第六章 数字は語る(6)

 翌日の十四時半。企業部フロアの会議室は張り詰めていた。

「つまりアサボリ、テメェが言いてぇことは、こういうことだな?」

 眼前の青木はグイと圭介の方に体を乗り出す。上目遣いで睨め付ける様は、やはりデスクではなく、インテリヤクザを彷彿とさせる。

「五年前、シャインはロベリアのデューデリを基に、後にSIとなるマニラの会社を二百二十億円で買収した。テメェのネタ元によれば、SIの本社所在地にあったのは私書箱のみ。冷凍パン用の倉庫もなく、事業実態が確認できなかった。つまり無価値の会社、ペーパーカンパニーをシャインは買収した。それが例の海外子会社の不可解リリースにも、つながる可能性があるということだな?」

 ──流石、インテリヤクザだ。頭は切れる。

「その通りです」

 圭介は大きく頷く。

「だがよ……」

 そこで青木は凄みを利かす。膝を突き出して、銀縁メガネの奥の眼光を絞る。

「テメェは、どうやって裏を取る。今の話じゃ、朝刊にぶち込もうなんて夢物語だぞ」

 まさしくそうだ。シャインの決算発表は明日である。勝負を決めるなら今日組の朝刊しかなく、その朝刊番デスクは何の因果か、目の前の青木だった。

 だから今、わざわざ本社に上がって青木と対峙している。

「これまでの取材で得られた情報を全て共有させてください」

 ・社外取の黒須によると、シャインは何らかの損失を抱えており、財務部主導で隠している可能性がある。

 ・SIは粉飾決算のスキームのため買収した会社。

 ・SIを割高買収して、二百億円をのれんとして計上。毎年十億円を定期償却することで損失を相殺している可能性がある。

 ・この粉飾にはロベリア監査法人も積極的に関与している可能性がある。

 それから圭介は、渋面のままの青木の反応を窺いつつ続ける。

「実はシャインが帝都に監査法人を変更するとの情報があります」

 無論、カメカンからの情報である。先ほど圭介に電話をかけてきた。

『圭介、どうやらウチがシャインの監査人の座を取ったらしい。法人内で特別監査チームが編成されたと話題になっているぞ。ロベリアが監査から降りることは決定的で、シャインの明日の決算発表は延期だ』

「明日の決算発表も延期になる公算が大きいです。先ほど、兜倶楽部に寄って、幹事社が管理している会見予定ノートをこっそり見てきました。シャインの決算会見予定はすでに削除されていました」

 兜倶楽部の会見は幹事社がノートで管理している。そのノートに二重線が引かれていたのを確認したのは、今から一時間前のことだ。

 東商記者クラブでも、それは同様だった。

 少なくともシャインは明日、会見をしない。

「取材報告は以上です」

 圭介は話を終える。

 が、眼前の青木の反応は「チッ」という大きな舌打ちだった。

「甘ぇな。だから、テメェは深掘りできないアサボリなんだよ」

 グサリ──。胸に鈍い音と共に、青木の言葉のナイフが突き刺さる。野犬のように唸り、さらにナイフを深く突き刺してくる。

「それに、その黒須なる元社外取が指摘していた損失なんて、そもそもあるのか?」

 ──分からない。だけど、報告したって良いじゃないか。

「本社所在地の件だって、実際にテメェが見てきたわけではない」

 ──ヒロは信頼できる。

 圭介はグッと拳を握る。

「それにロベリアは本当に粉飾に関わっていたのか? 本当に金融庁は動くのか? シャインの監査人は本当に帝都に変わるのか?」

 ──カメカンだって、あんなに一生懸命になって情報提供してくれたのに……。

 何だか、親友二人を侮辱された気がして、無性に腹立たしくなってくる。

「もしかしたら、今、お前が言ったネタは全て正しいかもしれない。だけどな、『可能性』じゃダメなんだよ。良いかアサボリ、ここはゴシップ誌じゃなくて、新聞社だ。噂ベースで記事にできるほど甘ぇ世界じゃない」

 ──そんなの分かっている。だけど、かき集めた情報で打開策を見い出すしかないじゃないか。

 この一ヶ月、寝る間も惜しんで、死ぬ気でシャイン取材をやってきた。なのに、こうなって見ると、朝刊番デスクが今日に限って青木というのも不運にしか思えなかった。

 ──他のデスクならば、チャンスはあったかもしれない。

 両手の爪が膝に食い込む。下唇を血が出そうなほど噛み締めていた。俯く圭介の頭上に、青木の言葉が降ってきたのはその時だった。

「アサボリ、テメェに足りねぇのは百%間違いないという言質だ。良いか? このネタが正しいって裏付けられるように、星崎の言質を取ってこい。それが朝刊掲載の条件だ」

 ──今……何て?

 その言葉を理解するまで数秒を要した。圭介は穴の開くほど、眼前の青木を見つめる。

 ──星崎社長から言質を取る?

「おい、アサボリ聞いているのか?」

「はい……聞いています」

 何とか返した言葉は驚くほど弱かった。

 朝回りで話したことすらない。それに今はどこにいるかも分からない。

 ──そんな相手から言質を取る?

 できるかじゃなく、やれ──。そんな視線で青木は圧を掛けてくる。

「朝刊の紙面会議を始めます」

 会議室のスピーカーが終焉を告げる。十五時からの紙面会議がまもなく始まる。それを合図に青木は席を立つ。圭介を置き去りにして会議室のドアへと向かう。青木はドアに手をかけると、ふと振り返る。

「一応、午前一時までは待つ。星崎の言質が取れ次第、俺に連絡しろ。それができなければ……」

 お前はクビだ──。そんな言葉が聞こえた気がした。

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