第六章 数字は語る(1)

「おいおい、じゃあ何だ? シャインは一年も前から、国産小麦の質を下げてたっていうのか? とんでもねぇ話だな」

 パソコン画面からヒロの呆れ声が飛んでくる。勢いそのままに缶ビールを呷ると、一気に飲み干して空にした。

「これは消費者への背信行為じゃねぇか。企業体質が腐ってんな」

 赤ら顔のカメカンの顔がさらに朱に染まる。

 角谷を尋ねた翌日の夜。GW最終日のこの日。圭介の緊急招集によって、今、パソコンの画面越しで三人は集まっていた。いわゆるリモート飲みである。

「でもさ、シャインが国産小麦を使用していたのは事実だから、これを品質不正とまでは言及できない。結局、記事化も見送りさ」

 そこに圭介の陥ったジレンマが凝縮されていた。

「シャインがそういう隠蔽体質の会社だって分かっただけで大きく前進だろう。それを突き止めただけで、お前は十分に記者魂を見せたと思うぜ」

 ヒロが画面越しで称賛するように一度頷く。

「そうさ。普通、三十店もパン屋巡りなんてしないぜ。本当に圭介らしいガッツだ」

 既に赤ら顔のカメカンも、同調するようにうんうんと何度も頷く。

「ありがとよ」

 会社での評価とは対照的に、二人の親友は圭介をいつも温かく包んでくれる。その存在に心の底から感謝しつつ、「フー」と魔法の粉の苦い一件を嘆息とともに吹き飛ばした。仕切り直しとばかりに本題を切り出す。

「まぁ、ということで、二人の意見を聞きたいのは、例の開示についてだ」

 ヒロとカメカンが話の先を促すように一度頷く。

 その適時開示があったのは昨深夜。休日に企業がリリースを発表するのも異例なら、その時間帯も異例。なんと、二十三時五十五分という一日が終わる五分前だった。

 適時開示の表題は〈海外連結子会社の買収手続きについての再検証のお知らせ〉。

 それは五行にも満たない開示だった。

 休日の深夜に加えて、シャインは広報対応が事実上崩壊している。リリースに記載された電話番号に圭介は電話したが、やはり繋がらなかった。仕方なく、発表ベースで記事化した。

【手作りパン工房「モグモグ」を展開するシャインベーカリーは七日夜、二〇一七年四月に買収したフィリピンの連結子会社「シャインインターナショナル(SI)」について、買収時の手続きが適正だったかを再検証すると発表した。併せて、同日付で社内に特別調査委員会を設置した。

 シャインは一七年四月、東南アジアで冷凍パンを販売する目的でSIを子会社化した。買収金額については非公表だった。】

「五年前の買収した海外子会社にヤバい何かがあるんだろうな、きっと」

 カメカンはニヤリ笑う。ハイボール缶を呷って空にすると、ペロリと下唇を舐めた。

 企業の損失や赤字に異様な性的興奮を覚える人間だ。不敵な笑みは、会計士として香ばしい獲物の匂いを嗅ぎ取った感があった。

「追加情報は何も掴めてないのか?」

 ヒロの問いに、圭介は顔をしかめて、頭をゆっくり振る。

 圭介の脳内では、徒労に終わった今日一日の苦い記憶が蘇っていた。

「何だよ、このクソ開示は? 全く内容がねぇじゃねぇか! アサボリ、取材して俺に情報を上げろ!」

 昨深夜。開示直後に圭介に電話してきた青木の反応はいつも通りだった。

 昨夜は翠玲の自宅に泊まったから、翠玲も青木との会話の一部始終を聞いていた。

「海外子会社の買収手続きで不適切な何かがある。とは言うものの、開示内容もこれじゃね……。私もちょっと調べてみるね」

 翠玲は強張った微笑を浮かべた。

 そして今朝、圭介は星崎のヤサに向かった。が、会うことすらできなかった。ブルドッグの散歩に出てこなかったのだ。

 前日にスマホの番号を交換した角谷にも電話してみたが……。

「うーん、私の入社は三年前だしよく分からないなぁ。冷凍パンを東南アジア向けに輸出しているのは知っていたけど、海外事業は別部署の管轄だったから」

 角谷は申し訳なさそうに返した。

 それから、米山やコミショウとも、不可解リリースの件を議論したものの、疑念の谷は深くなるばかりだった。結局、圭介はシャインの件で奔走したものの、それらしい情報は掴めなかった。

 唯一、救いだったことと言えば、明日付(九日付)の朝刊が休刊だったことだ。

 編集長によっては「シャインの開示を深堀りして、一面に入れろ」と言われかねなかった。休刊日によって朝刊対応は免れた。


「シャインといえば、そういや、後輩から一つ気になることを聞いたんだ」

 唐突に口を開いたのはカメカンだ。三月期企業の監査真っ只中で、今は「超絶忙しい」らしい。この緊急の会に参加していること自体が奇跡に近い。

「気になること?」

 圭介がグッと画面に近づく。

「帝都FAS《ファス》がシャインに出入りしているらしいんだ」

「FASが⁉︎」

 意外な話の展開に、圭介とヒロの声がシンクロする。

 FASとは、ファイナンシャル・アドバイザリー・サービスの略で、主に企業のM&A支援に特化した法人である。帝都FASは、帝都監査法人系列の法人だった。

「そっ。先月中旬くらいから、シャインに出入りし始めたらしい」

「先月中旬から?」

 先月中旬といえば、ちょうど星崎が社長就任した辺りだ。

「つまり、シャインは企業買収しようとしている? FASへの依頼は、デューデリかな?」

「うーん、俺も最初はそう思った」

 「最初は」の部分をカメカンが一際強調する。

「だが、違うと思う」

「違う?」

「ああ」

 カメカンは、蛇のようにペロリと舌なめずりしてから告げる。

「動いているメンツからして、おそらくはフォレンジックだと思う」

 フォレンジックは、企業不祥事の調査である。近年、会計不祥事が多発している日本では、引き合いが強くなった。

「フォレンジック⁉︎」

 圭介の鼻の付け根の皺が寄る。

 ──まさか……。

 カメカンの言わんとしていることに気付き、圭介の息が止まる。

「おいおい、カメカン! まさか、今回のこの海外子会社の開示にも、つながるとか言い出すんじゃねぇだろうなぁ?」

 圭介の考えを言葉にしたのはヒロだ。画面から飛び出してきそうな勢いで問う。

「俺はその可能性もあると思っている」

 カメカンは肩をすくめる。「思っている」と言いながら断定口調だった。

 日々、企業の会計不祥事の可能性に目を光らせる男の嗅覚とでも表現すべきか? これまでも何度もカメカンの勘は当たった。そのカメカンがシャインの新たな不正の可能性を指摘しているのだ。

「帝都FASは、ウチの系列なんだが別会社でな。情報は遮断されているんだ。悪いな」

 カメカンは申し訳なさそうに言ったが、手がかりすら掴めていなかった圭介にとっては、大きな前進である。

「カメカン、ホントにありがとな」

 ただでさえ、守秘義務が問われる会計士という職域を超えて、友としてカメカンはこんなにも協力してくれている。圭介にはもう十分すぎた。

「なぁ圭介」

 不意に言葉を挟んだのはヒロだ。

「そういや、この海外子会社の本社って、フィリピンのマニラだよな」

「ああ、そうだけど……」

 しばし思案の間を挟んで、ヒロの指摘しようとしたことに圭介も気付く。

「いや、一年前に創業者の輝川龍造さんが搭乗していた飛行機は、確かマニラ発だったなと思って。なぁ圭介、一年前に龍造さんはこの会社を訪ねるために、マニラに行ったってことはないか?」

 圭介は押し黙る。有価証券報告書を穴の開く程見たから分かる。フィリピンには、他にシャイン関連の会社はない。

「そして、その帰りに……」

 ヒロはその先の言及を避ける。

 圭介の網膜では、黒煙を上げながら海上で激しく燃え上がる航空機の残骸が映っていた。

「つまり、このシャインインターナショナルは、一年前の龍造さんの死にも関連する可能性がある?」

 カメカンが渋面で言う。

「まさか航空機が墜落したのも?」

 圭介は真剣な面持ちで発する。

「いや圭介、それは流石にない。映画の見過ぎだ。今は相当、航空会社のテロ対策のチェックは厳重だ」

 世界中を飛び回るヒロが苦笑いを浮かべて、否定する。

「確かに……」

 圭介は頭を掻く。

「圭介、実は俺、今週、東南アジアに出張するんだ。運が良いことにマニラにも行く。時間を作って、どんな会社か見てくる」

「二人とも、本当にありがとう」

 圭介は画面越しの親友二人に向かって、深々と頭を下げた。

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