第八章 旧友(2)

「ウチもシャインと同じ九二年に東証に上場してます。上場同期とでも言うんでしょうか。同じ外食業界ということもあり、龍造さんとの付き合いは三十年近くです」

 初めて対峙したカトレア珈琲の榎本社長は、写真で見るよりもさらに穏やかな風貌の人物だった。創業経営者にありがちな威圧的な印象もなく、話言葉は終始、敬語だった。

 翌週の月曜日午前。圭介はコミショウの取材に同席させてもらう形で榎本と初対面した。

 取材に指定されたのは、カトレアが運営する高級コーヒーチェーン「森の喫茶カトレア」の吉祥寺店だった。井の頭公園内にその店はあった。新緑をまとった大樹が店舗を囲み、アニメ映画の世界に飛び込んだような造りのファンタジーな外観だった。

 取材を終えた今、広々としたバルコニーのテラス席で、榎本とランチ後のコーヒーを楽しんでいる。一時的に広報担当者を外させたのは、圭介がシャイン担当であると知った榎本なりの配慮だろう。

 龍造の人柄や思い出を交えつつ、榎本はシャインとの接点を遡って説明し始めた。

「龍造さんとは、外食業界のイベントで定期的に顔を合わせる間柄でしたし、上場同期の友情とでも言うのでしょうか? よく会食もしました。会食で『シャインの社外取になって欲しい』と打診されたのは三年前のことです。二年前の一九年六月の定時株主総会で、私はシャインの社外取に就任しました」

 あくまでもオフレコで──。事前の榎本の言葉を尊重し、圭介も取材ノートは広げていない。

「龍造さんにも危機感があったのでしょう」

「危機感?」

「はい。当時、シャインの成長に翳りが見え始めていました。業績テコ入れ策を龍造さんは探っていました。上場企業ではコーポレートガバナンス改革で、社外取の導入も叫ばれていましたからね。株主への説明責任を果たしたいとの思いも我々への打診につながったのかもしれません」

 「我々」とは無論、榎本のほか、星崎や大川内、黒須の四人の社外取のことである。この四人は一九年六月に同時に就任していた。

「ただ、龍造さんの本当の狙いは別にあったと思います」

 意味深な言葉に圭介は首を傾げる。

「別の狙いですか?」

「私もシャインの社外取をして初めて気付いたのですが、決して、シャインは龍造さんのワンマン会社じゃなかったんです」

「どういうことです?」

「大鷲さんや四野宮さんといったシャイン四天王の力が非常に強かったんですよ。特に大鷲さんは財務部長として、わかば銀の鴨崎頭取とも密な関係でした。今考えると、我々社外取四人は、シャイン四天王への『対抗勢力』としての側面もあったように思います」

 当時のシャインの取締役会は九人で構成されていた。議長の龍造、シャイン四天王の四人、社外取の四人である。

「二年ほど前でしょうか? 御長男の誠さんがわかば銀を退行し、シャインに入社してきました。だから、私はてっきり、誠さんに継がせるのかなと思っていました。私だけではありません。多分、当時は多くの人間が同じ考えでした。ですが……」

 そこで榎本は一旦、コーヒーを啜る。

「龍造さんはある日、私に明かしたんです。『誠にシャインを継がせる気はない』と」

「えっ⁉︎」

 圭介はポカンと口を開ける。顔を見合わせた隣席のコミショウも同じ表情だった。

「少なくとも私は、誠さんには絶対継がせないという龍造さんの意志を感じました。それに、目ぼしい後継者も他にいるようでした」

 ──誠以外に後継者候補がいた?

「ですが、龍造さんがこの世を去った今は、何とも……」

 榎本は風に揺れる大樹の新緑を見上げた。

「もしかすると、龍造さんは誠さんの社長としての資質を見抜いたのかもしれませんね」

「社長としての資質?」

「はい。ご存知の通り、誠さんは龍造さんの死後、シャインの二代目社長に就任しました。ですが、彼のやったのは恐怖政治でした。自らに逆らうものは徹底的に排除して、周りをイエスマンで固めていきました。物価高や円安など外部環境が悪化する中、シャインは早期にテコ入れ策を打たなければならない『急患』でした。にもかかわらず、誠さんは社内の反乱分子探しに躍起になってしまった」

 それから榎本は表情を歪める。

「私も大川内さんも経営者です。だから、会社を良くするための経営改革案を提示したかった。なのに、当の誠社長は黒須さんらと激しく対立しましてね。結局、我々は経営指導を出来ず、両者の仲裁をせざるを得ない状況でした。あの時の誠さんの表情は狂気でした。なぜ、そんなにも社長の座に固執するのか、私には理解できませんでした」

 榎本は深く嘆息して続ける。

「その後、星崎さんによって、誠社長は事実上解任されました。創業家側の代表として、株主提案で独自取締役候補を出され、その中には、社外取候補として私の名前が入っていました。ですが、当の私はこの一年で疲れてしまいました。ですから、社外取は断るつもりでした。創業家側の会合にも一度も参加せず、正式の断りを入れようとしていた矢先、今度は創業家側でも内紛が起こり……」

 榎本の大きな嘆息が机上のコーヒーの黒い液体の底に沈んでいく。

 改めて聞くと誠は何たるトラブルメーカーか。重い空気を止まり木の小鳥たちの囀りがしばらく繋いでいた。

「あの……」

 圭介は意を決して切り出す。

「一年前、龍造さんが墜落直前の機内から〈まことみらいをたのむ〉と取締役宛ててメールを送っていたと伺いました」

「ああ。確かにそうです。後で分かって、役員の間で大騒ぎになりましたよ」

 それはそうだ。死者からのメッセージである。

「『誠、シャインの未来はお前に託した』シャイン四天王はそう解釈していたそうですが、榎本社長はどう思いますか?」

「うーん、私はその解釈には否定的ですね。先ほど言いましたように龍造さんは誠さんを後継者にはしないと言っていましたから」

「では、どんな意味が?」

 その瞬間、榎本の瞳が揺らぐ。動揺ではなく、言うことを逡巡している風だった。

「それは……私の口からは言えません」

 それから出てきた言葉は、丁寧口調でありながら、はっきりとした意志が感じられた。

「どうして言えないのでしょう?」

 圭介も引き下がる訳にはいかない。

「これは私の単なる憶測でしかないので。憶測の域を出ないことを軽々に申す訳には」

 何か分かるかもしれないという希望の光が闇に吸い込まれていく。

「でも、大川内さんは知っていると思いますよ」

「えっ⁉︎」

 圭介だけでなくコミショウも声を上げる。

「大川内さんは、どういう意味だとおっしゃっていましたか?」

 圭介は前のめりで聞く。

「それは分かりません。ただ、『龍の遺志は確かに受け取った』と言っていましたよ」

 抽象的すぎて、それでは分からない。

「実はですね、龍造さんと大川内さんは幼馴染なんですよ」

「幼馴染⁉︎」

「ええ。埼玉の長瀞ながとろ近くの村の出身ですね、確か」

 ──ナガトロ?

 圭介は首を傾げる。

「長瀞って、秩父の方ですよね?」

 割って入ってきたのはコミショウだ。その目は心なしか輝いている。

「自然豊かで川下りとか、フォレストアドベンチャーとか、キャンプも出来ちゃう、あの長瀞ですよね。私、めっちゃ行こうと思っていたんです」

 どうやら旅行の計画で調べていたらしい。

 榎本への取材が無事に終わった帰路でも、コミショウは興奮冷めやらぬ様子で、秩父の魅力を語っていた。

 ──こいつ絶対ついてくるな。

 圭介は苦笑いを浮かべた。


 それから三時間後、圭介が他の企業を取材中、シャイン関連で大きなニュースがあった。

 その速報記事は次のとおりである。


〈シャイン輝川前社長が救急搬送 重体か、埼玉の川の近くで発見〉


【二十三日午後三時ごろ、埼玉県長瀞町の荒川で、「男性が川辺で倒れている」と通行人から一一九番通報があった。男性は意識不明の重体で、救急搬送された。

 埼玉県警秩父署などによると、男性はシャインベーカリー前社長の輝川誠氏であるとみられる。発見当時は一人だったという。近くには、複数のビール缶があり、同署は、酔った状態で輝川氏が川に入ったとみて、詳しい原因を調べている。】

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