第十章 輝かしい未来へ(2)

「十年前のあの時?」

 はてという表情でゴンザレスが首を傾げる。

「星崎社長は十年前、東経で起きたとある事件をきっかけに退社を……」

「おい深堀、星崎が辞めた件が今回のシャインにどう関係する⁉︎」

 谷が前歯で噛み付いてきそうな勢いで、圭介の言葉を遮る。

「それが大いに関係があるんですよ」

 谷の方を見ずに圭介は答える。

「そうですよね、青木デスク?」

 視線は青木に向いていた。

 皆の視線が一斉に青木に集まる。

 ブルーライトカットメガネ越しでも青木の瞳で炎が燃え盛っているのが分かった。

「アサボリ、テメェ」

 青木は威嚇するように喉から言葉を絞り出す。

「ウィレットの遊田・クリスティーン・江麻記者は二ヶ月前、シャインの特ダネを華々しく抜き、僕を窮地に陥れました。本当に不甲斐ない自分を恥じるばかりです」

 圭介は自嘲するように笑う。

「ですが彼女も昔、この会社にいたことを皆さんはご存知ですか?」

「ほぉ」

 何か面白いものでも見るようにゴンザレスが目を細める。

「遊田さんは、二〇一二年春、東都経済新聞社に記者として入社しました」

 青木が「チッ」と舌打ちし、顔をしかめる。

 谷は番犬よろしく、主人の堂本の表情を何度か窺った。

 十年前の旧・東経時代へと、時計の針が急速に巻き戻されていく。

「入社当時の名前は田村江麻です。持っていたミドルネームの『クリスティーン』は使っていませんでした。十年前、研修を終えた田村記者は、現在の企業部の前進である企業調査部の第四グループに配属されました。第四グループは主に銀行や保険、生保を担当しており、その時のキャップは……青木さん、あなたですね」

「アサボリッ!」

 これ以上の話は許さねぇぞ──。そんな圧を含んだ口調だった。

「いやぁ青木君、せっかくだし話は最後まで聞こうじゃないか」

 そう諌めたのはゴンザレスだった。薄ら笑いを浮かべた表情には、何か思惑めいたものすら感じられた。

「遊田こと、田村記者はそれから一年で、計二十二の署名記事を書きました。一年生記者としては凄い数です。ですが調べてみると、そのうち十八は青木さんとの連名でした」

 青木の眉間の皺が深くなる。

「当時のことを知る東経出身者にも取材してみました。青木さんは若くしてキャップに昇進し、将来を嘱望された存在でした。また、大変部下思いの温厚なキャップでした。決して感情は表に出さず、後輩の原稿をつきっきりで見たり、グループ内の親睦を深めるために酒宴を設けたりと、部内の最年少キャップとして、奔走していたとのことです」

 全ては翠玲から聞いた。当時の事情を知る関係者にスマホで取材してくれた。

 ・感情を表に出さない。

 ・後輩の原稿をつきっきりで見る。

 ・親睦を深めるための酒宴を設ける。

 が、取材内容は、どれも圭介の知っている青木の像からかけ離れていた。

 現在の青木はよく吠えて感情を剥き出す。圭介の原稿をつきっきりで見てくれたこともない。酒宴の参加を拒み、酒を飲んでいる姿すら見たことがなかった。

「ですが、一三年初、順風満帆だった青木さんは、突如、コンプライアンス室に呼び出されました。そして告げられたんです。田村記者から『セクハラとパワハラをしたとの通報があった』と」

 雨足が強くなり、全面ガラス張りの窓を雨粒が叩く。遠くでは雷鳴も轟き始めていた。

「涙ながらに田村記者はこう主張したそうです。パワハラについては『日常的に受けており、特に年末のグループ会議では徹底的に自分を詰めてきた』と。セクハラについては『年末の忘年会の帰りのタクシーで、体を触るなどの行為があった』とのことでした」

 「ぐぅう」と青木は何か言おうとしたが、結局何も言葉は出てこなかった。

「コンプライアンス室はすぐに事実確認に動きます。その段階では、あくまでも田村記者の証言だけでしたしね。第四グループの面々にも聞き取り調査をしています。確かに青木キャップが叱責をしたのは事実でした。が、教育の範疇とも言え、パワハラとして認定して良いかは判断が分かれるところでした。セクハラに至っては、田村記者の証言を裏付けるような証拠は確認できませんでした。ところが、そんな調査の最中、予想外の事態が発生します。複数の週刊誌が今回の騒動を嗅ぎつけて、広報部に連絡してきたんです」

 圭介だって分かる。週刊誌にリークしたのは田村江麻本人だ。

「コンプライアンス室の調査は難航します。ハラスメント疑惑の真相を突き止めるよりも週刊誌対応をどうするかに徐々に傾いていきます。調査が終わるまで青木さんに対して自宅謹慎を命じましたが、いつ調査が終わるか不透明な状況でした。そうですよね? 当時、コンプライアンス室次長で、この件の調査を担当していた堂本局長」

 圭介が顔を向けたのは堂本だった。

 この話が出てからというもの、腕組みを解き、何となく落ち着きがなかった。主人のピンチに、傍の谷はあたふたするばかりだった。

「そんな中、真相解明に動いた男が唯一いた。それが、青木さんの同期で、同様に別グループのキャップだった星崎さんです」

「ほぉ、彼が」

 ゴンザレスが目を見開く。さっきから部屋内で一人だけ、圭介の語る十年前の物語を堪能している感がある。

「はい。『東経の隠密鬼』として、社内外で恐れられるほどの敏腕記者でした。その実力を遺憾なく発揮しました。まず、パワハラ疑惑についての真相を解明しました。実は年末年始の企画取材で、青木さんはメガバンク三行の頭取へのインタビューに田村記者を同席させました。自らは質問者に徹し、その原稿は田村記者に書かせたのです」

 容易に想像できる。青木は田村に経験を積ませようとしたのだ。

「ですが、田村記者が出稿してきた原稿を見た青木キャップは顔色を変えます。経済記者の命とも言える数字の部分を何箇所も間違えていたからです。青木キャップは、その場で叱責しました。その後も訂正には至らなかったものの、田村記者のミスは続きました。だからキャップとして、第四グループの企画会議にて、田村記者の名前は伏せつつ、最大限の配慮をして注意喚起しました。『新聞社では小さな間違いも許されない。だから、皆ももっと緊張感を持って臨んで欲しい』と」

 ──今の青木と別人の話では?

「さらに星崎さんは、セクハラ疑惑も白であると突き止めました。忘年会を開いた居酒屋周辺に聞き込みをしたんです。結果、テナントのビルや近くの商店街、タクシーの防犯カメラ映像を入手しました。その結果、明らかになったのは、泥酔した田村記者を青木さんが介抱する姿でした。その映像から『タクシーで体を触られた』という田村記者の主張も虚偽であったのが明らかになりました」

「おい深堀、もう良いだろう。昔の話はそこらへんで!」

 谷が唾を飛ばす。

「言い忘れていました。当時、もう一人、泥酔していた人物がいましたね。第四グループの担当デスクだった谷部長、あなたです。忘年会にはあなたも参加していたのに、泥酔して記憶が全くなかったんですよね」

 部下のピンチに反証すらできなかったのだ。

 圭介の皮肉に、谷が顔を朱に染める。

 ──シャインの件では散々いびられた。これくらい言ってやんなきゃ。

「星崎さんはその後、調査報告書を独自に作成し、各方面に提出しました。田村記者のハラスメントの訴えが『皆の前で自らの不備を注意され、プライドを傷つけられた報復の可能性がある』と指摘したんです。それと同時に、あれだけ前のめりだった週刊誌もその後はピタリと追求するのをやめました。結果、青木さんは処分なしで、早々に職場復帰を果たしました。一方の田村記者は、いづらくなったのか、一三年三月末をもって東経を辞めました。そして、どんな理由があったのかは分かりませんが、星崎さんまでもが東経を辞めています」

「深堀、お前は昔を掘り返して、一体、何が言いたい!」

 顔を真っ赤にした谷が吠える。

「まだ、分からないのですか? 人は恨みを忘れないものです。田村記者は復讐心をずっと激らせていました。おそらく、シャインのネタが転がりこんできた時は歓喜したはずです。無論、ネタにではありません。誠社長の後任が星崎さんだったこと、そして、外食担当の僕の直属の上司があの青木デスクだったことにです。『これで十年越しの復讐ができる』と、ほくそ笑んだはずです」

 実際、先日の密会で、遊田はそのようなことを仄めかしていた。

「遊田・クリスティーン・江麻という別人に名前に変えて、復讐の鬼と化したんです」

 圭介はそれからキリッと顔を引き締める。

「特ダネを抜かれたことに対しては、何度も言いますが僕に最大の責任があります。ですが、その前にはっきりさせていただきます。ウィレットの四月の誠社長解任報道は、ある人物によって仕組まれたものです」

 皆の視線が圭介に釘付けになっていた。

「この中に、遊田記者にシャインのネタを流した裏切り者がいます!」

 会議室がシーンと静まり返る。代わりに外がピカッと光り、時間を置いてドーンという雷鳴が轟いた。

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