第十章 輝かしい未来へ(4)

「米山が巻に裏切るように指示? ウィレットの遊田に社長解任の情報を漏洩した?」

 谷が信じられないという表情で繰り返す。

「ちょっと待ってよ深堀君。巻君が情報を握り潰したまでは分かる。だけど、僕は巻君に指示した覚えなんかない。そもそも、遊田記者と面識だってない。話が飛躍しすぎだよ」

 米山は抗弁する。

「面識がなかった? 本当でしょうか? 実は皆さんのことを調べさせていただきました」

 圭介は青木や米山、巻、コミショウを順に見渡した。

「小宮山記者は遊田記者と同じ白桜女子大出身でした。巻さんは東北タイムス時代、青木さんは東経時代に遊田記者と重なっていました。残念ながら、米山さんとの経歴上の接点は見つかりませんでした。でも、何も同じ組織に属している必要はなかったんです。順を追って説明させてください」

 米山の顔の警戒の色が色濃くなる。

「まず、小宮山記者は遊田記者と同じゼミに属していました。ですが、遊田記者は八年も先輩です。考えてみてください。八歳も上のゼミの先輩と皆さんは交流がありますか?」

 コミショウが大きく頭を振る。

 結果的に言うと、ゼミ教授の退職記念パーティーで、遊田とコミショウが隣同士で写っていた件は偶然だった。

 圭介が元ゼミ教授に電話取材したところ、当日の様子を収めたビデオファイルをわざわざメールで送ってくれた。

 早速、確認したところ、両者は一度も言葉を交わしていなかった。それぞれの旧友との会話に華を咲かせ、記念写真の時に隣同士になった様子が克明に記録されていた。

 遊田自身も先日の密会の場で、コミショウについて「知らなかった」と主張している。

「そして、青木さんにとって、遊田記者はキャップ時代の因縁の相手です。裏で繋がっていたとは到底考えづらいです」

 もう少し補足しようとしたが、青木の額に血管が浮き上がってきたのを見て、圭介は慌てて巻に話を移す。

「遊田記者は東経退社後、一三年に東北タイムスに転職しています。一七年まで在籍し、確かに巻さんとも重なっていました。ですが、仙台の本社勤務だった巻さんとは対照的に、遊田記者はずっと支局勤務でした。二人の連盟の署名記事もありませんでした。同じ社でも接点がない人はたくさんいますよね」

 「四年間、全く接点がなかった」と遊田自身も巻との関係を否定していた。

「そして米山さんです」

 圭介は米山に視線を移す。もはや眼下の男を「キャップ」とすら呼びたくなかった。

「遊田記者は東北タイムス入社後、秋田支局を経て、一五年春に青森支局に転属しました。青森で米山さんと初めて出逢ったそうです」

 その口調から室内の全員が遊田本人から証言を得ているのを悟る。

「米山さんの当時の肩書きはBBでした」

「ビッグブラジャー⁉︎」

 先ほどからオーバーリアクション気味のコミショウが透かさず返す。

「ビッグブラザーね」

 勢いに水を差す発言をしたコミショウを一瞥してから、圭介は淡々と訂正した。

 BBとは「ビッグブラザー」の略で、中堅記者が支局の後輩を指導するという役職だ。

「米山さん、あなたは一四年春から一六年春まで毎朝新聞東北総局でBBでしたね? 支局や総局で後輩に指導するのが本来のBBの役割です。ですが当時、あなたには密命がありましたね? それが他社から人材をヘッドハントすることです」

「ヘッドハント?」

 谷が怪訝そうな表情で問う。

「はい。当時の毎朝は退職者が急増していました。その人材不足を補う目的で、毎朝上層部は総局や支局に表向きはBB、事実上はヘッドハンターを派遣していたんです」

 ゴンザレスに視線を這わせたが、目ぼしい反応はなかった。

「実際、その時期に米山さんにヘッドハントされたのがそこにいる巻さんです。巻さんは当時、東北タイムスの社会部記者でしたが、一六年春に毎朝新聞社に入社しています。さらに青森では遊田記者に目をつけた。私には米山さんがどんな意図をもって、毎朝への転職を持ちかけたのか分かりません」

 強烈な皮肉を含んでいた。実力ではなく、別の利用価値を見出したからだろう。

「打診当時、遊田記者は毎朝への転職にも前向きだったそうです。ところが、ここで予想外の事態が起こります」

 その後の展開に誰もが辿り着いていた。谷は腕を組んだまま天井を見上げる。

「そうです。一七年四月、何と毎朝は東経と合併したのです。遊田記者は過去にトラブルを起こして東経を辞めた身です。これではとても転職できません。その後、遊田記者は夫に帯同する形でカナダのトロントに移住し、東北タイムスも退社しています。二一年に帰国後はウィレットに転職しました」

 圭介は挑むような視線で眼下の米山を見る。米山からはいつもの温和な表情が蒸発していた。驚くほど好戦的な視線だった。

「僕がずっと大変だった時に、キャップのあなたは一体、何をやっていたんですか?」

 構わず圭介は続ける。鼻がツンとした。胸には失望ではなく深い悲しみが沁みていた。


 ──米山キャップがおかしい。

 そう思い始めたのは、何と今から一ヶ月以上も前のことだ。疑惑の扉を開いたのは、またしても妹の沙希だった。

「お兄ちゃん、おかえり」

 五月中旬。その日もシャイン取材に奔走し、疲れ切って自宅に帰った。リビングには赤ら顔の沙希がいた。

「まぁ、たまには兄妹仲良く一杯やろうよ」

 エンパイアウィスキーの七百ミリリットルボトルを掲げ、赤ら顔で誘ってくる姿は上司の貫禄すら感じさせた。

「エンパイアって、帝国ビバじゃん」

 ──沙希、若いのにめっちゃ良い酒飲んでんなぁ。

「最近、値上がり凄いのによく手を出せるもんだ」

 圭介は呆れと皮肉が混ざった口調で返す。

「はいっ⁉︎ 何言ってんのお兄ちゃん? 私は今、帝国ビバのウィスキーの樽輸入を担当しているんだよ」

 その瞬間、思い出す。沙希が勤務先の九条物産にて、食品や飲料の原料調達を担う流通事業部に在籍していたことに。

「つまり、沙希は帝国ビバの担当なの?」

「うん、そうだよ」

 凄いでしょと言わんばかりに、赤ら顔の沙希が胸を張る。

 ──またか……。それを早く言っておくれ。

「あっ、そういえば毎経と言えばさ」

 あたりめを奥歯で噛みちぎってから、沙希は思い出したように呟く。

「確か、昨年末のウィスキー値上げの報道で不義理を働いたとかで、出禁なんでしょ?」

「出禁⁉︎」

「うん。大川内社長は相当お怒りで、『毎経取材は一切受けるな』って、幹部に言ってたらしいよ」

「おい、それ本当か……」

 それ以上、圭介は言葉を紡げない。

 ──じゃあ米山キャップの大川内社長の発言としていたシャイン関連メモは……一体?

「調達担当の役員がそう言ってたもん。嘘じゃないもん」

 「トトロいたもん」みたいな必死さで沙希は口を尖らせる。

 それから一ヶ月、圭介は重要情報を米山には上げず、泳がせた。

 実際に大川内の自宅に行き接触も試みた。担当に仁義も切らずに担当先の社長宅に赴くなど完全な御法度である。が、事態が事態である。誤解なら後で謝れば良い。

 結果を言えば、会うことはできた。が、名乗った瞬間、無視をされ、米山の名前を出した際には物凄い剣幕で吠えられた。メモをもらえるような間柄ではないのは明白だった。

 結局、角谷の仲介でホテルのラウンジで対面したあの日まで、圭介は大川内と話すことすらできなかったのだ。


 回想の旅が終わり、会議室へと戻る。

「米山さんは度々、帝国ビバの大川内社長への取材メモを僕に送ってくれました。だけど、あれは全部嘘でしたね? 帝国ビバから出禁を食らっていたんですから」

「出禁……だと⁉︎」

 堂本が片眉を上げる。

「はい。昨年末の値上げ記事を巡って、トラブルになったらしいです。大川内社長本人にも尋ねたところ、シャインの件で答えたことは一度もないとおっしゃっていましたよ」

「深堀君、何か勘違いしているようだね」

 やれやれと言った表情で米山は反論する。

「僕はね、帝国ビバのとある幹部と懇意の仲で、その方から大川内社長の発言を聞き出していたんだ」

「それは、何というお名前の方です? どのような役職の方ですか?」

「ネタ元を明かせるわけがないだろう。どうやら深堀君は何としても僕を悪者にしたいみたいだね」

 米山は小馬鹿にするような口調だった。

「そりゃ、これだけおかしな点があれば、疑いたくもなりますよ」

 圭介は皮肉めいた笑みを浮かべて、話題を変える。

「特オチ事件だってそうです」

 特ダネを抜かれた翌週。作戦会議と称して米山の提案でランチをしていた。

「米山さんと小宮山記者の三人でランチをしていた際、不運にも創業家側の株主提案が兜倶楽部に投函されました。ですけど、あれは本当に不運だったのでしょうか?」

 圭介はぐるりと部屋の面々を見渡してから告げる。

「違います。あのリリース自体が遊田記者本人によって作られたものです。さらに、もし遊田記者によって、内容や時間、投稿場所が事前に共有されていたとしたら……」

「あの特オチ騒動自体が米山と遊田によって仕組まれていたということか?」

 谷は机を叩かんばかりに荒ぶる。

 特オチ騒動前夜に「勉強会」と称して、兜倶楽部常駐の女性記者らに深酒させたことで、翌日の毎経ブースには誰もいなかった。その後、米山とゴンザレスによって暴かれて、堂本と谷は煮え湯を飲まされた形だ。

 あの時の恨みを晴らさんとばかりに力む谷を前に圭介は早々に話題を変える。

 ──派閥抗争に利用されてたまるか。

「五月中旬、僕がマル特を報じた日だってそうです。豊洲フィナンシャルタワーの車止めで、僕は星崎社長に会って、ネタを当てようとしていました。ですが、あの時、突然、ウィレットの遊田記者が現れたんです」

 米山から言葉はない。圭介をじっと睨め上げていた。

「僕はあの夜、当初はシャイン本社がある新宿ニューステーションタワー一階に詰めていました。星崎社長が現れる僅かな可能性に賭けていたんです。そんな時です。星崎社長が豊洲フィナンシャルタワー内にいる可能性があるとの情報を得たんです」

 情報をもたらした直後、翠玲は路上で倒れた。その無念さを思い出して圭介は唇を噛む。

「僕はあの時、細心の注意を払って、シャイン本社に詰めていた遊田記者を確実に撒きました。毎経本社の地下駐車場で、ハイヤーからタクシーに乗り換えるほどの念の入れようでした。なのに、遊田記者は僕と星崎社長の前に、彗星の如く現れたんです」

「それは君の取材技術が低かっただけだろ」

「いいえ!」

「僕はあの時、豊洲フィナンシャルタワーという行き先は一人にしか伝えていなかった。そう。あなたですよ、米山さん。小宮山記者には、ショートメッセージにて夜回りを撤退するように伝えただけでした。遊田記者と蜜月な関係のあなたは、僕がマル特を星崎社長に当てるのを妨害しようとしたんだ」

「深堀君、憶測はいい加減にしてくれ!」

 米山はものすごい剣幕だった。

「いくらなんでも、これは酷すぎる。確たる証拠もない中で、遊田記者と僕が蜜月だったと結びつけ、憶測だけで僕を窮地に陥れようとしている。どうなんですか、これは?」

 居並ぶ編集幹部に向かって、米山は裁定を求めるように抗議した。

 「ふー」と不穏な空気を吹き飛ばすように、圭介は大きく息を吐く。

 懐を探る。取り出したのはボイスレコーダーだ。最大音量にして再生ボタンを押した。

 圭介が先日の遊田の発言を切り取った十分ほどの録音。米山は最初こそ、声を荒らげて再生を妨害したが、堂本の一喝で押し黙った。

 皆が押し黙り、それぞれの表情で聞き入っていた。遊田の言葉は暴露ではなく自供だった。十分が一時間以上にも感じられ、重力が増したかのように場の空気が重くなった。

「ご希望であれば、後ほど、編集していない音声データも提出させていただきます」

 切り取りによって事実が歪曲されていたと米山に反論されぬように、圭介は編集幹部三人に告げる。

「これでもまだ、言い逃れする気ですか?」

 睨め上げたまま固まる米山に問う。

「重大な背信行為で、僕のみならず、会社全体に被害を与えた責任は大きいです」

 倒れた翠玲の顔が網膜でチラついて、圭介の怒りに拍車をかけていた。

 しばらくの間、部屋の沈黙を遠くの雷鳴が繋いでいた。

「まぁ、こうなったら、もう言い訳できへんわな」

 唐突に口を開いたのは巻だった。皆の視線が米山から巻に移る。

「深堀君の言う通りや。俺は米山キャップの命令に従って、君を窮地に陥れたんや」

 ──えっ? こんな簡単に認めるの?

 自分で追求しながらも圭介は肩透かしを食らう思いだった。

「ま、巻っ!」

 米山は隣席の巻を今にも殴りそうだった。

「深堀君……シャインの件、ホンマにすまんかったな」

 視線が交錯した巻が口の端を上げたように見えた。だが、何故かいつもの冷たさではなく、温かさを感じる笑みだった。

「おい、毎朝出身の二人がシャインのネタを他社に漏らしていた? 深堀の取材をずっと邪魔していた? これは企業部、いや東経への宣戦布告です。大問題ですよ、副長」

 谷が隣席の堂本の言葉を代弁するかのような口調で、ゴンザレスを責める。

 ──また派閥抗争が始まってしまった。

 呆れと怒りが胸中で渦巻く中、圭介は行く末を見守る。

 当のゴンザレスはしばらく渋面のまま瞑目していた。外の雷雨が全面ガラスを激しく叩き、彼の心象風景を投映するようだった。

 「ふー」と大きく息を吐いてから、ゴンザレスはゆっくりと目を開ける。

「深堀君」

 体格そのままのズシリと重低音だった。

「はい……」

 鋭い眼光も相まって、圭介の背筋がピンと伸びた。

「今回の件、私にこの処分を一任させてくれないだろうか? 米山君と巻君については、コンプライアンス担当として、しっかり調査させてもらいたい」

 圭介はすぐに反応できない。そもそもゴンザレスは毎朝派閥の幹部だ。

 ──自分たちに都合の良い処分を下すのでは? 二人は無罪放免になるのでは? そんなの納得いかない。

「君の心情を慮れば、腹が煮え繰り返る思いだろう。しかし、どうか今は怒りの矛を収めてほしい。頼む」

 圭介はハッと目を開ける。

 何故ならゴンザレスが唐突に席を立ち、圭介に深々と頭を下げていたからだ。

「同じ毎朝出身者として、本当にすまなかったと思っている。申し訳なかった」

 ──あのゴンザレスが頭を下げている?

 圭介はポカンと口を開けていた。

 いや、堂本も谷も、青木も、コミショウも呆気に取られていた。

「米山君と巻君。君たち二人は今回の調査が終わるまで自宅謹慎してもらう」

 有無を言わさぬ口調だった。

 予想しない展開だったのだろう。その時初めて、米山の顔に怯えの色が滲んだ。

 ──あれ? ゴンザレスをこの部屋に呼んだのって、米山さんじゃなかったの?

 圭介の内心の問いを置き去りにしたまま、雷鳴よりも怖い表情をしたゴンザレスは会議室を後にした。

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