街灯のついた長い道が続いており、少し先には大きな広場と、いくつかの屋台が見える。


「わぁすごい!炎の明かりを見るのも随分久しぶりね!」

「あはは…そうだね」


山の中では火は使えなかった。

煙が上がるからというのもあるが、そもそも火の魔法を使える人材がいなかったのもある。

摩擦熱で火を起こす方法は私も知っているが、あの頻度で動き回るなら一々それに時間を取られる訳には行かないという判断だった。


屋台にはアルコールを染み込ませた縄を燃やすランプが置かれ、看板を照らしている。

その横に物の値段が書かれているが…まぁ、特別安くは無いなと感じる。

私自身は村から出ることがなかったから、安い物価の中で暮らしていた関係で、外に出て初めて見る物の値段に少し引いてしまった。


「アンナ!これとても美味しそうよ!」


財布の中を見てため息を着く私の心配をよそに、アリスは屋台の前で嬉しそうに飛び跳ねている。

街の中心の広場は、大きな露店街になっていた。

「ファーレス領フランシスカ」というこの街は、ファーレス領の中でも首都に続いて大きな街で、この辺りの村や小さな町のもの達がよく来る、交易が盛んな街である。

それは無論、あの村も例外ではない。

基本は自給自足で生きるあの村で揃わないものは、この街へと買い出しに出る。

最も、山を越えなければならない関係上、男連中が作物の出荷に出るついでに物質を揃えて来るのが主であったが。


「アリス、あまりはしゃぐと迷惑だよ」

「アンナは何を落ち着いてるの!幾日ぶりかのまともなご飯よ!」

「まぁたしかに…」


キノコと生肉と生魚で飢えを凌ぐ生活は、もう飽きた。

店の店主に声を掛け、アリスの欲しがったお弁当と、3つのパンを包んでもらう。


「お嬢ちゃん達は、どこかの村から出稼ぎかい?」

「…ちょっと訳ありで」

「ははは!その歳で訳ありとはな!あんたも中々大変だな!」

「いえ…私が決めたことですから」


店主はそれ以上何も聞いてこなかったが、おまけにとパンをひとつ追加してくれた。


「すみません、ありがとうございます」

「いいってことよ!何かあったらいつでも来な!」


気前のいい店主に頭を下げて、店を後にする。


「いい人だったわね」

「…ええ、ほんとに」


金がない私たちにとって、あの店主の優しさはまさしく恵み。このパンひとつで、私たちの寿命はいくらか伸びたことだろう。

ただ、そればかりでは生きては行けない。人の優しさのみで生きられるほどに、この世界は純一無雑にできてはいない。


「アリス、宿に戻ろう」

「えー、もっと見ておきたいわ」

「今日からしばらくここにいるんだから…いつでも見れるよ。買い食いをするお金は、残念だけど持ち合わせてないからね」

「…分かったわ」


聞き分けが良くて助かる。

傲慢な怠慢な人物が多いとウワサの貴族な訳だが、アリスは随分と聞き分けが良い。

それは明らかに私に気を使っているのだろうと予想はできたが…

そんな言葉をアリスは求めていないだろう。言っても仕方の無いことだ。

ならば、私はこの子が気を遣わなくて良い人物にならなければならない。

そう決意して、夜空に星の瞬く暗き夜道を二人で歩いて帰路に着いた。


──


さて、問題点と解決策を練らなければならない。

宿屋についてベッドに腰掛けてからそう切り出した私の至極真剣な顔に、アリスもただ事ではないと察したのだろう。休めるべく寝転がっていた体を引きずり起こして、じっと私の目を見た。


まずは先程の包みを解いて、弁当とパンを2つ取り出す。

弁当の中身は、シチューだ。外は少し肌寒かったが、粗雑な土器に包まれたシチューはまだ温かい。

パンをひとつアリスに手渡して、小さくちぎってシチューに浸す。

それを口の中に放り込むと…比喩ではなく、そのままの感想。「久方ぶりに味のするものを食った」

小さく刻まれた肉と野菜の味。それがミルクの濃厚さに包まれ、パン全体をひとつのご馳走にしてくれる。

こんなにも、人が作り出した「味」は、心と体を温めてくれるものだったのかと…1人、感心した。

危うく涙がこぼれ落ちそうになったのをぐっと堪えると…向かいのベッドで、パンを握りしめて泣いているアリスの姿があった。


「こんなに…おいしいもの、はじめて食べたわ」

「…うん、そうだね」


2つ目のパンをそっとアリスの隣に置いて、自分のシチューに舌鼓を打つ。

本当に濃厚で、いいシチューだ。

こんなものを作れるなんて、あの店主の腕は相当なものなのだろう

…いや、私達の状況が特殊なだけかもしれないが。


★追記 アリスの苗字をコルベール、最初の村の名前をリーヴィル村で固定しました。1話を更新しています。よろしくお願いします。

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