特ダネ、抜かれまして

第一章 特ダネ、抜かれまして（5）

「今、我々はハゲタカの横暴によって、一時的ではあるが築いてきた地位を失っている。皆、どん底にいる気分かもしれない。だが、近い将来、必ず我々は誇りと地位を取り戻せる。これは我々の正しさを証明するための戦いだ！　乾杯！」

　誠はシャンパングラスを掲げて、乾杯の挨拶とする。円卓に居並ぶ支援者の中には涙を浮かべる者までいた。

　──金曜夜特有の開放感はここにはない。

　新宿駅からほど近いタワー上層部の高級中華料理店。シャイン本社が入る新宿ステーションタワーがよく見える個室に今、誠を支える十名が集っていた。

　わざわざ本社が見える部屋を予約した。今後、シャインの経営権を巡って、星崎が率いる会社側と激しい攻防戦になるだろう。自分たちが戻るべき場所を文字通り指し示すことで、士気を上げる狙いがあった。

「いやはや、この一年でますます会社のトップとしての風格が出ましたなぁ」

　日本酒の銚子を傾けてきたのは四野宮機一（しのみや・はたかず）である。この男も誠同様に役職を失った。前日までは広報部長だった。

「四野宮さんのおかげさ」

　誠は笑って、手酌を返す。

　それから、ぐるりと円卓を見渡す。四野宮のほか、財務部長だった大鷲（おおわし）、商品開発部長だった常盤（ときわ）、海外事業部長だった中村（なかむら）……。父の代から「シャイン四天王」と称され、社の繁栄を担ってきた人材は皆、その職を解かれた。取締役の職も総会までだという。

　円卓には他に、支援を申し出てくれたフランチャイズ（ＦＣ）経営者や顧問弁護士、会計士、コンサルタント、そして……。

「鴨崎（かもざき）頭取、本当に今回はご支援を表明いただきありがとうございます」

　誠は隣席の男に瓶ビールを注ぎ、あらためて深々と頭を下げた。都市銀行四位のわかば銀行頭取、鴨崎議範（よしのり）である。

「いやいや、誠社長の行動力には今回も感服致しました。メインバンクとしてではなく、龍造さんの友として、強力に支援させてもらいますよ」

　鴨崎は笑みを浮かべた。そこには普段の他を圧する鋭い眼光はない。

　わかば銀はシャイン創業当初からメインバンクとして支えてきた。父・龍造とも親交は深かった。

　実は誠自身も大学卒業後にわかば銀に入行した。窓口や外貨取引、法人営業など支店での「修行」を経て、五年目には本店の経営企画部に転属になった。そこでは頭取の鴨崎とも頻繁に顔を合わせ、わかば銀の将来について、活発に議論した。

「必ず社長復帰を果たし、シャインをもっと発展させます！」

　誠はそう宣言して、一気に日本酒の入った猪口を呷った。そして、改めて思う。

　──星崎だけは、絶対に許さない。

　割らんばかりの勢いで、グラスをギュッと握る。やがて、アルコールで満たされた胸に去来したのは、この激動の一年の記憶だ。

　一年前の春、フィリピンのマニラ発の航空機が太平洋上に墜落した。乗客乗員の二百三十二名全員が死亡という痛ましい事故が起きた。その機内に誠の父・龍造もいた。

　誠は五年前に母も膵臓癌で亡くしていた。三十歳にして両親を失う悲しみは筆舌に尽くし難い。まるで誰もいない暗い海の底に引きづり込まれるような失意を誠にもたらした。

　事故の二週間後、父の遺体の一部が見つかったとの連絡があった。

　左手の親指だった。検査で誠のＤＮＡと一致したらしい。荼毘に付されて帰国した父の遺骨は、あまりにも軽かった。

　──あの父さんが……こんなにも軽い。

　骨壷を抱えて、誠は夜通し泣いた。

　四月下旬の社葬が滞りなく終わった日のことだ。シャイン四天王が誠の自宅を訪ねてきた。その際、四野宮は教えてくれた。

「誠さん、落ち着いたら告げようと思っていたんですが……実は龍造社長が墜落直前、誠さんにメッセージを残してくれていました」

「メ、メッセージ⁉︎」

　思わず声が上擦った。

「はい。全取締役が登録されている共用メールフォルダがあるのですが、そこにこれが送られて来ました」

　そう言って、見せてくれたのはメールの文面が記載されたＡ４のコピー用紙だった。

〈まことみらいをたのむ〉

　件名はない。墜落時の混乱がその一文に凝縮されていた。機内のWi-Fiサービスに乗せて送ったらしい。

「まこと……みらいを……たのむ？」

　意味を測りかねて、誠は首を傾げた。

「『誠、シャインの未来はお前に託すぞ』龍造社長はそうおっしゃっているのですよ」

　透かさず補足したのは、常務取締役の大鷲だった。

「実は生前、龍造社長はよくおっしゃっていました。『いつか誠にシャインを託したいな』って」

　大鷲は唇を噛み締めて大きく頷く。

「まだまだ誠さんに伝えたいことはあったのに、こんな事故に巻き込まれて……。本当に心なし半ばで、悔しかったと思います」

　傍の常盤が涙を拭って、震える声で言う。

「誠さん、龍造社長がメッセージに残した思い分かりますよね？」

　中村は諭すような口調だった。

　突然の展開に反応できない。実際、誠は呆然と立ち尽くしていた。その時だった。

「だから、誠さん！　お願いします！」

　四野宮が一際大きな声を放つ。

　誠はハッとする。四野宮の声を合図に、四天王全員が深々と頭を下げていたからだ。

「みんなで誠さんを支えます。だから、龍造社長の遺志を継いでシャインの社長になってください！」

　当時の誠は、シャインの一介の店舗開発部員に過ぎなかった。

「僕が……社長？」

　思わぬ申し出に、誠は即答できない。

「今ここで答えを出して欲しいとは言いません。だけど、よく考えて欲しいんです」

　四野宮は誠の手を握り締めて言った。

「まことみらいをたのむ……か」

　その夜、父の最後のメッセージが網膜に焼き付いて、一睡もできなかった。が、決心はついた。翌日、四天王に告げた。

「僕、シャイン社長になります！」

　昨年六月の株主総会で実に九割以上の株主の支持を集めて、正式に代表取締役社長に選任された。誠は三十歳でシャインのトップになった。

「初めての社長で分からないことも多いでしょう。何でも相談に乗りますよ。今度はわかば銀の未来ではなく、シャインの未来を語らう番ですな」

　鴨崎頭取は、誠の経営企画部時代を懐かしむような笑みで、そう言った。

　父の急死から四ヶ月後には、長男も誕生した。龍造と誠から一文字ずつ取って、「龍誠（りゅうせい）」と名付けた。

「この子のためにもこの会社を守らなければならない」

　誠はシャインのトップとして、一人の父として、決意を新たにした。

　社長業の傍ら、経営についても必死に学んだ。世界の名経営者の本を読み漁った。その中で一番、共感したのは米アップルの創業者のスティーブ・ジョブズだ。

　「stay hungry, stay foolish」その言葉はいつも胸にあった。しかし──。

　そんな誠の奮闘を嘲笑うかのように社外取締役の星崎は暗躍していた。何かにつけて、社長の誠が打ち出す施策に反対してきたのだ。

「海外事業を拡大したい」

　右肩下がりの業績をテコ入れしようと、誠がそう提案した際には、強硬に反対した。

「東洋キャピタルとしても、その案には断固として反対です」

　筆頭株主という地位までチラつかせて、廃案に追い込んだ。

「セントラルキッチンを導入すべきです。工場でまとめてパン生地を作ることで、手作りから脱却できる。各店舗では焼くだけで済みます。大幅な利益率改善も見込める」

　星崎はそんなことまで言い出した。

「それは職人による手作りを重視してきた父への冒涜です」

　今度は誠が星崎の案を跳ね除けた。これ以降、取締役会や経営会議で度々、意見が対立することが多くなった。

「誠社長の保有株を買い取らせて欲しい」

　極め付けは星崎のこの発言だった。

　実は父が保有していた土地や不動産、金融資産を相続する際、誠は多額の相続税を納めていた。その額は誠の想像する何倍も大きく、手元資金だけではとても賄えなかった。

　鴨崎が頭取権限で全額を融資してくれたおかげで納税自体は完了した。が、新たに保有した十五％の株式の配当金では、月々のわかば銀への返済はとても賄えない。

　だから、星崎の提案には、少しだけ心が動いたのは事実だ。しかし──。

「ダメですよ、社長！　これは乗っ取るための布石ですよ！」

　大鷲の助言に救われた。

「仮に創業家の株式を全て売却すれば、東洋キャピタルの保有比率は三十五％になってしまう。その後、買い増されて議決権ベースの四割超になり、取締役派遣による支配基準が適用されれば、シャインは子会社化されてしまいます。乗っ取り大成功です」

　過去の事例も挙げて、大鷲は必死に止めてくれた。鴨崎頭取も同意見だった。二人の金融のプロがいなかったら、星崎に騙されていたかもしれない。

　「保有株は売却しない」と告げると、星崎は強硬策に打って出た。

「では、誠社長には今年の株主総会で社長を退いていただきたい」

　今年二月、唐突に誠に退任を迫った。

「社外取締役の意見ではなく、筆頭株主の東洋キャピタルとしてのお願いです」

　筆頭株主の地位をまたもやチラつかせて、札束で頬を叩くような横暴ぶりだった。

　──こいつは間違いなくハゲタカだ。

　誠は断固として拒否した。

「業績が振るわないのは、あなたたちシャイン生え抜きの責任でもある」

　星崎は抜かりなかった。陰で取締役のシャイン四天王にも圧力を掛けていたらしい。

　──そして……。あのクソ記者も、直前で手のひら返ししやがった。

「一度退いて、株主総会で正しさを証明するのも手かと……」

　四月初旬。面会した鴨崎頭取の言葉もあって、誠は退任という道を選んだ。

　前日、解任されるのではなく「本人の申し出による一身上の都合」で自ら退任を表明したのは、抗議の意を示すためだった。

「六月の総会で必ず僕は社長に戻る。徹底的に星崎と戦う！」

　父の墓前でも、今日そう誓ってきた。

　酒席に意識が戻る。アルコールが入り、当初あった堅苦しさは消えた。皆が笑みを浮かべ、将来への明確な希望に満ちている。

　──この笑顔を僕は守らなければならない。

　誠は決意を新たにする。窓から見えるシャイン本社には灯りがついている。

　思えば、あのスティーブ・ジョブズでさえ、一度は解任され、アップルを去ったのだ。しかし、後に復帰して、世界一の企業までアップルを発展させた。

　空いた猪口に鴨崎が日本酒を注ぐ。誠はそれをグイと一気に飲み干す。

　──錦の御旗は我にありだ。

　誠は久しぶりに心から笑えた。