第三章 嵌められた御曹司たち(3)

「こんなフライデーナイトになんやねん? 第七グループの皆さん、揃いも揃って」

 二十三時半。東京本社十階会議室。待ち構えていた圭介とコミショウ、米山の姿を見た瞬間、巻は顔をしかめた。

 金曜日特有の開放感は一切ない。ここにあるのは、ピリリとした緊迫した空気のみだ。

「巻さん、お呼び立てしてすみません」

「ホンマやで、俺は企画記事を仰山抱えていて忙しいのに」

「こっちは、あなたのせいで、もっと忙しいので、出来るだけ早く済ませます」

 ──皮肉の一つでも言ってやらなきゃ、やってられない。

 長机越しの正面に巻が座ると、圭介は単刀直入に切り出す。

「巻さん、やっぱり、あなたはシャインの重要情報を僕に引き継いでいませんでしたね」

 その瞬間、巻は口角を上げる。蛇の如く、舌で唇を軽く舐めてから返す。

「重要情報? 何のことや?」

「巻さん、惚けるのは辞めてください! 私たち、もう全部知っています。四野宮さんから全部聞きました!」

 左の隣席のコミショウが吠える。巻が来る前から荒ぶっていたがエンジン全開だ。四野宮が情報の出所であるのを明かしてしまった。


 今から数時間前。圭介とコミショウは、三月に起きた巻と輝川誠のトラブルの全容を知った。

 四野宮邸近くの森林公園。そのベンチで、小一時間、四野宮から「聴取」した内容は想像以上だった。

 すぐにコミショウと共に東京本社に帰社し、キャップの米山にも報告。米山の助言もあって、巻をこの会議室に呼び出したのだ。

「あなたと誠前社長は度々、会食を共にするなど非常に親密な仲だったと聞きました。現に巻さんがシャイン担当だったこの一年間、昨年の六月と九月、十二月の計三回、本紙や別媒体で、誠社長のインタビューを掲載しています」

「そりゃあ、お読みいただいてどうも」

 巻には依然として余裕があった。

「ですが、年が明けた頃から誠社長の周辺が騒がしくなります。星崎氏が誠さんの社長解任に向けて動き始めたからです」

「へぇ、そうなんや」

 巻の口調はまるで他人事だった。

「そして三月上旬。ついに星崎氏は誠さんに告げます。『今年の株主総会で社長を退いて欲しい。保有する十五%のシャイン株も全て売却して欲しい』と」

 浮かび上がったのは、東洋キャピタル出身の星崎が誠の解任に向け暗躍していた事実だ。

「誠さんは当然、星崎氏のこの辞任勧告に徹底抗戦しました。連日、シャイン四天王とされる主要幹部を交えて対策を協議していたそうです。三月上旬には、巻さん、あなたにも今回の騒動を打ち明けたんですよね?」

 圭介は体を前に傾けて、物語の核心へと迫っていく。

「三月の段階で、既に外食担当は僕に変わると決まっていました。そして、三月下旬にあなたは引き継ぎをしてくれました。ですが、引き継ぎの最重要事項として、真っ先に伝えるべきシャインの話はありませんでした」

 圭介の腹の底から泉のように怒りが湧き出てきて、声が震える。

「問題はそれだけではありません。あなたは、僕だけではなく、誠さんも裏切ったんです。あなたは当初、非常に親身になって、誠さんの話を聞いたそうですね。『早速、上に報告する。是非、紙面で取り上げさせて欲しい。それまでは他社には絶対に言わないで欲しい』そう発言もしたらしいですね」

「そんな、紙面掲載を保証するような発言するわけないやん」

 うすら笑みを浮かべたまま巻は呆れ口調で返す。

「誠さんはあなたを信頼していた。だから、律儀にも他社にはこの件を一切漏らさなかった。ずっと取り上げてくれるのを待っていたそうです。『毎経が報じれば、この乗っ取り劇の横暴さに世論も同情してくれる』そう信じて、今か今かと掲載を待ちわびていた。なのに……」

 物語は悲劇へと転回していく。

「あなたは突然、四野宮さんに電話をかけて、こう言い放ったそうですね。『社内協議の結果、この件は後任の深堀記者が担当する。近く本人から電話が行くと思いますんで、今後は彼とやりとりしてください』と。そして、その電話を最後に、二度とあなたはシャイン関係者からの電話に出なかった」

 キッと、圭介は眼前の巻を睨みつける。

「僕から四野宮さんに電話が行く? あなたはシャインの代表番号しか教えてくれなかったじゃないですか。それに引き継ぎの際、本社に挨拶に行こうとした僕にこう言いました。『深堀君、シャインは十四日午後に新商品発表会を予定してる。そこに輝川社長も出てくるから、挨拶はそん時でええんちゃうか?』と。僕はあなたの助言を信じてしまった。そして十四日朝、僕は特ダネを抜かれました……」

 圭介は下唇をギュッと噛む。網膜にはあの日の屈辱が蘇っていた。

「あまりにもやり方が汚くないですか⁉︎」

 そう問うた圭介の声はやはり震えていた。

 しばしの沈黙を挟んだ後、ようやく巻は言葉を発する。

「深堀君さ、今言ったこと証拠はある?」

「はい⁉︎ だから、四野宮さんが……」

「四野宮さんが全部口頭で発言しているんやろ? メールや音声データ、何か確たる証拠はあるんかと俺は聞いてるんや?」

「いや……それはないですけど……」

「じゃあ、ちゃんと証拠を示してくれや」

 圭介は軋むほどに奥歯を噛み締める。

「そもそも、創業家側をどうして深堀君はそんなに信頼しているわけ? 四野宮さんには今日、初めて会ったんやろ? 話をでっち上げている可能性は考えないわけ?」

 論点のすり替え。そんなことは圭介にもわかっている。なのに、巻への反証が思い浮かばず、圭介は膝に置いた拳をギュッと握る。

 バンッ!──。

 その時だった。物凄い音と共に、圭介の目の前の長机が弾む。震源地は右隣の席。米山だった。右拳で机を叩いていた。

 米山は巻が入室してからというもの、やり取りを静観していた。が、ついに動いた。

「巻君! さっきから君の態度は一体何だい! はっきり言う。僕は深堀君の今日の話は信用に足ると考えている。君が深堀君にシャインの重要情報を引き継ぎしなかったと思っている」

 普段、温厚な米山からは想像できないほど言葉に怒りが滲んでいた。

「当時、君のキャップだった僕も初耳の情報ばかりじゃないか。これは、僕への報告義務も怠ったことにもなるんだよ」

 米山は第七グループのキャップで、三月までは巻の直属の上司だった。

「深堀君と小宮山さんはこの件を知ったばかりで、確かに今は明確な証拠はないかもしれない。だが、この件はきっちり明らかにさせてもらう。その際には、上にも報告して、君にきっちり責任を取ってもらう。いいね?」

 有無を言わさぬ口調で米山は宣言する。

 巻の顔からはうすら笑みが消えていた。圭介には不貞腐れているようにさえ見えた。

「話はこれで終わりですか? ほんまに無駄な時間過ごしたわ」

 巻は舌打ちをしてから席を立つ。

「巻さん、逃げないでください!」

 ドアに向かって歩み始めた巻に、コミショウが追撃をかける。だが──。

「だから、俺は暇じゃないねん。まだ十四版だって終わってへんし、仕事もたくさん残っとるんや」

 三人の冷たい視線を背に浴びたまま巻は退出する。ドアに手をかけたその時だった。

 巻はゆっくりと振り向く。三日月型に目を細めて、再びうすら笑みを作っていた。

「てか、あなた方、三人は大丈夫なんやろか? この間も『特オチ騒動』で、あんな大立ち回りして。プライドを傷つけられた東経側は相当怒ってますやん。今後のシャインの報道次第では、責任取るのはあなた達かもしれへんなぁ」

 そんな捨て台詞を残し、ドアの向こうに消える。その一言で、巻が毎朝出身であることを圭介は思い出した。

「また派閥の話か……本当にくだらない」

 自らも毎朝出身である米山が嘆息混じりで呆れる。圭介とコミショウも賛同するように大きく頷いた。

「二人には嫌な思いをさせて本当にすまないね。元上司として、巻君の行動を心より詫びるよ。本当にすまない」

 そう言って米山は席を立ち、圭介とコミショウに深々と頭を下げた。

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