第十章 輝かしい未来へ(6)

「では、これより株主の皆様にご発言をいただきます。お手元の出席表に記載された番号とお名前をおっしゃっていただき、簡潔に用件をご発言ください」

 わかば銀行東京本社二十五階特別会議室には、株主総会本番前の独特な熱気と緊張が同居していた。

 壇上には取締役候補と監査役候補がずらり。壇上と向かい合うように配置された簡易椅子には、株主役として招集された行員二十人余りが着座している。

 議長席と書かれた席に座る頭取の鴨崎は今、高い位置からぐるりと周りを見下ろす。

「はい、では、そちらの方、どうぞ」

 係からマイクを渡された本社総務部の三十前後の男は頭取を前に恐縮し切った表情だ。株主Dという首掛け名札をかけている。

「えっと、七六番の山田と申します。御行の秋葉原支店で買った投資信託で多額の損失が出ました。御行はどう責任を取るんです?」

 手元の質問メモを棒読みした。

 ──おいおい。それじゃリハーサルにならんじゃないか。いくら頭取の俺の前とはいえ、全く最近の若手には覇気がないな。

 そんな思いを胸に抱きつつも、鴨崎は手元に視線を這わす。そこには事務局スタッフが準備した〈株主総会・想定問答集〉があった。

 六月二十四日木曜日午後。世はまさに三月期の株主総会シーズンで、わかば銀行も明日十時に都内で株主総会を開催する。

 総会の議長は既に五度経験している。だから、問答集を見なくても分かる。回答箇所の記載ページを開かずに前を向く。

「ご発言ありがとうございます。七六番の山田様のご発言は、当行の秋葉原支店が販売した投資信託で損失が出た。それについて、当行がどう責任を取るかという御質問であるかと存じます」

 ──バカか。投信は金融商品だ。リスクがあるのは当たり前だろ。

「投資信託は元本が保証されている商品ではありません。その点について、販売前にリスクを十分に説明することが法令でも義務付けられており、当行でも説明を徹底しております。当行と致しましては……」

 厳格な頭取そのものの表情で、リハーサルを淡々とこなしていく。

「一月に板橋にあるATMが故障していた。大変な不便を被った。御行のシステムは一体どうなっているんです⁉︎」

 今度は株主Fに扮した四十代の秘書室次長だ。先ほどの若手よりは気持ちのこもった演技で、鴨崎に質問してくる。

 ──毎回思うが総会はクレームを言う場じゃない。ATMが一つ故障したくらいで、いちいち文句を言うな。

 数年前、メガバンクの一角、豊洲銀行が大規模システム障害を起こした。引き出しも、送金もできなくなった。ATMに入れたキャッシュカードまでもが取り出せなくなるというおまけ付きである。

 その不祥事をきっかけに、システムトラブル関連が総会での定番質問と化している。

 ──事務局の連中には「もっと、俺を慌てさせるような新しい演出をできないか」と、先日、言ったのに……。

 鴨崎は深くため息を吐く。

「その質問につきましては、システム統括担当の池橋より回答させていただきます」

 鴨崎はシステム担当の取締役に回答を振る。

 ──それにしても退屈だ。

 池橋が答えている間、鴨崎は視界を右方に広げ、全面ガラスの向こうの世界に目を向ける。今日は梅雨の時期であるのを感じさせないほどの青空が広がっていた。

 青空をバックに、自らが主役だと言わんばかりに丸の内の高層ビルが林立している。

 メガバンク三行が本社を構える高層ビルもその威厳を示すかのように青天を衝く。首位の東京国際銀行、二位のオレンジ銀行、三位の豊洲銀行。まるで規模に合わせたかのようにビルの高さまで順位通りに並んでいた。

 そして言わずもがな、四位はわかば銀だ。

 ──俺の代でメガバンクの仲間入りをし四メガバンク制に。いや……。

 鴨崎が不意に視線を這わせたのは、豊洲銀の本社が入る豊洲フィナンシャルタワーだ。

 ──豊銀の第三位の座を奪う。

 貸出金残高では、かなり肉薄している。

 鴨崎は不敵な笑みを浮かべ、唇を舐めた。

 わかば銀は、財閥系や確かな地盤があったわけではない。当初は近畿地方にある小さな地銀の一つに過ぎなかった。開業時はトップ五十にも入っていなかった。しかし、金融再編のうねりの中、下位銀行を次々に買収することで成長。弱肉強食の金融業界で生き残り、今では業界四位の大銀行に成長した。

 ──飛躍のため危ない橋も渡ってきた。今回のシャインの件もそうだった。

 鴨崎はメガバンク三行をぼんやりと眺めながらあの出来事を振り返る。

 一五年秋、鴨崎は当時、証券事業部を担当する取締役だった。頭取の椅子に座るためのレースの先頭集団を走っていた。加点になる実績を渇望していた。

 あの時、自ら主導する形でシャインにデリバティブ商品の購入を持ちかけた。

 円安進行による調達コストの増加に頭を悩ませていたシャイン。実績を作りたい鴨崎。双方の思惑が合致し、ウィンウィンなディールになるはずだったが……。

 急激な円高進行で、シャインは二百億円もの巨額損失を被った。これが発覚すれば、行内での鴨崎の信用失墜は必至。だから、一計を案じたのだ。

「今が海外進出の最大のチャンスですよ」

 海外進出を夢見ていた龍造社長を言葉巧みに口説いた。行内の審査部やリスク統括部への根回しもして稟議を承認。資金の大部分をわかば銀が融資するという破格の条件だった。

 買収が損失隠しのスキームの一部とも知らずに、龍造はまんまと飛びついてくれた。

 そして一六年、鴨崎は頭取の椅子に座った。頭取として順風満帆な日々を過ごしてきた。

 なのに二年ほど前、龍造社長の動きが怪しくなった。生え抜きばかりだった取締役の体制を刷新。社外取や社外監査役を招いた。

 同時に社外役員の一部がマニラ社買収に疑念を持ち始めた。

 ついには龍造自身が、真相を確かめるべく、現地に向かったとの情報が入ってきた。

 過去の不正をあぶり出される最悪の結末も覚悟した。が、龍造はその帰路で、太平洋上に散った。真相とともに消えたのだ。

 ──天が我に味方をした。

 龍造の急逝の知らせを聞いた瞬間、本気でそう思った。同時に、新たな物語のシナリオも降りてきた。息子の誠を主役にした物語だ。

 ──誠を社長に据えて、シャインに傀儡政権を作る。

 御すのは容易だった。社長だったこの一年、誠は鴨崎の思い通りの行動を取ってくれた。踊らされているのに、全ての決断が自らの意志であると信じて疑わなかった。

 ──もし不正スキームが明るみになった際は、全てを誠と龍造に押し付ければ良い。

 そんなシナリオを描いて、入念に準備してきた。

 四月には誠が社長を解任されるという予期せぬ事態もあったが、不正につながる資料は全て隠蔽した。

 ──いくら星崎でも不正の証拠を見つけることはできないだろう。

 気付くと、リハーサル中なのに口元が緩んでいた。

 バンッ──。その時だった。会議室後方のドアが物凄い音で蹴破られる。

「た、大変です!」

 血相を変えて、部屋に入ってきたのは広報室長の吉岡だった。首から下げた株主Gの首掛け名札が左右に揺れている。

 先ほど、部下に呼ばれる形でふらりと部屋から出ていくのを視界の端で捉えていた。

「失礼します!」

 ──ほぉ、迫真のこもった演技。それになかなか面白い演出じゃないか。

 傍の事務局スタッフに、鴨崎は賞賛の眼差しを向ける。が、スタッフの顔に浮かんでいたのは困惑だった。

 通常の株主総会なら、係員が取り押さえる場面だ。しかし、誰も静止せず、吉岡は壇上まで駆けてくる。議長席の鴨崎の横まで辿り着くと、息も切れ切れに叫ぶ。

「と、頭取!」

 ──議長ではなく頭取? やはりおかしい。

 吉岡は体全体を大きく上下させて続ける。

「これを……見てください」

 会場中の皆の視線を一心に集めたまま、右手に握っていたスマホを鴨崎に差し出した。

 鴨崎は訝るように目を細めて、スマホ画面に照準を絞る。

 最初に〈特報〉の赤文字の点滅が見えた。

 ──何かの記事?

〈シャイン〉〈粉飾〉〈わかば銀〉〈頭取〉

 それらの単語が連結し、脳に浸透するまで数秒を要した。それほどまでに信じられない見出しだった。

〈シャインの粉飾、わかば銀頭取が主導か〉

「おい……何だよ、これは!」

 吉岡の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで問う。

「毎経がさっき報じました。鴨崎頭取がシャインの粉飾を主導したと……。記事には、七年前のデリバティブの契約書の写真まで載っており、詳細にあの件を報じています」

 吉岡は多くの行員が見ていることなど忘れたかのような声量で説明していた。

「な、なぜ……」

 鴨崎は息を呑む。その先の言葉を発することができない。

「わかば銀株、売停です! 東証から電話です。すぐにご対応を!」

「マスコミ各社から問い合わせの電話が殺到しています!」

 やがて、開け放たれた後方のドアから行員たちが次々と入ってきては、壇上の吉岡に報告する。

 しかし、壇上の皆が静止していた。経営幹部たちが集まっているはずのこの会議室は今、機能不全に陥っていた。

「頭取、ご指示を!」

 傍の吉岡が忠臣さながらに、鴨崎に懇願する。が、吉岡の言葉は耳の右から左を通り抜けていく。

 カランコロン──。鴨崎の手からスマホが滑り落ちる。無機質な音が会議室の床を叩く。

 その瞬間、全面ガラスの向こうの三メガバンクの高層ビルが、グニャリと視界で歪んで消えた。

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