第三章 嵌められた御曹司たち(4)
週が明けた月曜日。朝五時の変わらぬ日課。圭介は今、星崎のブルドッグとともに代々木公園を散歩している。今日も星崎はベースボールキャップにパーカー、チノパンというラフな装いだった。
相変わらず会話はない。他社を警戒しつつ歩く圭介の様子は、さながらSPだ。
──あの頭の中を覗けたらな。
前を歩く星崎の後頭部当たりに視線を這わせる。圭介はこの数日間で、星崎に関する二つの追加情報を得ていた。
一つ目は巻と衝突したあの夜。米山とコミショウとともに神田のバルで軽く一杯やっている時だった。
「実はここだけの話なんだけどね……」
周りの酔客を警戒しつつ、米山は声を絞る。
「帝国ビバの大川内社長に、それとなく星崎社長について聞いてみたんだけど、強硬なやり方をあまり良くは思っていないらしい」
大川内はシャインの社外取締役でもある。
「つまり大川内社長は創業家派ですか?」
圭介はウーロンハイを片手に問う。
「うん。大川内社長は、創業家側が出した株主提案の社外取締役候補にも名を連ねていたし、おそらく創業家側だろうね」
「らしい」や「だろう」という言葉から、米山自身も大川内への取材に苦心しているのを圭介は悟り、申し訳なく思う。
帝国ビバはシャイン株の三%を保有する大株主だ。シャイン店舗で提供される飲料や酒類は全ては帝国ビバの「エンパイア」ブランドで蜜月な関係にあり、帝国ビバがどんな動きを見せるのかを圭介も注目していた。
しかし、米山の話を整理すると、おそらく帝国ビバは創業家側につく公算が大きい。
圭介の脳内にプロキシー・ファイト(委任状争奪戦)のスコアが現れる。
星崎社長側(二十%)対創業家側(十五%)のスコアが更新。星崎社長側(二十%)対創業家側(十八%)に変わった。
二十対十八で、ほぼ拮抗である。
──星崎社長はどう戦うのだろうか?
あの夜の回想から現実世界に戻る。
星崎が足を止めていた。その傍で、ブルドッグが力み出していた。圭介も透かさず屈む。
「よしよし」
このところ、こうやって、お腹をさするのが圭介の役割となっている。
──いっそのこと、次の株主総会で〈社外取締役ブルドッグ世話担当〉という役職で、俺を入れてくれないかな?
内心で軽口を叩く。
「星崎社長、他社から『東経の
ブルドッグの用足し中、圭介の鼓膜に蘇ったのは、昨夜の翠玲の電話だ。
翠玲によると、星崎は東経時代に企業調査部に所属していたらしい。圭介の所属する企業部の前進の部署である。特ダネを連発していた将来有望の記者だったらしい。
「そんな敏腕記者が、どうして十三年に退社をしたのさ?」
電話越しの翠玲が口をつぐむ。逡巡の間を挟んでから発したのは、予想外の理由だった。
「それが……職業規則違反で辞めたらしいの。どうやら、セ・パ両リーグ関連みたい……」
「星崎さんがセクハラとパワハラ⁉︎」
「うーん、それが噂ベースではっきりしないのよ。実際、皆、何で辞めたか知らないの。それくらい急に辞めちゃったって。記者として一番脂の乗った時期に辞めたから、当時は東経社内でも話題になったらしいけど、上層部によって情報は遮断されたらしいの。噂のみが浮遊しているみたい……」
──東経を辞めた理由が何か聞きたい……。
星崎の顔を見上げる。関係性を築けていないことがじれったい。
──星崎社長は四十七歳で、青木デスクは四十四歳。共に東経出身だから、もしかしたら青木とは面識がある?
青木はこの土日も電話をかけてきて、シャイン取材の進捗について問うた。が、巻の一件を口にする気にもなれない。そもそも、青木が親身になって対応するとは思えない。
「アサボリ、テメェ、何やっていた? そんなんじゃ、また負けるぞ!」
案の定、青木には電話越しで詰められた。
何だか青木のことを思い浮かべていたら急にむしゃくしゃしてくる。
──どうせ星崎社長は反応してくれない。
そんな投げやりの気持ちも後押しして、
「星崎さんも東経だったんですよね? 青木俊一って知っていますか? おそらく、星崎さんの後輩だと思うんですけど、今、僕の担当デスクなんです。いつも怒鳴られています。あの人は、昔からああなんですかね?」
星崎に問うというよりも、それは内心で膨張してきた青木への不満を吐き出すための行動だった。当然、反応など期待していない。
ブルドッグは今日も快腸。圭介の名刺がスコップ代わりに使われる。星崎が圭介と同じ目線の位置に屈んだその時だった。星崎の口元がやや上がっていた。
──あれ? この人、今笑った?
星崎は全てのフンを拾い集めて、袋に収める。立ち上がって、再び歩み始める。
圭介は初めて反応らしい反応があったことに驚き、立ち上がるのを忘れていた。遠ざかる星崎の背をしばらく見つめていた。
その後、フランチャイズ(FC)オーナー二人にも取材した。
十一時。関東圏でモグモグ二十二店を展開する岩橋という初老の経営者に千葉までコミショウと取材に行った。
岩橋はいかに誠が誠実で、星崎が横暴であるかを熱弁していた。
「先代の龍造さんに似て、誠社長は誠意のある人間だった。社長在任中もね、ウチの店舗を三度訪れて、視察してくれたんだ。『お気遣いは結構です』と、出された茶菓子などには一切手を出さなかった。社長の鑑だよ」
一方、星崎の話題になると表情が変わる。
「星崎というハゲタカは、社長就任の挨拶すらない。こっちから本社に連絡したら『オーナー様は方針が決まるまで待ってほしい』の一点張りだ。こっちは二十年もFCを続けてきたのに誠意が全く感じられないよ。ウチは一万株くらいしか持っていないけど、早速、誠さんに委任状を送付したよ」
議決権の割合で見れば大した数ではない。
一方、こういったFCオーナーが多いならば、戦況は創業家側に傾く可能性もある。
星崎社長側(二十%)対創業家側(十八%)の委任状争奪のシーソーが、一気に創業家側に傾く様が圭介の脳裏で浮かぶ。
ところが、FCオーナーも一枚岩ではないらしい。
十六時。今度は都内で十三店舗のモグモグを展開するFC会社を訪ねた。応対した社長の下川という七十代の男は、圭介とコミショウに淡々と語った。
「はっきり言って、シャインは喧嘩している場合じゃないんですわ。ここ数年、高級食パンなどの新規参入勢に押されて、元々低かったモグモグの利益率はどんどん落ちている。物価高の影響でFLコストも高まる中、利益なんて雀の涙ですわ。今期のウチの契約店舗は赤字転落だってありうる」
ほとんどの話は、シャインの業績不振への不満に割かれた。
他社のブランドも多く抱えているFCオーナーらしく、今後の方針も抜かりがない。
「もし、社長復帰を狙う誠さんや星崎新社長が具体的な未来絵図を描けていないなら、モグモグのFC契約の解除も辞さない。シャインでは、五年周期で契約更新のタイミングがありましてな、それが今年の年末なんですわ。総会でどっちに投票するかは決めていないですが、ワシは委任状送付せんですわ。ギリギリまで見極めて、今回はシャインを立て直してくれそうな陣営に投票しますわ」
下川への取材後、最寄り駅までコミショウと共に歩く。平日だというのに、商店街の高級食パンのテナントの前には行列が出来ていた。ホワイトボードでは〈本日最後の販売。売り切れ御免〉という丸みを帯びた文字が存在感を放っていた。その横を通り過ぎると、芳醇な香りが圭介達を包む。
魅惑の匂いを放つ高級食パン店に視線を這わせながら、いつになく真剣な表情のコミショウが口を開いた。
「下川さんがおっしゃっていたように、確かに、シャインはブランド力が落ちていますよね。五期連続の最終減益で、本当に喧嘩なんかしている場合じゃないんですよ」
業績不振に呼応するようにここ五年間の株価チャートも右肩下がりだ。
「FCオーナーからしたら、有望な別ブランドに鞍替えするって至極当然ですよね。今後、シャインがどうなるか分からないなら尚更。なんか盲点でした」
ポツリとコミショウは言った。
圭介もそれは同意見だった。
ブーブーブー──。
その時だった。圭介のスーツのポケットに入れていた社用スマホが震える。取り出したスマホの画面に表示されていたのは……。
〈四野宮機一〉
「四野宮さんからだ!」
思わず声が弾む。慌ててスマホを耳に押し当てた圭介に、四野宮は告げる。
「例の誠社長への取材の件ですが、社長が了承してくれましたよ」
「本当ですか⁉︎」
声が上擦る。
誠の毎経アレルギーは凄まじい。取材拒否される可能性も覚悟していただけに安堵感が胸で急速に広がった。
「つきましては、三日後の木曜日の午後はいかがでしょうか? 御社に社長とともに伺わせていただきます」
「ありがとうございます。では、木曜日の十三時はいかがですか?」
とんとん拍子に取材日程が決まり、圭介は顔を綻ばせながら電話を切る。
会話と表情で、全てを察したのだろう。コミショウがいつもの調子で吐く。
「誠さんへの取材決まったんですね? 良かったです。圭介さん、その調子で、引き続きバイブス上げていきましょう!」
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