第九章 本当のユダ(2)

「それは?」

 誠の視線が圭介が取り出した紙の綴りへと向く。

「輝川龍造さんの日記です」

「父の……日記⁉︎」

 驚愕そのままに目を大きく見開いていた。

「龍造社長が使用していた会社のパソコンに残っていたそうです。正確にはスマホで綴っていたメモ形式の日記がクラウドでデータ保存されていたらしいです」

 圭介はさらに補足する。

「帝都監査法人のデジタルフォレンジックで先月、見つかりました。もっとも、パスワード解析で内容把握ができたのは最近です」

『おい圭介、これバレたら俺クビだからな。扱いには、くれぐれも気をつけてくれよ』

 晴れて、シャインの決算特別調査チームの一員となったカメカンとの会話が蘇る。

 この日記を読んだからこそ、圭介は今日、誠の元を訪れたのだ。

「ちなみにパスワードは、誠さんの生年月日だったそうです。お渡しすることはできないので、どうか心に留めてください」

 誠と関連する部分を圭介が抜粋した。日記は誠の入社した二年半前から始まっていた。

 貪るように誠は日記を読み始めた。


〈二〇一九年十月一日 きょう、ついに誠が入社してきた。親バカかもしれない。だが、あんなに小さかった誠がこんなにも成長して、筆舌に尽くし難い幸せだ。シャインに来てくれて、本当にありがとう。〉


〈二〇一九年十月五日 祝杯の席で誠が倒れた。精密検査の結果、麦アレルギーらしい。どうしてだ。どうして、よりによって麦なんだ……。あまりにも酷じゃないか。辛い。本当に辛い。出来ることなら、俺が代わってやりたい。〉


〈二〇二〇年一月六日 誠の配属先は当初予定の商品開発部から変更し、店舗開発部になった。本当に心苦しい。誠自身が一番悔しいだろうな。アレルギーの特効薬はないのか? この運命を俺はひたすら呪う。〉


〈二〇二〇年五月一八日 かつての俺と佳子の関係のように、誠と未来は似てきている。誠は良い意味でも悪い意味でも、俺にとことん似ているな。さすが俺の息子だ。〉


〈二〇二〇年六月二九日 総会が無事に終了。トシを始めとする信用たる四人に社外取に入ってもらった。業績の立て直しが急務だ。誠や未来ら次世代にバトンを渡すためにも、頑張らなければ。〉


〈二〇二〇年九月一三日 誠と梨花さんの結婚式に出席。泣かないと決めていたのに落涙。清美にも見せてやりたかった。梨花さん、本当にありがとう。誠、本当におめでとう。〉


〈二〇二〇年十月一日 未来が商品開発部長に就任した。パン作りへの情熱やビジネスアイデアなど、未来は本当に佳子にそっくりだ。次世代の芽は育っている。誠とともにシャインを引っ張っていく存在になって欲しい。〉


〈二〇二〇年一二月一八日 誠がまた救急搬送された。パンを口にしたらしい。なぜだ? どうして、そんなことを? そうか。誠にとってこの環境は生き地獄なのか? 誠をシャインに入社させたことを悔いる。俺が入社するよう迫らなければ、誠はこんなにも苦しまなかった。なぜ俺じゃなく、誠なんだよ。今すぐにでも代わってやりたい〉


〈二〇二一年一月二九日 取締役会にて海外事業の昨年の決算報告。目を覆いたくなるような酷い決算だった。海外事業をどうするかで取締役会は紛糾。二分されている。次世代にこの課題は先送りできない。海外事業は、俺が社長のうちに対処しなければ。〉


〈二〇二一年二月一九日 誠がまたパンを食べたらしい。軽いアナフィラキシーショックになった。最近は誠と目を合わせるのも辛い。本当にすまない。彼はこのままでは何度でもパンを食べてしまうだろう。誠にとって、何がベストかを考える時期かもしれない〉


〈二〇二一年三月二九日 取締役会の意見がまとまらない。シャインは空中分解寸前だ。仕方ない。俺が海外事業を抜き打ち視察して今後を判断しよう。来月初旬、マニラへの往復便を予約できた。〉


〈二〇二一年三月三一日 トシと飲んだ。主にシャインの今後について色々語らう。俺は所詮、佳子が作ったレールの上を走ってきただけなのだと再認識。俺には佳子のような経営の才がない。佳子の生き写しである未来に大政奉還するのも手かもしれない。〉


〈二〇二一年四月一四日 今からマニラを出る。本当にショックだ。佳子との夢を実現しようと焦ったあまりに、俺は海外事業でとんでもない失敗をした。経営者として、本当にすまない気持ちでいっぱいだ。誠と未来、すまない。帰ったら、お前らにも、今回の件を正直に話そうと思う。きっと、今からでもやり直せるはずだ。〉


 誠は読み終えてから、しばらくベンチで固まっていた。

「父さん……」

 それから喉元から絞り出すように呟いた。

 紙を握ったままの手が震え出す。その震えは、やがて肩へと伝播し全身を震わせる。

「この日記を読んだら、どう考えたって、誠さんが愛されていたのが分かります。龍造さんは何度も書いているじゃないですか。『出来ることなら、自分がアレルギーを代わってやりたい』と。あなたに『会社を継がせない』と言ったのだって、あなたのことを思ってのことです」

 唇を噛み締めたまま、誠はうんうんと何度も頷く。その目は真っ赤だった。

「死を悟って、最期のメッセージを紡いだ時だってそうです。〈みらいとまことをたのむ〉じゃなくて、〈まことみらいをたのむ〉と打った。アレルギーを発症し、悩んでいた誠さんのことが何よりも心配だったからだと思います」

「僕は……愛されていた……」

 圭介は大きく頷く。

「最愛の人が突然亡くなって、お辛いのは分かります。だけど、辛いのはあなただけじゃない。誰もが皆、辛い過去を背負って、それでも前に進もうと必死に歩いているんです」

 圭介の脳裏には父の圭太の顔があった。

 急死した際、日記すらなかった。

 それでも圭介は確信している。父は愛してくれていたと。

「総会まであと三週間です。僕は記者で、あなたに何かすべきだと進言するつもりはありません。ただ、創業家として、いや、輝川龍造さんの唯一の息子として、どうか悔いが残らないように過ごしてほしいです」

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