第三章 嵌められた御曹司たち(2)

「ちょっと左遷にも程がありませんか?」

 コミショウがコーヒーを啜りながら、傍の圭介に問う。

「うん、六月までは仮にも取締役だよな?」

 圭介はコーヒーの苦味を再確認するように顔をしかめる。

『だって、ウチの本社の下のモグモグで、今、店員さんとして働いているもん』

 にわかには信じ難かった沙希の情報。結果的にいうと、それは真実だった。

 大手町の九条物産東京本社。その地下に広がる飲食街の一角に「モグモグ大手町店」はある。商品棚には、焼きたてのパンが陳列され、芳醇な香りは地下通路をも満たしていた。店内にイートインスペースはない。テイクアウトのみだが、土地柄、ビジネス客が多いためか、客足は旺盛だ。

 そんな活気に満ちた店内で、レジ打ちの初老の男だけが明らかに浮いていた。カメレオンを彷彿とさせるギョロ目。ちぢれた髪質は、株主総会の招集通知にあった顔写真そのもの。胸の名札には、丁寧にも〈四野宮〉という名前もあった。

 圭介は先程、偵察がてらコミショウと共にパンを購入してきた。

「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしています」

 四野宮は驚くほど棒読みで、またの来店を促した。今にも舌打ちしてきそうな態度で、圭介はコミショウと顔を見合わせたほどだ。


 そして今、圭介は地下通路を挟んだ向かいのカフェにいる。窓際の席からモグモグの四野宮を観察していた。

「で、圭介さん、これからどうします?」

 まだ十時過ぎで開店したばかりだ。

「おそらくは、しばらくは四野宮さんもここにいるだろう」

「じゃあ、四野宮さんが業務を終えたら、声をかけます?」

 ──やっと掴んだ創業家側の幹部の所在だ。逃したくない。

 しばし考え込んでから、圭介は決断する。。

「出てきてすぐに当たるのはよそう。人目も多い上に、警戒されて明日からこの店舗に来なくなってしまう可能性もある。ヤサを突き止めないか」

「なるほど。尾行ですね」

 コミショウが囁く。圭介は頷き返す。

「もし手が空いていたら、コミショウにも手伝って欲しい」

「もちのろんです」

 コミショウはニッと笑う。

「何時集合にしますか? 服装や持ち物の指定は? バナナはおやつに入りますか?」

 遠足に行く子供のようなテンションで、コミショウが問うてくる。

「そうだな……」

 そこで、圭介はまたもや思案する。コーヒーを一口飲んで、四野宮の方に視線を向ける。

 ──四野宮さんは何時に業務を終えるだろうか?

 そこで思い出したのは、先ほど店内で見た張り紙だ。壁に〈アルバイト募集〉の紙が貼ってあった。

〈営業時間:十時〜二十時(早番:九時〜十八時、遅番:十二時〜二十一時)。週三日からOK〉

 ──おそらく……今日の四野宮さんは、早番のシフトで働いている?

「俺の勘だけど、四野宮さんは十八時くらいまでは働くと思う。だから、十七時にこのカフェに再び集合で良いかな? 服装はそのままで良いよ。ただ、走るかもしれないから、靴はスニーカーとか走りやすいやつで。あと、Bluetoothのイヤホンも必ず持ってきて。それと……バナナはおやつに入ります」

「了解です!」

 コミショウは爛々と瞳を輝かせ、敬礼のポーズを取った。

「俺は二件目の取材が終わり次第、ここで張り込むよ。十六時にはいると思う。朝刊用の原稿を書きながら、気長に待つとしよう」

「了解です。私は十六時に大宮での取材が終わるので、終わり次第、駆けつけますね」

「ありがとな」

「いえ。圭介さん、今日も一日、バイブス上げていきましょう!」

 コミショウは、気合を入れるように拳を掲げた。


 ──あくまでも声をかけるのは自宅前だ。 八時間後。今、圭介とコミショウは四野宮を尾行している。圭介の予想通り、四野宮は十八時に業務を終えて、出てきた。

「マルタイ、丸の内線に向かっています」

 左耳のBluetoothイヤホンからは、声を絞ったコミショウの声が聞こえる。

 尾行の際、カップルを演じたり、変装したりする場合もある。が、今回は帰宅ラッシュと重なる。見失わないことが第一であり、演技や変装は必要なさそうだ。互いに距離を取って、別々で四野宮を尾行していた。

「東京駅で乗り換えですね。マルタイ、高崎線に乗ります」

「了解。八号車の三番ドア付近にマルタイは乗車。コミショウは二番ドアから乗車を」

「了解です」

 周りに人がいる時は、メッセージでやり取りをする。

〈埼玉方面に向かっている?〉

〈みたいですねぇ。自宅ですかね〉

「マルタイ、大宮駅で降車!」

「了解です。三時間ぶりの大宮です」

「マルタイ、エレベーター前で待機。俺が乗る。コミショウは地上のエレベーター前に先回りを」

「了解です」

 四野宮が尾行に気付いてる様子はない。

 大宮駅からは帰宅客でごった返すバスに乗った。揺られること二十分。降車したのは、閑静な住宅街が広がる地域のバス停である。

 見失わない程度、怪しまわれない程度の距離を保ちながら、コミショウと共に追う。

 歩くこと五分。四野宮がゴソゴソと何やらバッグを探り始めた。

「圭介さん」

 コミショウが囁く。彼女の意図することを理解し、圭介は一度大きく頷く。

 ──あの動きは家のカギを探す際の特有の仕草だ。

「私は近くで待っています。御武運を」

 コミショウは不意に歩みを止めて、薄暗い夜道に同化して離脱する。

 ──出来るだけ踵の音を鳴らさないように。

 圭介は十メートル先の四野宮との距離を一気に詰める。

「シャインベーカリーの四野宮様ですね?」

 四野宮が門扉に手をかけた瞬間を見計らって、圭介は声をかけた。

 その瞬間、四野宮はビクンと跳ねた。恐る恐るといった感じで振り返る。しばし、大きな目を見開いたまま固まった。

 透かさず、圭介は懐から名刺を取り出す。

「毎朝経済新聞社の深堀と申します。新担当として、御挨拶に伺いました」

 ──この際、用向きは何でも良い。

 反応はない。代わりに、名刺と圭介の顔を何度か視線が行き来する。十秒ほどの沈黙を挟んでから、四野宮はようやく声を発する。

「俺はもうシャインの広報じゃない。あんただって、それは知ってるだろう?」

 表情には失意が滲んでいた。それから顔をしかめて、舌打ち混じりで続ける。。

「それに、あんたら毎経と関わると社長が良い顔をしないんでね」

 ──社長? 星崎のこと? いや、違う。

「良い顔をしないと言うのは、輝川誠さんのことですか?」

「そうに決まってるだろ! 誰が星崎なんかを社長と呼ぶか。俺は先代と誠さんしか社長とは呼ばない!」

 その言葉だけでも、現社長の星崎への憎しみの濃度がうかがえた。

「どうして誠さんは良い顔をしないのでしょうか?」

 本当に圭介には疑問だった。

「今更、惚けるなんて随分、都合が良いなあんたも」

 カメレオンの顔が赤みを帯びる。今にも舌を出して攻撃しそうな剣幕だった。

『今更なんですか?』

 その瞬間、前日に誠が発した言葉が、閃光のように脳を貫通する。

 話はこれで終わりと言わんばかりに、圭介に背を向け、門扉に再び手をかける。

 ──まずい。何としても引き留めなきゃ!

「待ってください! 一体、何のことですか⁉︎ 実は誠さんのところにも、昨日伺いました! その際も同じようなことを言われて拒絶されました!」

 近所迷惑など気にしない。むしろ、迷惑がって足を止めてくれれば御の字だ。案の定、振り返った四野宮は、声を張り上げた圭介に、批難めいた表情をしていた。

 圭介は核心をつく。

「前任の巻と御社……いや、誠さんの間で、何かあったのではないですか?」

 前日の誠の態度から何となく思っていた。

 四野宮の目に怒りの炎が灯る。下唇も噛み締め、鼻から空気を一気に吐き出す。

 ──図星か。

「巻からは、輝川誠さんのヤサ以外、引き継ぎを何も受けていません。本当です。それなのに、誠さんに強く拒絶をされていて、自分でも訳が分からないんです。せめて、何があったかだけでも、教えていただけないでしょうか。お願いします!」

 圭介は深々と頭を下げる。

「本当に……何も知らないの?」

 しばらくして頭上に降ってきたのは、四野宮のそんな言葉だった。四野宮には逡巡が見てとれた。

 ──もう一押しだ。

 記者としての圭介が一計を案じる。

「四野宮さんがいなくなってからのシャインの広報は酷いです」

 もっとも、この言葉は本音でもあった。

「ご存知の通り、今、シャインの広報は代行業者になりました」

 そう。窓口は広報代行会社が担っている。広報機能を外部委託するのは異例である。そして問題は、これがまるで使い物にならないことだ。

「代行業者からは、通り一辺倒の回答しか返ってきません」

 意図的なのか? それとも能力不足なのか? とにかく、シャインの広報機能は崩壊していた。

「四野宮さんのような優秀な人材がいなくなった代償はあまりにも大きいです」

 四野宮が優秀かどうかは知らないが、「優秀」の部分をことさら強調した。褒められて嬉しくない人はいない。現に一旦は完全に玄関の方に向いていた四野宮の体が、圭介の方に向き直っていた。

「お時間は取らせません。巻との間に何があったかを教えていただけませんか?」

 ──ここが勝負!

 圭介は再び深く頭を下げ懇願する。

「あんたもしつこいな……」

 圭介の後頭部に言葉が降ってくる。ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その口調は穏やかだった。ゆっくりと顔を上げた圭介に、四野宮は嘆息してから言う。

「ちょっと着替えてくる。ここから五分くらいの森林公園の時計台の下のベンチで待っていてくれないか?」

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