第四章 創業家として(1)
四月二十八日。世間では明日からゴールデンウィークに入るらしい。
十三時。東京本社十階の会議室の光景は、さながら謝罪会見の冒頭だった。
「まず初めに、巻が輝川様にしたことはお詫びのしようがございません。本当に申し訳ございませんでした」
直立した圭介は、長机を挟んで座る誠に深々と頭を下げた。傍のコミショウや米山もそれに続く。
圭介から見て右には前広報部長の四野宮、左には前財務部長の大鷲が着座している。中央の誠は腕組みして、圭介を睨め上げていた。
今日も黒いタートルネックとデニムパンツ、靴はスニーカーという出立ちだった。
数秒の沈黙を挟む。
「まぁ、誠意は受け取りましょう」
渋々といった感じで、誠は謝罪を受け入れた。
今から三日前、四野宮経由で誠へのインタビューが認められた。
当初こそ圭介は、この取材にやる気を漲らせていた。が、今はやる気が半減している。誠に翻弄され続けたからだ。
まず二日前。誠は四野宮を介して巻を同席させるように迫ってきた。ただ、当の巻は昨日から北海道に出張だ。そもそも巻が応じるとも思わない。だから、出張を理由に同席は難しい旨を伝えた。すると──。
「では、今回の独占取材の件は白紙にさせてください」
誠は取材そのものを拒否した。
圭介は何度も四野宮とやり取りして懐柔。どうにか今日という日を迎えることはできた。
ところが──である。
【〈スクープ〉シャイン前社長が独占告白「私はこうして会社を乗っ取られた」 ハゲタカの驚くべき横暴】
取材当日のきょうの午前三時。ウィレットが、誠の単独インタビュー記事を配信した。
筆者は遊田記者で、明らかに創業家側に寄った記事。通信社のスクープ記事というよりも、週刊誌のスキャンダル記事に近かった。
「ちょっと四野宮さん、ウチの独占取材って言ってませんでした? ウィレットの取材にも応じたんですか?」
すぐさま圭介は電話で四野宮に抗議する。
「いや、それがですね……。深堀さんの取材が決まった直後、ウィレットの遊田さんに『どうしても取材したい』とせがまれて、急遽、昨日、応じたんですわ」
悪びれる様子もなく四野宮は笑っていた。
──これでは話が違う。早く言ってよ。
肩透かしを食らう感覚だった。確かに今日の取材は誠との和解が主目的ではある。
しかし、「インタビュー記事で独占配信したい」と四野宮には何度も言っていた。他社に先行されたのでは、もはや独占では無い。
さらに誠たち一行が来社して以降も、ちょっとした事件が起こる。誠はこの会議室に入るや否や机上のペットボトルを見て顔色を変えた。
「四野宮さん、私は水が飲みたい。すぐに買ってきてください」
倍以上の年齢が離れた四野宮に怒気を含んだ口調で厳命した。
『圭介さん、春はやっぱり麦茶ですよね』
机上には、コミショウが訳の分からない理屈で用意した麦茶が置かれていた。
──誠さん、ちょっとワガママ過ぎないか?
圭介は片眉をピクリと上げる。
「では、改めてになりますが、今回の解任の件からお話いただけないでしょうか?」
そんなこんなで、ようやくインタビュー取材の火蓋は切られた。
「圭介さんは取材に集中してください」
トリテキはコミショウが買って出てくれた。トリテキとは取材対象の発言を同時進行で記者端末に打ち込んでいく作業だ。
誠はまるでプレゼンでもするかのように身振り手振りを交えて、饒舌だった。
誠の話をまとめるとこうだ。
・一九七五年に父・龍造が静岡の海辺の街でモグモグ一号店をオープン。
・その後、店舗拡大し、九二年に株式上場。シャインベーカリーに商号変更。シャインには「輝川の『輝』」と「輝かしい未来になるように」との思いが込められている。
・独自のFC契約システムを構築し、一時は千店までモグモグを拡大した。
・龍造の勧誘に応える形で、誠はわかば銀行を辞めて、シャインに中途入社した。
・その龍造が昨年四月の航空機事故で急死。
・シャイン四天王の要請で、六月に誠は代表取締役社長に就任した。
・社長就任直後から社外取締役の星崎が暗躍して、誠の経営に異を唱える。海外事業の強化策を訴えた誠の案に強硬に反対した。
・今年に入ると星崎はさらに過激に。誠の保有株式の売却を迫ってきた。
・誠に株主総会での社長退任を要求。誠が反抗すると、四月には事実上の解任に動いた。誠は抗議の意を込めて、社長を自ら退任した。
「あのスティーブ・ジョブズも一度はアップル社を事実上の解任で去りました。ですがその後、CEOとして復帰し、世界一の企業までアップルを発展させています。僕は『日本のジョブズ』になりたいんです。『stay hungry, stay foolish』の精神で、必ず社長に復帰してみせます!」
およそ一時間の独演会を誠はそんな言葉で締め括った。
しかし、ジョブズの話も含めて、全てが遊田の記事に載っていた。何だか、再放送番組でも見せられた心境だった。
「非常に素晴らしいお話で、心を揺さぶられるものがありました」
傍の米山が柔和な笑みで、透かさず誠を持ち上げる。
──こういうところが米山キャップは巧い。
一回の表の長い守備を終えて、ようやく裏の攻撃へ。圭介はそんな心境を取り繕った笑みで覆い隠して、誠に問う。
「では、私からもいくつか質問させてください。委任状集めは順調でしょうか。勝算はいかがでしょうか?」
いきなりプロキシー・ファイトの話題を振った。
「順調過ぎますね。多くの機関投資家の皆様から既に委任状をいただいております」
誠は腕を組んだまま胸を張る。
「あの……感覚的な水準で結構なのですが、今現在で、どれくらいまで委任状は集まったのでしょうか?」
その瞬間、誠の視線が傍の大鷲に向く。どうやら委任状集めは、大鷲が責任者らしい。
「議決権ベースで、既に十五%超の委任状を集めております」
大鷲はニヤリと笑みを浮かべて明かす。
──十五%超⁉︎
「もう、そんなに⁉︎」
思わず圭介は声を漏らす。
傍の米山も同様に驚き、コミショウはトリテキする手を止めていた。それほどまでに驚くべき数字だった。
圭介の脳内に、プロキシー・ファイトのスコアボードが現れる。
開始前の保有比率は星崎社長側(二十%)対創業家側(十五%)だ。もしも大鷲の話が事実ならば、星崎社長側(二十%)対創業家側(三十%)ということになる。
議決権を持つ全員(百%)が総会に出席するわけではないから、かなり創業家側有利に戦況は動いていると言える。
「そもそも勝てる見込みがなければ、プロキシー・ファイトなんてしませんよ」
誠は白い歯を見せる。自らの社長復帰を信じて疑わない笑みだった。
──ならば、さらに核心へ。
「輝川さんは仮に社長復帰した後、どうシャインを変えていきたいのでしょうか」
『もし、社長復帰を狙う誠さんや星崎新社長が具体的な未来絵図を描けていないなら、モグモグのFC契約の解除も辞さない』
先日取材したFCオーナーの下川の言葉は、圭介の胸に今もある。
この質問は、プロキシー・ファイトの争点となりうる部分だった。
「深堀さん、私は社長だったんですよ。無論、再生プランは無数にありますよ」
何だか諭すような口調……。いや、圭介を小馬鹿にするような口調だった。
「良いでしょう。特別にお教えしましょう。ズバリ、伝統を守りながら、海外事業で攻めを展開していく。それが私の戦略です」
「伝統を守り、海外事業で攻めていく?」
「そうです。まずは伝統についてです。ご存知の通り、今、星崎氏はシャインの強みである職人の手作りの伝統を潰そうとしています。モグモグでは特製の小麦を職人一人一人が店舗で手ごねして、あのおいしさを生み出しているんです。なのに、星崎氏は『生地を各エリアの工場で作って、店舗では焼くだけでいいじゃないか』と主張しています」
誠の目に怒りの炎が揺らめく。
「そもそも、機械でパン生地を作ったら、熱で小麦特有の風味が逃げてしまうんです。職人が思いを込めて、愛情を込めて、店舗で一から手ごねするからこそ、あの美味しさを提供できるんです。工場生産なんて、父への侮辱……いや創業家である僕への侮辱です!」
──創業家……か。
「ですが輝川さん、シャインは五期連続で最終減益です。決算短信では、物価高による原材料費や物流費、人件費の高騰を理由としていましたが、実際は高級食パンブームや競合他社に押されています。僕にはモグモグの地力が下がっているように見えます。月次を見ると改善の兆しはなく、三月の既存店売上高は二十五ヶ月連続の減少となりました。伝統を守るだけで、本当に収益は改善できるのでしょうか?」
──聞きたいのは意気込みではなく、数字を伴った再生プランだ。
「だからこそ、海外事業ですよ、深堀さん」
誠は欧米人のようにオーバーリアクション気味で、両手を広げる。それから、前のめりで述べる。
「海外ではどんどん人口が増えています。つまりは国内市場と違ってパイが拡大していて、チャンスが広がっているんです。僕はね、海外事業の強化策こそがシャイン回復のカギだと思っているんです」
信頼できるのは数字と言ったはずだ。圭介は敢えて痛いところあえて突く。
「ですが、その頼みの綱の海外事業は事業化した五年前から、損益トントンで推移しているんですよ」
ギリギリ黒字の状態が続いている。誠の口ぶりほど順風満帆とは思えなかった。
矛盾を指摘された誠は一瞬、ムッとした表情をしたがすぐに立て直す。
「だから、あなたも分からない人だなぁ、深堀さん。『ローマは一日にして成らず』ですよ」
誠は分からない子供に諭すように嘆息しながら言う。
──シャインはローマじゃないだろう……。
四野宮が大きく頷いていたが、圭介の頭上に現れたはてなマークはいつまでも消えなかった。
「だからこそ、このプロキシー・ファイトに、私は何としても勝たなければならない。実はこの一年間、社長だった私に歯向かってきたのは、星崎氏だけではありませんでした。社内で大した仕事もしない輩が、私の意見に反対してきたんです。無論、当該社員は左遷しましたけどね」
誠は醜悪な笑みを浮かべていた。
「私が社長復帰した際には、私の求める水準に達していない社員はどんどん辞めてもらいます。一方、功績の大きい社員は昇格させていきます」
──それって裸の王様では?
会議室の空気がどんどん重くなっている。
顔を見ていないが、きっと米山は眉根を寄せている。
コミショウのキーボードを叩く音も大きくなっている。
「それが、社長、いや、創業家としての責務です」
──創業家……だと?
その瞬間、圭介の鼻腔を機械油が掠める。
カシャンカシャン──。工作機械独特の音も鼓膜を叩く。
「死んだ父もそれを望んでいると思います」
──死んだ父も……望んでいる?
奥歯を噛み締める。
「数字を伴わない再生プランを掲げたり……自分の意に反する社員を左遷したり……それが輝川さんが標榜する創業家の姿なんですか?」
瞳が揺れる。声まで震えていた。
「深堀……君?」
異変に気づいて米山が圭介の顔を見やる。
「…………」
誠は目を細め、様子がおかしい圭介を訝るように見つめる。
『圭介、創業家だからこそ、俺たちは発言に人一倍気をつけなきゃいけないんだ』
その瞬間、かつての父の言葉が圭介の鼓膜で迸る。
──父さん……。
勢いよく圭介が立ち上がり、会議室の椅子が後ろに倒れる。
「深堀君」
「圭介さん」
米山とコミショウの声をかろうじて鼓膜が拾ったが、今、この世界には誠と圭介しかいなかった。圭介は誠を見下ろしていた。
やがて、その誠の顔すらぼやけていく。白じむ。
そして、網膜に映し出されたのは棺の中で眠る父・圭太の死に顔だった。
「創業家って、そんなに偉いんですか?」
圭介は声を震わせて尋ねていた。
「はいっ⁉︎」
突然の展開に誠は呆気に取られた表情で圭介を見上げる。
「創業家だからこそ、発言に気を付けるべきなんです。あなたに創業家を語る資格はないと思いますよ」
今度ははっきりとした口調で述べた。
白い世界は吹っ飛び、既に現実世界に戻ってきていた。
──言ってしまった……。誠との関係は完全に終わったかもしれない。
圭介は瞬時に状況を理解して苦笑する。
だが、悔いはなかった。同じ創業家の人間として、圭介には誠の言動がどうしても許せなかった。
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