第三章 嵌められた御曹司たち(1)

 四月二十一日木曜日。圭介がシャインの特ダネを抜かれてから、ちょうど一週間が経った。二日前には特オチ疑惑までかけられて、クビの危機に瀕したが、圭介は今日も何とか担当を続けられている。

 今朝も五時に星崎のヤサに向かい、ブルドッグの散歩に同行した。一切会話はなし。またもや圭介の名刺がフンの処理用スコップとして大活躍した。一つだけ進展したことと言えば、ブルドッグがすこぶる快腸で、圭介に懐きつつあることくらいだ。


 そして今、圭介は輝川誠宅前にいる。ここに来るのは三度目だ。

 ──今日こそは直接、名刺を渡したい。

 そんな願望を胸に抱き、ここに立っている。

 朝七時。通勤や通学の住民とすれ違うが、皆、朝特有の気だるさをまとい、電柱と同化する圭介に気付く者はいない。ぼんやりと輝川邸を眺めながら、網膜には午前三時に配信されたウィレットの記事が映し出されていた。


〈2022/04/21/3:00 【独自】シャイン創業家、伝統重視か 株主提案で独自取締役候補〉


 あの特ダネ抜かれ以来、午前三時前に起きて、ウィレットを確認するのが日課となった。

 ピコン──。今朝、実家の自室で、眠い目を擦っていた圭介の社用スマホが通知音を放った。

 一週間前、特ダネを抜かれたのと同じ時間。寝ぼけ眼が最初に捉えた画面の文字は「独自」と「シャイン」の文字。その瞬間、バクンと心臓が跳ねた。

 ──また抜かれた!

 一気に目が覚めて、本文を貪り読む。

 しかし、読み進むにつれて、心臓の鼓動は正常に戻る。

・五期連続最終減益という厳しい業績。

・年々、シャイン株を買い増して筆頭株主になった東洋キャピタルの存在。

・星崎氏による事実上の解任劇。

・創業家側の取締役候補の顔ぶれ。

 記事は前日の朝刊で圭介が書いて青木から酷評された内容の二番煎じ。遊田の記事には、目新しさが全くなかった。

「これのどこか独自なんだよ……」

 リビングで朝食のパンを頬張りながら、圭介は思わず吐いていた。


 誠宅の前に来て二時間が経過した午前九時。高級住宅街をぐるりと周回してみる。

 ──大丈夫。他社は来ていない。

 主要企業の三月期決算発表がそろそろ始まる。シャインは創業家が動いてプロキシー・ファイトに突入したものの、その結果が分かるのは六月下旬に開催予定の株主総会である。

 人員も限られる全国紙の経済部記者たちは、五月中旬までは決算取材に精を出す。一旦は休戦とみて良いだろう。

 唯一、警戒すべきは──。切れ長のシュッとした目が特徴のポニーテールの女性。網膜にはウィレットの遊田が映し出されていた。

 二日前。兜倶楽部に創業家側がリリースを投函した際も、ウィレットはその発表を一番に報じた。しかもその文量は三コマ。他社は速報性を重視して一コマだったのに対して、ウィレットの遊田は一番早く速報したのに、一番内容が充実していた。

 遊田の記者としての能力の高さをまざまざと感じた圭介だったが……。

「ウィレットの遊田記者は、あらかじめ、創業家側の発表内容を知っていたってことはないかな?」

 電話越しで翠玲がふと発した一言は、喉に刺さった魚の骨の如く、ずっと引っかかっている。

 誠と遊田が蜜月な関係にある可能性は考えてはいた。が、今回の特オチ騒動を経て、確信めいたものに変わりつつある。

 誠についても疑問が尽きない。

「おいアサボリ! この創業家のボンボン御曹司は、どう会社を変えていきてぇんだ?」

 創業家側の独自の取締役案に対して、青木はそう問うてきた。

 創業家側の取締役選任議案は次の通りだ。


 ①新任→輝川誠代表取締役社長・三十一歳【創業家、第二位株主、前代表取締役社長】

 ②再任→大鷲康弘やすひろ常務取締役・六十一歳【シャイン前財務部長】

 ③再任→四野宮機一取締役・六十四歳【シャイン前広報部長】

 ④再任→常盤つとむ取締役・六十二歳【シャイン前商品開発部長】

 ⑤再任→中村光昭みつあき取締役・六十三歳【シャイン前海外事業部長】

 ⑥新任→鴨崎議範社外取締役・六十四歳【わかば銀行頭取】

 ⑦再任→榎本正明えのもと・まさあき社外取締役・六十一歳【カトレア珈琲社長】

 ⑧再任→内海愛うちみ・あい社外取締役・四十五歳【フリーアナウンサー】

 ⑨再任→大川内稔哉としや社外取締役・六十六歳【帝国ビバレッジ社長】

 ※【】は肩書き。


 現在の取締役の七人を再任し、現社長の星崎は排除。新任候補は社長復帰する誠と社外取のわかば銀行頭取の二人だけだ。

 会社をどう変えるかというよりも現状維持に重きを置いている布陣に思えた。

「シャインは五期連続最終減益なんだろ? 既存店も振るわねぇ。それが原因で、星崎は解任に動いたんじゃないかってのが、お前の見立てなんだろう? じゃあ、この御曹司のボンボンは、六月に仮に社長に復帰したら、何をやりてぇんだよ⁉︎」

 悔しいがド正論だ。「若頭」の異名に恥じない剣幕で詰められるほどに、圭介は返答に窮した。

「アサボリ! 発表資料をそのまま記事にしたって意味ねぇんだよ。しっかり関係者に当たって、付加価値を高めてこその新聞だろうよ。違うか? 問題定義してこそ、新聞記者だろう」

 青木のその言葉は今も圭介の頭蓋で反響している。

 ──輝川誠は社長復帰したら、会社をどう変えていきたいんだろう?

 それを探るためには、まず直接会って挨拶しないことには始まらない。


 さらに待つこと一時間。十時を過ぎた頃、ようやくそのチャンスは巡ってきた。重厚な洋風門扉がその荘厳さを誇示するように、ゆっくりと開く。その先から男が出てきた。

 凛とした鼻筋に意志の強さを感じさせる眉。ウェーブのかかった黒髪の間からは二重瞼の目が覗く。間違いなく誠だった。

 黒いタートルネックにデニムパンツ。靴はスニーカー。クラッチバッグを脇に抱えた姿は、老舗パン企業の創業家というより、新進気鋭のベンチャー経営者を彷彿とさせる。

 誠は圭介の姿を視認した瞬間、目をスッと細める。

 圭介は笑みを浮かべて歩み寄る。深々と一礼をしてから、両手で名刺を差し出す。

「毎経新聞の深堀圭介です。ご挨拶に伺いました」

 が、誠の反応は芳しくない。眉間に皺を寄せて、明らかに不機嫌な表情だった。ウェーブのかかった髪の間から覗いている瞳には、憎悪の炎が揺れている……気がした。

「あの……」

 圭介はそれ以上、言葉を紡げず固まる。

 代わりに動いたのは誠だった。

 ガッ──。圭介の差し出した名刺を勢い良く奪い取る。紙の摩擦で、親指の付け根に鋭い痛みが走る。

 ──痛っ!

 思わず顔をしかめて、親指の付け根を確認する。皮膚が裂かれ、切れ目は真っ白になっていた。やがて、ゆっくりと血が滲む。

 ──何だよ、こいつ!

 圭介は非難がましく見つめる。

 クシャクシャ──。紙を丸めた際の特有の音を鼓膜が拾う。誠の右手に目が奪われる。拳の中で名刺が悲鳴を上げていた。やがて、広げられた手のひらの上には、無惨に丸められた圭介の名刺が現れる。ポイッと、それを圭介と自らの間の地面に捨てた。

 ──なんてことを……星崎社長も毎回、フンまみれにして捨てるけどさ、こっちの方が傷つくよ……。

「今更なんですか?」

 呆気に取られ、立ち尽くす圭介を尻目に、怒りに満ちた表情で誠は問う。

 ──今更?

 首を傾げた圭介をさらなる怒声が貫く。

「もう二度とウチには来ないでください! 迷惑なんですよ! 次来たら、警察に通報しますからね!」

 ピシャリと言うと、誠は圭介の横をすり抜け、五反田駅に繋がる坂道を下っていった。

 圭介は誠の背中が見えなくなるまで、見送るしかなかった。


「お兄ちゃん、今日は早いねぇ」

 それから十時間後の二十二時。実家のリビングで、シャインの関連資料を広げていた圭介に、帰宅した妹の沙希さきが話しかけてきた。

 総合商社二位の九条物産の総合職を記念受験して、見事に内定。商社マンを志望したものの就活に失敗した兄を失意のどん底に突き落とした過去を持つ。今は食品の原料調達を担う部署にいるらしい。

 圭介はこの日、某外食企業広報との会食を終えて、そのまま直帰していた。今朝の件もあって、再度、誠宅に夜回りをかける訳にも行かず、自宅で一人、作戦を練っていた。

「あれ、これモグモグのパンじゃん! どうしたのこんなに? もらってもいい?」

 リビングのテーブルには今、大量のパンがあった。尋ね口調ではあるが、沙希はそのうちのパンの一つを既に頬張っていた。

 そして、自らも圭介の横の席に座った。

 ──相変わらず凄い距離の詰め方をしてくるな、こいつ。

「行きつけのシャイン系列のパン屋があって、そこで夜食用に買ってきたんだ」

 無論、ベーカリーカフェバー・シャインのことである。沙希はブラコンである。父が亡くなって以降は、その傾向が強くなっている気がする。就活も圭介を真似て、総合商社を受験したくらいである。

「じゃあ、私もそのパン屋さん通っちゃお」 と言い出しかねない。

 ──しかし、あの憩いの場だけは、教える訳にはいかない。

「うわー、めっちゃ美味しいね。小麦の風味が凄い。味も濃厚。これ、めっちゃ質の高い国産小麦を使っているよ。私がたまに行っているモグモグとは、全然味が違うもん」

 ──店によって味が違う? そもそも国産小麦百%がシャインの売りのはず。さては、こいつ何も分かっていないな。

 圭介は内心で苦笑する。

 その後も何かと話しかけてくる沙希。取材も難航する中で、今は沙希の存在が一層煩わしく思えた。手元の資料をペラペラと捲って、仕事が忙しいアピールをする。が、沙希はますます椅子を近づけて首を伸ばす。

「あれ、お兄ちゃん、何を読んでいるの?」

 いつの間にか、二つ目のパンであるツナマヨパンを頬張っていた。

 ──それ、俺が楽しみにしていたパンなんですけど……。

「そんなにおじさん達の写真を食い入るように見て、好きな人でもいるの?」

 揶揄うように聞いてくる。

 ──マジでどっかに行ってくんないかな?

「これは昨年の株主総会の招集通知。今、この中の誰かに接触できないかと見てんの!」

 思わず語気が強くなる。

「あっ!」

 沙希が不意に声を上げる。ある取締役候補の顔写真の上に、人差し指を置いていた。

「私、このおじさん知っているよ」

 ──えっ⁉︎

 ギョロリとした目に、ちぢれ毛が特徴の男の顔写真だった。名前の欄には〈四野宮機一〉とあった。

「四野宮さんを知ってる? なんで?」

 圭介は前のめりになって尋ねる。

 沙希はいたずらっ子のような笑みを浮かべて答える。

「だって、ウチの本社の下のモグモグで、今、店員さんとして働いているもん」

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