第七章 偽りの果てに(1)

〈2022/05/13/01:54 【スクープ】シャイン、決算粉飾か 海外子会社買収巡り不適切な会計処理〉


【手作りパン工房「モグモグ」を全国展開するシャインベーカリーが、少なくとも五年に渡って、粉飾決算していた疑いがあることが十三日、分かった。関係者によると、同社は二〇一七年に買収したフィリピンの子会社、シャインインターナショナル(SI)ののれんを実際より多く計上。のれん償却費用として計上し、他の取引で発生した損失の穴埋めに利用していたとみられる。

 調査に時間を要しているとして、十三日午後に予定していた二二年三月期の本決算の発表は延期する公算が大きい。

 また、同社の会計監査人を務めてきたロベリア監査法人を事実上解任。後任は帝都監査法人が有力とみられる。】


 特ダネを抜かれてから、およそ一ヶ月後。圭介はついに抜き返した。そして、深夜に放たれた圭介の特ダネが与えたインパクトは大きかった。

 シャインは圭介の報道を受けて、朝七時に適時開示を発表した。報道内容が概ね事実であると認めるととともに、同日付で第三者委員会を設立したと公表した。第三者委の報告書を受領するまで、二二年三月期の本決算の発表も延期すると明かした。

 一連の報道や発表を受けて、シャイン株は終日売り気配だった。制限値幅の下限(ストップ安水準)で終値は配分された。

 公認会計士・監査審査会も動いた。同日午後、金融庁に対して、ロベリア監査法人に行政処分やその他の措置を講ずるように勧告。内部告発を基に実施した抜き打ち検査で「監査体制の不備が多く確認された」と明かした。その内部告発の裏に、圭介は星崎の影を感じずにはいられなかった。

 審査会の勧告を受けて、シャインは透かさず動く。適時開示を発表し、同日付で、会計監査人をロベリア監査法人から帝都監査法人に変更すると正式発表した。事実上、ロベリア監査法人を解任したのである。

 圭介は日中もシャイン対応に追われた。夕刊では一面トップに採用。本社に上がった。

「圭介さん、大勝利ですね! 今日は朝からバイブス上がりまくりです」

 本社で顔を合わせたコミショウは、何だか圭介よりも嬉しそうだった。

「大逆転だね。深堀君の執念が勝ったのかな。シャイン担当もこれで継続だね」

 米山も笑みでたたえた。

 当然、東経幹部にくすぶっていた圭介解任論も、たち消えになったとみて良いだろう。

 親友二人からも電話が来た。

「お前なら、絶対、今回もやってくれると思っていた。引き続き抜きまくろうぜ」

 ヒロは喜びながらも圭介のさらなる飛躍に期待した。

「これ、どれくらいの損失になるんだ? 赤転あかてんかな? 興奮して昨日は眠れなかったよ」

 企業の損失や赤字に性的興奮を覚えるカメカンの特殊な性癖ぶりは健在だった。

 確かにネタを抜いたのは圭介だ。が、皆の協力があってこそ、報じることができた。いわば、これは協力者全員で掴んだ勝利だ。

 なのに……最大の功労者とも言える人物と喜びを分かち合えなかった。

 ──何でだよ?

 今日、何度目の後悔か分からない。圭介はまた思い出して、眼前の西陽を恨むように睨め付けた。

 ──一番、感謝の気持ちを伝えたかったのは、翠玲だったのに……。

 その瞬間、昨深夜のあの悪夢が、再び脳を侵食し始めた。


 特ダネの電子速報を打ってから一時間後。ようやく喧騒から解放された午前二時半過ぎ。

 二十階の編集フロアの自動販売機近くのソファで一人、圭介は一仕事を終えた後の美酒ならぬ缶コーヒーを呷っていた。

 その時だ。私用スマホに見知らぬ番号から連絡があった。〇三から始まる市外局番だった。

「はい、もしもし」

 首を傾げながら、圭介は電話に出る。

「深堀様のお電話でしょうか?」

 電話口の女は、淡々と告げる。

 ・自らが都立総合病院の看護師であること。

 ・翠玲が路上で倒れており、先ほど救急搬送されてきたこと。

 ・今は意識がないこと。

 ・所持品から圭介の電話番号が記載された緊急連絡カードが見つかって、連絡したこと。 ・翠玲の家族にも連絡したいが、「連絡先を知らないか?」ということ。

 ──翠玲が倒れた? 救急搬送された?

 特ダネを抜いた──。その高揚感と達成感が一気に吹っ飛んだ。

 スマホが手から滑り落ちそうになる。止まりかけた息を吹き返し、圭介は電話に向かって叫ぶ。

「すぐに向かいます!」

 タクシーを飛ばして、二十分で都立総合病院に着いた。

 病院の時間外出入口に駆け込む。息切れしながら、窓口の眠たげな男に翠玲の名を告げる。

「夜間総合窓口に向かってください」

 あくびを噛み殺しながら男は言った。

 暗がりの廊下。その先に夜間総合窓口があるらしい。病院特有の消毒液や薬品のにおいが鼻を突き、圭介は思わず顔をしかめた。

 ──翠玲、どうか無事であってくれ……。

 圭介は廊下を走る。夜間総合窓口に辿り着くと、翠玲の名前を告げた。

 待たされること五分。

「深堀さん、こちらへどうぞ」

 案内された総合処置室。カーテンレールで区切られた十ほどあるベッドの一床。そこに翠玲は横たわっていた。

「翠玲……」

 その姿にハッとする。

 細い右腕からは点滴の管が延びていた。ベッドに横たわり、静かに胸を上下させている。もともと華奢だが、もっと小さく見えた。

 ──一体、何が……。

 問いかける眼差しを看護師の女に向ける。

 看護師が何か発しようとしたその時だった。

「圭……ちゃん?」

 鼓膜にかろうじて触れるようなか細い声だった。

 声の方に視線を向ける。先ほどまで閉じられていた翠玲の瞼が開き、ベッド脇に立つ圭介を見上げていた。

「翠玲!」

 圭介は驚いて叫ぶ。

「シャインの……件は?」

 こんな時でさえ、自らのことではなく、圭介を心配してくれる。そんな翠玲に涙が滲む。

「大丈夫。ありがとう。俺……やったよ。無事に特ダネ打てたんだ。翠玲のおかげだ」

 声が震えぬように返そうとしたがダメだった。

「良かった」

 翠玲は嬉しそうに微笑んだが、儚さを多分に含んだ笑みだった。

「ごめんね、圭ちゃん。心配させて……。何か急にクラクラして、私、倒れちゃったみたい。気付いたら病院で」

 ──こんなにも翠玲の頬はこけていただろうか?

 病院着も相まって、目の前の翠玲はさらに病人めいていた。

 ──なぜ俺は気付かなかったんだ。

 いつも近くにいながら、シャイン取材にばかり気を取られていた。そんな自分に今更ながら無性に腹が立った。

「あの……」

 看護師が申し訳なさそうな表情で会話に割って入る。

「念の為、精密検査をしたくて。検査入院もしていただきたいのですが……」

 今は状態が安定しているものの、突然意識を失って倒れたことに当直の医師も首を傾げていたらしい。

「ごめんね、圭ちゃん……」

 ベッド上の翠玲は力なく言う。

 ──翠玲は何も悪くない。 

 圭介は首を大きく振ることしかできない。

 ──会社のために、あんなにも取材を頑張ってたじゃないか。こんなにもボロボロになりながら……。

「入院手続きとかは全部やっておくからさ。今は安静にして」

 いよいよ落涙を禁じ得なくなって、圭介は総合処置室を一度出る。

 再びベッドに戻った時、翠玲は深い眠りの中にいた。

 ──翠玲の寝顔を見たのは初めてかもしれない。

 圭介はしばらく傍の丸椅子に座りながら思う。翠玲の左手をギュッと握りしめていた。

 腕時計がピピっと鳴る。午前五時だった。

 ──そろそろ出なくちゃいけない時間だ。

 結局、圭介は一睡もできなかった。

「シャインの件、本当にありがとう。じゃあ翠玲、いってくるね」

 当然、深い眠りの世界にいる翠玲から返答はなかった。

「深堀記者、いってらっしゃい」

 翠玲が玄関で見送ってくれるあの日常が尊い。


 そして今、圭介はある人物の自宅前で張り込んでいる。悲劇と歓喜を象徴するような茜色の夕日に目を細める。身を隠している電柱から、ターゲットの男が門扉を開けてちょうど姿を現したところだ。

 会うのは二週間ぶり。視線の先の輝川誠は前回と同様に、今日も黒いタートルネックとデニムパンツ、スニーカーというラフな出立ちだった。

 門扉の閉め方は乱暴だった。大股で、五反田駅方面の大通りに歩いている後ろ姿からもどことなく気が立っている感があった。

 圭介は周りを警戒しつつ、一定の距離を保って、誠を尾行し始めた。

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