第八章 旧友(1)
午前に天丼チェーン大手の試食会が都内であった。圭介はコミショウとともに参加し、筒がなく終わった。
「いやぁ、お腹空いちゃいましたね」
──こいつ、さっき天丼のおかわりしていなかった?
そんなことを思いつつも、コミショウと最寄り駅近くの老舗の蕎麦店に入る。
「やっぱり五月は蕎麦ですね」
今、座敷席で向かい合ったコミショウは、よく分からない理論をまたもや展開し、ざる蕎麦の大盛りを美味しそうに啜っていた。
一方の圭介は先ほどの天丼が胃にベタリと張り付いている感覚があり、箸はなかなか進まない。
「それにしても……」
その時、何かを思い出したようにコミショウが箸を止める。
「昨日の巻さん、めっちゃ気迫ありましたね。シャインの引き継ぎの件を知った時は、後ろから頭をかち割ってやろうかと思いましたが、私、ちょっとだけ見直しました」
話題はやはり昨日の巻のことだった。
企業部第二グループのサブキャップが、目上のキャップの野洲に吠えた──。おそらく、一日経った今も社内はこの話で持ちきりだ。
『書いて、書いて、書きまくってこそ、記者ちゃうんかい。記者でもねぇ奴が、二度と常木のことを批判すんなや!』
巻が最後に言い放ったあの言葉は、今も圭介の脳内で反響し続けている。
翠玲への敬意とともに、巻の記者としての信念を見た気がした。
「でも圭介さん。だからって、巻さんの件は許しちゃダメですからね。巻さんが仁義を欠いていたのは事実なんですから、しっかりケジメをつけさせないと」
「何か極道の世界みたいだな」
圭介はクスリと笑ったが、コミショウは頬を一層膨らませた。
「圭介さんは優しすぎるんですよ。こういうのは徹底的にやんなくちゃ!」
コミショウは左拳を掲げた。
それから、しばし蕎麦を無言で啜る時間が続く。圭介はやはり完食できなかった。
「あっ、圭介さん」
既に食べ終えて、社用スマホを操作していたコミショウが顔を上げる。表情がさらに明るくなっていた。
「朗報があります。来週の月曜って空いてますか? 実はカトレア珈琲の榎本社長へのインタビューのアポが今、入りそうで」
どうやらメールを見ていたらしい。
「おお、多分空いてる。いや、空いていなくても絶対空ける!」
言葉も体も前のめりになっていた。
榎本は外食大手のカトレア珈琲の創業社長であると同時に、シャインの社外取締役でもある。元社外取の黒須も、大川内と榎本には取材すべきと仄めかしていた。
何としても会っておきたい人物で、担当記者の米山とコミショウにもその旨を伝えていた。
「了解です。じゃあ広報と調整しますね。決まったら連絡します」
「ありがとうコミショウ」
コミショウは蕎麦湯を飲みながら言う。
「圭介さん、シャイン取材も大詰めですね。引き続きバイブス上げていきましょう!」
その日の深夜、圭介はヒロとカメカンと密会した。
会合場所は川崎駅近くのジビエ料理店。午前三時まで営業する店舗で、密会には打ってつけの屋根裏部屋を確保した。
「今度は創業家側で内紛かよ」
乾杯もそこそこに、ヒロが呆れ口調で切り出す。
午後五時にシャインのメインバンクであるわかば銀行がリリースを発表していた。
内容をまとめると次のようになる。
・シャインの粉飾について遺憾の意を表明。不正を主導した輝川親子を痛烈に批判。
・誠の保有する十五%の株式は、今期中にわかば銀が買い取る方針。
・メインバンクとして、今後は星崎現社長を支援したい考えを表明。一転して現経営陣に歩み寄る姿勢を鮮明にした。
「あれを見る限り、わかば銀の鴨崎頭取は、かなり輝川一族に怒り心頭と見える。創業家側は結局、内部崩壊か。あっけないな」
カメカンは欠伸を噛み殺しながらも会話の波に乗る。目をしょぼしょぼとさせている。監査続きで今日は特に疲労の色が濃い。
「実は先週金曜に誠さんを尾行したんだ。誠さんが創業家側の会合の酒席から早々と退散してきたから問い詰めたんだ。そしたらシャイン四天王や鴨崎頭取のことを痛烈批判していた。あれはもう、修復不可能だろうな」
「おいおい」
ヒロが苦笑する。
「見てるこっちが呆れるほどだったよ。人のせいにばかりするもんだから、何だか同じ創業家の人間として許せなくて……。自分に全く落ち度はないのかと問うてしまったよ」
「よっ、さすがフカテックの御曹司! 四代目社長!」
カメカンがいつもの調子で茶化す。否定しても無駄なので圭介は無視する。
「誠さんは社長だったんだ。例え、取り巻きに騙されてたとしても全く気付かないなんてあるか? 魔法の粉の件だって、角谷さんが指摘した小麦の品質低下を実際に確認しなかった。その行動は隠蔽に積極的に加担していたようにさえ俺には思える」
圭介は再び熱くなりかけた頭を冷やすように、ウーロンハイを呷る。
「こうなったら、輝川誠を締め上げてでも、真相を吐かせるしかないな」
ヒロは冗談混じりに返すが圭介の顔は曇る。
「いや、それが……。あれから、誠さんの行方が分からないんだ。ヤサを訪ねて奥さんにも問うたんだが『知らない』の一点張り。逆に俺に居場所を尋ねてきたほどだ。警察に捜索願いを出すことも検討していた」
「マジかよ。失踪したのか? 逃げただけじゃねぇか? 散々、掻き回しておいて、そりゃねぇぜ。創業家失格だぞ」
カメカンは誠の行動を批判したが、圭介は顔を曇らせたままだった。
『あんたのようなムカつく記者でも、話したら少し楽になったよ。ありがとよ』
胸には新宿中央公園で見た哀愁をまとった誠の後ろ姿が去来していた。
──あの時、追いかけていれば、誠は失踪しなかったかもしれない。
そんな後悔の残滓が胸にあった。
「これで創業家もいなくなったわけだ。今後は鴨崎頭取と星崎社長の和解が進んで、脱創業家でシャイン再建は進んでいくのかな」
カメカンは呟く。
「さぁ、それはどうかな。実は星崎さんが豊銀幹部と頻繁に会っている」
「豊銀と⁉︎ 取引すらしてないのにか?」
さすがカメカンだ。数字はもちろん取引行も全て頭に入っているらしい。
「そうなんだ。しかも知っての通り、豊銀は五%ものシャイン株を大量保有したと発表している。五%もの株を売ったのがどこかも未だに分からない状況だ」
何やら不穏な動きに三人は押し黙った。
一時間後、日を跨いだ辺りにはカメカンは完全に出来上がった。顔が真っ赤だ。改めて見ると、つるりと禿げ上がった頭部の額が以前よりも大きくなっている。
「そうだ……圭介」
カメカンは呂律も怪しい。
「俺、シャインの監査チームに入るかもしれない」
「本当か?」
思わず圭介は前のめりになる。
ヒロも驚いたようで、口に運びかけたハイボールグラスを止めた。
「何でも……シャインの決算精査に相当の時間と人員がかかっているらしくて……臨時で人員がいるらしいんだ」
「よし、じゃあシャインの機密情報を頼んだ」
目が据わっているカメカンを茶化すように圭介は言う。会計士の職業倫理規定に抵触するから、無論、冗談だ。だが──。
「了解だ、圭介。シャインの機密情報は俺に任せろ!」
叫んだ勢いのままカメカンは机に突っ伏す。
ヒロと目を合わせて笑う。
三人とも歳を取ったと思う。が、カメカンもヒロも変わらない。困った時には、いつも圭介に寄り添ってくれる。
「俺ができることはねぇのか?」
ヒロはハイボールジョッキを片手に唐突に問う。圭介の表情から何かを察したのかもしれない
「うーん、できることか。実はさ……可能ならヒロに調べて欲しい奴がいて」
圭介は申し訳なさそうに切り出す。
「調べて欲しい奴? 誰だ?」
「遊田・クリスティーン・江麻だ」
「おい、遊田ってウィレットのだろ?」
さすがにヒロも驚いたようだ。
圭介は静かに頷き、理由を明かす。
「実は星崎さんが電話の最後にこう言っていたんだ。『深堀記者。お前、このままじゃ、負け続けるぞ。お前はまだ、本当の敵を知らない』って」
「本当の敵……。つまり何だ? 圭介は『本当の敵』が遊田だと思ってるのか?」
「いや、それは分からない。だけど、遊田は『本当の敵』へと繋がる重要参考人の一人だと思うんだ」
圭介の脳裏には先日の豊洲FG本社前での一件が浮かんでいた。完璧に撒いたはずの遊田が突然、星崎と圭介の前に現れた。
──あれは本当に偶然だったのか?
そんな思いが胸でつかえていた。
「お前の勘は当たるからな。分かった。協力できることはする」
ヒロは笑みを浮かべていたが、疑問の壁にぶつかるとスッと消す。
「だがよ圭介、遊田の調査なら、記者のお前の方が得意だろ?」
ヒロはそもそも論を展開する。
「それが……実は悔しいが、分からなかったんだ。取材だけでなく、ネットやSNSも調べたが、手掛かりすら掴めなかった」
圭介は唇を噛む。
「自己顕示欲も強そうだし、SNSくらいやってそうだけどな」
ヒロは先月のオリンピアバーガーでの試食会で、遊田と名刺交換している。遊田に対する評は、圭介と同意見だった。
「で? 記者のお前ですら調べることができなかったことを俺がどうやって調べる?」
ヒロは本題に切り込む。
「うん。実はウィレットってさ、最近、全国紙や地方紙などから人材を積極的に集めているんだ。その転職求人って、実はサファイアが一括で担っているらしいんだ」
「サ、サファイアって……」
「そう。
サファイアは人材業界二位の巨大企業。元々は富川通商の社内ベンチャーだったが、転職業界の旺盛な需要や若手人気女優を起用したCM効果で認知度を高めて急成長。数年前には上場も果たした。
「つまりは、サファイア内にある遊田の経歴を洗いざらい調べて欲しいってことか?」
「うん……」
圭介は申し訳ないと言った感じで頷く。いくら子会社といえ、この件が公になれば、ヒロも責任を問われる可能性がある。
「ふん、そんな顔するなって」
ヒロは心中を見透かすように笑う。
「俺は富通の商社マンだぜ。中東ではゲリラ武装組織に追いかけられたことだってあるし、アマゾンのジャングルで誘拐されそうになったこともある。それだって生きている」
安心しろと言わんばかりにヒロは胸を張る。
「すまない」
圭介は頭を下げる。
「確か出向してる後輩が数人いる。とりあえず、打診してみるよ」
「本当にすまない」
圭介は机に額がつくほどに、さらに首を垂れた。
「何言ってんだ圭介。困った時はお互い様さ。その代わり、もし俺がこの件でクビになったら、フカテックで雇ってくれよ。その時は取締役待遇だかんな」
ヒロは快活に笑う。
その言葉でふっと気持ちが楽になる。
「ありがとうヒロ」
圭介の瞳にうっすら涙が滲む。それを悟られないようにそっと目を瞑る。
が、閉じた瞼の裏で映ったのは、何故か誠の姿だった。あの夜、見た光景だ。哀愁を漂わせて一人、新宿ビル群を佇んで見上げていた。その背を見ながら圭介はふと思う。
──誠には信頼できる仲間がいたのだろうか?
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