第二章 特オチ、食らいまして(1)
「えっ、星崎社長に会えたんですか!」
コミショウはハンバーガーを頬張る手を止め、驚きの声をあげる。
「しっ!」
口の前で人差し指を立てて、慌てて圭介は周りをうかがう。コミショウの声は、会場の喧騒で蒸発し、どうやら近くの席の他社の記者には聞こえていない。
「すみません……」
手刀を切ってコミショウは詫びた。
週明けの月曜日。圭介はコミショウとともに、都内某所で開かれたオリンピアバーガーの試食会に来ていた。オリンピアは、三月に日本に上陸してきた米国の大手ハンバーガーチェーン。日本では「黒船」の異名を持ち、話題沸騰中だ。
余談だが、外食担当になると試食会の案内が大量に来る。羨ましがられることも多いが、今日のように一日に何件もの試食会が重なると流石に辛い。
「星崎社長には確かに会えた。名刺ももらってくれたんだけどさ……」
脳内では今朝の出来事が蘇っていた。
──多忙な星崎社長が仮に犬を飼っていて、散歩をするなら、やはり朝では?
二日前に見たワンダフルフーズの犬用のフン取り袋をヒントに、圭介はこの日、朝からヤサで張り込んでいた。タクシーを実家のある川崎にあらかじめ手配。自腹を切って、朝四時には星崎のタワマンに着いた。
仮説の結果は……ビンゴだった。午前五時頃。日の出とともに星崎はエントランスから出てきた。二日前同様に、ベースボールキャップを目深に被り、パーカーというラフな姿だった。
そして、その傍らにはブルドッグがいた。圭介を見るなり、「お前は誰だ?」という表情で見上げていた。
「おはようございます。毎経の深掘です」
深々と頭を下げて名刺を差し出す。
──今日も貰ってくれないだろうな。
ダメ元だったが……。
──えっ!
親指と人差し指に挟んだ名刺が抜かれる感覚があって、目を見開く。顔を上げた先の星崎の手には、確かに名刺が握られていた。
「ありがとうございます!」
心が躍る。さっきよりも深く頭を下げる。
「私も散歩にご一緒させてくださいっ!」
勝手に散歩にも便乗した。
無言のまま、星崎は歩を進める。方向的に、どうやら代々木公園へと向かっているらしい。
おい、マジでこいつ誰だよ?──。ブルドッグは主人と並んで歩く圭介を何度かチラ見する。
「朝の散歩はやっぱり気持ち良いですね」
「わんちゃん、可愛いです。何才ですか?」
話のとっかかりを作ろうとシャインの話題には一切触れずに会話を投げる。
が、反応はない。まるで圭介がいないかの如く振る舞い、公園内のコースを歩いていく。
ピタッ──。不意に星崎が足を止める。
傍でブルドックが用を足そうと一生懸命、力んでいた。無論、大の方である。目をカッと見開き、血走らせている。
コロン──。やがて出てきたのは、チョコボール状のフン。数秒後にもう一つ出すのがやっとだった。明らかな便秘だ。その事象を前に、ついこの間までペットフード業界を担当していた圭介の血が自然と騒ぐ。
「ワンちゃん、便秘みたいですね。うーん、繊維質が多いエサや食物繊維がとれるサプリを食事に混ぜてあげると改善しますよ」
そう言って、圭介は具体的な商品名を星崎に告げる。
「あと、おへそをこうやって、円を描くようにして優しくさすってください。刺激も与えてあげてください」
圭介はかがみ込んで実践した。星崎から言葉は降ってこない。
「実は僕、三月までペットフード業界を担当していたんですよ」
ここぞとばかりにアピールもしてみる。
しかし、星崎からやはり反応はない。目深に被ったキャップが陰となり表情も読めない。
代わりに反応したのはブルドッグだ。後ろ足をプルプルと震えさせながら、チョコボールを一気に三つ出した。
直立していた星崎に動く気配があった。突然屈む。パーカーのポケットをガサゴソと探り、フン取り袋を取り出していた。
「あっ……」
圭介が嘆いたのは、星崎が地面に散らばったフンをとあるもので拾い始めたからだ。先ほど渡した圭介の名刺である。
呆気に取られる圭介を尻目に、星崎は地面のフンを全て拾い上げると、何の迷いもなく、圭介の名刺とともにフン取り袋に入れた。
「ってなわけで、フン取り袋とともに、俺の名刺もゴミになったのさ」
試食会場の片隅で、苦い記憶をアイスコーヒーとともに圭介は飲み干す。
「名刺もらってくれただけでも前進ですよ。圭介さんには運がついているってことです」
コミショウはハンバーガーを頬張る。
──おい、誰が上手いこと言えと言った。
「うん。これ、スパイシーな感じとハワイアンな感じがマッチしてて、新しいですね。若者には受けるかもですよ」
コミショウは何度か頷きながら、一気に平らげる。
「あれ? 圭介さん、食欲ないんですか? 食べないなら、もらってもいいですか?」
コミショウは圭介が手をつけていなかったハンバーガーとポテトにも手を伸ばす。あっという間に華奢な体の中に収めた。
その後、二人は席を立つ。オリンピアバーガー日本法人の社長と広報との名刺交換を済ませる。会場を訪れていた複数の外食アナリストや業界紙の記者とも名刺交換をしながら談笑し、シャインに関する情報を探る。が、目新しい情報にはありつけなかった。
──そろそろ会場を出ようか。
次は新橋近くの別会場で大手牛丼チェーンの試食会がある。左手首に内向きにつけた腕時計にチラリと視線を這わせた時だった。
「おい、圭介じゃないか!」
声の方向に向く。
「ヒロッ!」
思わぬ再会に圭介は叫ぶ。
「久しぶりぃ!」
背中をポンポンと叩き合い、小型犬のように、ピョンピョンとひとしきり
「あれ? ヒロ、アメリカに半年くらい滞在するかもって、言ってなかった?」
「プロジェクトが思ったより早く進んで、ひと段落したんでな」
そう言って、ヒロは会場をぐるり見渡す。
「実はこのオリンピアの日本進出プロジェクトを担当させてもらっていたんだ。共同出資会社を作って、先月には無事に日本進出。そして今日、米国本社のCEOも招いて新商品発表会も開催できた。一区切りだ」
ヒロの表情は晴れやかだった。総合商社マンとして成功した親友を目の当たりにし、圭介は祝福しつつも内心では羨む。実は圭介も総合商社を志望していた。が、就活では全社落ちた。
「お前の方は元気か? 確か四月から外食を担当するって言ってたよな?」
ヒロともう一人の親友、カメカンとは、LINEで定期的にやり取りしている。
もっとも、流石に圭介が特ダネを盛大に抜かれた件までは知らないらしい。
「まぁ……何とか生きているよ」
圭介は歯切れの悪さそのままに硬い笑みを浮かべる。旧知の仲だ。おそらく、その微妙な表情の変化をヒロは読み取った。
「まぁ、近々、カメカンも交えて飲もうや」
ポンと圭介の肩を叩く。それから傍のコミショウとも名刺交換する。
「ちょっと打ち合わせあるから、これで。お二人とも、ゆっくりしていってくれ」
そんな言葉を残して、関係者以外立ち入り禁止の会場奥へと消えていった。
「良い友情だなぁ」
コミショウはしみじみと言う。
「そうかぁ?」
圭介は笑う。腕時計を再度見る。
──そろそろ、ここを出ないと本当に間に合わない。
出口の方に二人で歩み始めた時だった。
「あなたが毎経の深堀さんね」
突然、名前を呼ばれ圭介は驚く。振り向いた先には、見知らぬ女が立っていた。
切れ長のシュッとした目。年齢は三十歳前後か? 長い黒髪を後ろで束ねている。ヒールを履いてはいるが、それでも身長は百五十センチ前後だろう。
「私、ウィレット通信の遊田・クリスティーン・江麻と申します」
一段と声が大きくなる。周りにいた何人かの記者がこちらを向く。
「えっ……」
圭介の口から、意図せず声が漏れていた。
心臓もバクンと跳ねた。明らかに動揺していた。差し出された名刺にも、気付かなかったほどだ。
ハーフっぽい名前。ウィレットという米メディアに所属。そして、特ダネを華々しく抜いた手腕……。
そんな公開情報だけで、圭介は勝手に遊田を白人のハーフ顔の記者だと思い込んでいた。
「私も四月から外食担当になったんです」
四月から担当したばかり。同等の条件で圭介は特ダネを抜かれたということだ。胸を抉られる思いだった。
──いや、それよりも……。どうして俺が四月から外食担当になったのをこの女は知ってる?
「分からないことばかりだから、色々教えてくださいね」
ニコッと笑い、右手を差し出される。握手を求められたのだ。
──もしかして、育ちは海外なのか?
「こちらこそよろしくお願いします」
圭介も成り行き上、握手に応じる。
特ダネを抜いた記者と盛大に抜かれた記者の共演──。実に滑稽な構図となった。握手してから気付いたが、時、既に遅し。周囲の憐憫な視線が痛かった。
「じゃあ、私はこれで」
遊田はくるりと旋回し、会場の出口へと颯爽と歩いていく。
「何か済ました女で、ムカつきますね」
傍で一部始終を見ていたコミショウが吐く。
「圭介さん、ああいう女とは絶対結婚しちゃダメですよ! どうせインスタ
「…………」
一方の圭介は、呆然と去り行く遊田の背中を注視していた。
コツコツコツ──。ヒールの音に合わせて左右に揺れるポニーテールが、またも記憶のアルバムを捲る。四日前に特ダネを抜かれた日の朝。シャイン本社に出社してきた星崎の周りにできた密集。その最中、圭介の足の指を思い切り踏んだ女性記者……。
──あの女性記者は遊田だ。それに……。
「圭介さん、どうかしました?」
反応しない圭介の顔をコミショウが訝るように覗く。
『あなたが毎経の深堀さんね!』
さっき遊田はそう言った。
──記者がひしめくこの会場で、どうして俺が深堀圭介だと遊田は分かったのだろう?
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