第十章 輝かしい未来へ(7)
「良くやったな、圭介。お疲れさん」
ヒロが祝杯を掲げると、その場のメンバーもそれに応じる。
「乾杯ぃ!」
グラスをコツンと合わせた音が薄暗い店内に広がった。
六月二十八日火曜日。圭介の憩いの場であるベーカリーカフェバー・シャインに今、ヒロとカメカン、そしてコミショウの三人が集まっていた。
夜の帷は下りていて、隅田川沿いの遊歩道を街灯が照らしている。外同様にこの店内も日中とは違う顔を見せていた。
バーらしく店内の照明は絞られている。提供メニューも昼のベーカリー業態とは、ガラリと変わっている。
「圭介さん、こんなに良い場所があるなら、もっと早く教えてくださいよ。秘密を持ちすぎる男はモテませんよ」
コミショウはグラスビールを呷る。
「是非いつでも来てね」
ちょうど料理提供に来た角谷が微笑む。
「やったぁ! じゃあ、毎日来ます」
コミショウが返す。
「おい、それはよしてくれ。せめて、俺のいない時間にしてくれよな」
圭介の懇願にヒロとカメカンが笑う。
「せっかくの祝勝会ですし、とことん飲みましょう。総会まではあと二日間ですが、引き続きバイブス、上げていきましょう!」
コミショウはいつになくハイテンションだった。
一方で圭介の脳内では、この数日の怒涛の日々が走馬灯のように蘇っていた。
〈シャインの粉飾、わかば銀頭取が主導か〉
五日前の二十三日付夕刊。圭介は特ダネを打った。本記百行と関連記事六十行。午後二時にニュース速報が配信されると、たちまち大騒ぎになった。
・粉飾はわかば銀が持ちかけた一五年のデリバティブ契約に端を発したもの。
・シャインは二百億円もの損失を穴埋めするため、マニラ社を割高買収していたこと。
・買収時のデューデリで暗躍したロベリア監査法人が粉飾に積極的に加担していたこと。
・わかば銀とシャイン生え抜き派、ロベリア監査法人の三者が結託し、社長だった輝川親子に虚偽の報告をしていたこと。
創業家親子による粉飾と思われていた物語は、終盤で大どんでん返しを迎えた。その黒幕はなんとわかば銀頭取の鴨崎だった。
舞台裏で操り人形の糸を引いていた鴨崎は突如、ステージの中央に押し出された。皮肉にも今年の株主総会の話題の主役になった。
翌二十四日のわかば銀の総会は、荒れに荒れた。議長の鴨崎は、何度も株主から詰められた。「調査中。現段階では回答を差し控える」を連発し、何とか総会を乗り切ろうとした。が、その魂胆が株主には見え見えで、不満を増長させただけだった。
結果、総会決議で鴨崎の取締役再任議案が否決されるという異例の事態に陥った。
同日午後、わかば銀は鴨崎が同日付で社長兼頭取を退任したと発表した。
そして昨日。二十八日月曜日に、シャインは第三者委員会の調査報告書を公表した。
その内容は、毎経の先行報道に沿ったもので、わかば銀とシャイン生え抜き派、ロベリア監査法人の三者が結託していたのを裏付ける内容だった。無論、誠と未来が異母姉弟であったことには一切触れていなかった。
あわせて、粉飾によって改ざんされていた一五年以降の決算については過年度修正を発表。前期決算は大幅な最終赤字になったものの、シャインは全ての膿を出した。
また、定時株主総会を予定通り六月三十日木曜日に開催することも明らかにした。
一方の圭介は、シャイン担当として報道の手を緩めなかった。休日返上で、あるネタの裏取りに奔走していた。それは、療養中の翠玲から受け取ったネタのバトンだった。
〈シャイン、主力行を豊銀に 粉飾問題受け、わかば銀から変更〉
今日付の夕刊一面の特ダネで入れた。
特ダネを抜かれるという大失点から始まったシャイン取材。しかし、その後の逆転劇で、圭介の社内評価は今、ガラリと変わった。
「圭介さんには編集局長賞も出るって噂なんですよ」
ヒロやカメカンに、コミショウが胸を張る。
「セクハラをしまくるどうしようもない堂本さんって言う人が編集局長なんです。だけど、編集局長賞は社内ではやはり凄いんです」
コミショウ節で場が和む。
「今夜は無礼講で行きましょう」
コミショウはビールを一気に呷った。
──それお前が言っちゃダメだろう。
酒も入り、皆の口もどんどん滑らかになっていった。
「さぁさぁ、角谷取締役も飲みましょう!」
赤ら顔のカメカンが手で招く。
最初は断っていた角谷も客足が減り始めたことで、ついにはテーブルを囲んだ。角谷は二日後の総会で取締役に選任される予定だ。
「例え、取締役商品開発部長になっても、この店で月に何度かは働くつもり。それは星崎社長にも了承してもらったから」
その言葉がいかにも角谷らしかった。
「星崎社長とは、既に何度か面談しているんですか?」
白ワイングラスを片手に角谷に聞く。
圭介は星崎とかれこれ一ヶ月半会っていない。やはりその動向は気になっていた。
「星崎社長ね、実は最近、この店に顔を出してくれるのよ」
「えっ、ここにですか⁉︎」
圭介の声が上擦る。勝手に電話などでのやり取りだと思い込んでいた。
「うん、ワンちゃんも連れてね、先週も二回、ここに来たわよ」
遊歩道のベンチに座って、取締役就任後のあれこれについて説明に来たらしい。
──犬も同伴? つまりは散歩コース?
明くる日。深酒の割に酔いはなかった。
朝日が隅田川の水面に反射し煌めいていた。川に沿った遊歩道は、早朝の香りで満たされていた。
圭介は今、こちらに向かって歩いてきた男に深々と一礼した。
「お久しぶりです、星崎社長」
──やはり会えた。
星崎が微かに口角を上げた気がした。
マスコミから逃れるように、代々木公園近くの自宅マンションから忽然と姿を消して一ヶ月半。パーカーにキャップを被ったラフな出立ちで、とても世間を賑わせているあのシャインの社長とは思えない。
昨深夜、二次会のカラオケに向かうというコミショウらの勧誘を断って、圭介は会社に上がった。それから無心で調べ始めた。
──おそらく、星崎社長はカフェバー・シャインの近くに潜伏している。
そんな仮説を元に調べたところ、ペット同伴で泊まれるホテルは、近くには一つしかなかった。
圭介が会社を出た頃には、太陽が昇り始めていた。それから、ホテル近くのこの遊歩道で、星崎が来るのを待っていた。
「バウ!」
挨拶したのは傍のブルドッグだった。
「おお、久しぶりだなぁブル! お前、元気にしていたかぁ」
圭介は屈んで撫でる。ブルドッグは腹を見せて、圭介と久方ぶりの戯れを堪能する。
「前も言ったが、ウチの犬の名はそんなクソみたいな名前じゃねぇ。ノアだ」
上から降ってきた言葉に圭介はニッと白い歯を見せる。電話以外では初めて声を聞いた。
「散歩、ご一緒させてください」
圭介は再び歩み始めた星崎に帯同する。
「今日は名刺をくれないのか?」
「ノアのフン取りに使われちゃ、たまりませんからね。それにもう僕のことは覚えてくれていますよね」
「ふん。好き勝手に記事を書きやがって。忘れたくても忘れられねぇさ」
強い言葉とは裏腹に、星崎は何だか嬉しそうだった。ノアも舌を出し、笑みを浮かべているように見えた。
それから、しばし二人は無言で歩を進める。その沈黙の世界を圭介が破る。
「二年前、星崎さんはシャインの社外取に就任した際、すぐに社内の異変に気付いたんじゃないですか? いや、むしろそれを調査するために社外取になったのでは?」
返事はない。星崎は前を見据えたままだ。
「はぁはぁ」というノアの息遣いだけが聞こえた。
「黒須さんが先日教えてくれました。社外役員の中で『海外社の実態を調べるべきだ』といち早く進言したのは、実は星崎さんだったって。しかし一年前にあの悲劇が起き、龍造社長は亡くなりました。膨張したシャイン四天王に焚き付けられる形で、誠社長は海外視察を促した一部の社外取や社外監査役に食ってかかりました。当然、星崎さんも誠さんから相当批判されたはずです。ですが、あなたは決して、シャインを去らなかった」
そこで圭介は一旦話を区切る。それから、言葉に重みを付与しつつ述べる。
「『まことみらいをたのむ』あのメッセージを見て、龍造社長の思いにもいち早く気付いたんですよね?」
──星崎は全てを見抜いて、自分一人で解決しようとしていたのではないか?
『普通、こんなにも早く第三者委の報告だって、まとまらないんだぜ』
帝都監査法人の特別調査チームの一員として、調査に携わったカメカンの昨夜の言葉が蘇る。終始、星崎社長の手際の良さに舌を巻いていた。
調査報告書は数ヶ月近くかかるのが常だ。
しかし、それでは六月下旬の定時株主総会の開催を延期せざるを得ない。
──だから、星崎社長自らが早い段階から独自調査をしていたのでは?
それが圭介の推理だった。
「『龍造さんの死の原因を作った人殺し』『会社を乗っ取ろうとしているハゲタカ』社内でそんな批判に晒されても、あなたは決してシャインを去らなかった。火中の栗を拾うようにして、結果的には誠さんを救い出した。どうして、いつもそこまでするんです?」
「いつも」という言葉には、十年前の青木と遊田のあの騒動を含んでいた。社内での立場を気にしないで、あの時も星崎は動いた。
「深堀記者」
しばらくの沈黙の後、星崎は声を発する。
「テメェは、自分が批判されるのが分かったら、ネタを報じないのか?」
グッと胸ぐらを掴まれる思いだった。
「真実を炙り出すために、例え汚れ仕事だって喜んでやる。それが記者って仕事だろう。テメェがどうなろうと関係ねぇだろう」
胸を突かれる思いだった。
──そうか。やはりこの人は今も記者なんだ。それよりもこの口調どこかで……。
「人にどう思われたって、俺は気にしねぇ。これからもやりてぇようにやる」
星崎は決意を新たにするように呟くと、隅田川の緩やかな流れに目を這わせた。
「明日の株主総会、絶対見にいきます。楽しみにしていますね」
圭介は立ち止まり深々と礼をし、星崎の背を見送る。
「バウバウ」
星崎の代わりにノアが二回吠えた。
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