第二章 特オチ、食らいまして(3)

「えっ、また圭介さんの名刺、フンまみれにされちゃったんですか?」

 圭介の横に座るコミショウが快活に笑う。東京駅八重洲側の再開発を何とか免れた一角にある昔ながらの洋食店。十一時に開店したばかりで店内はまだ閑散としている。

「今朝は星崎社長のブルドッグも快腸だったから、俺の名刺も大活躍さ」

 皮肉混じりで返す。コミショウがさらにケラケラと笑った。


 遊田と初顔合わせをした翌日。星崎は今日も朝五時、愛犬の散歩のためにラフな格好で出てきた。そして、圭介の差し出した名刺をまたもすんなりもらってくれた。

「ご一緒させてください」

 代々木公園の前日と同じコースを共に歩く。

が、圭介が問いかけても星崎からはやはり反応がない。「はぁはぁ」というブルドッグ特有の息苦しそうな鼻息だけが、公園内でこだましていた。

 前日と全く同じ。ブルドッグが用を足すと星崎はパーカーのポケットを探り、フン取り袋を取り出す。圭介の名刺をフン取り用のスコップとして活用し、一切の躊躇もなく、フン取り袋に捨てた。


「圭介さんには今日も運があったってことです。まぁ、気を取り直して、バイブス上げていきましょう!」

 口癖をコミショウが口にした時だった。

「ちょっと二人とも! ランチ中にその話はやめてくれないか? 食欲が失せるんだけど……」

 テーブルの向かい側に座る米山が眉根を寄せていた。ちょうど、看板メニューの〈特製カレー定食〉が運ばれてきたところだ。

「すみません……」

 圭介とコミショウの声が重なる。軽く頭を下げる動作までシンクロしていた。

 そんな二人の前にもカレー定食が届き、「いただきます」と手を合わせてから、圭介は口に運ぶ。瞬間、肉の旨みと野菜の甘味が口いっぱいに広がる。辛さも控えめで、試食会続きで、もたれ気味の胃にも優しかった。

「じゃあ、食べながらにはなっちゃうけど、今後のシャイン取材の戦略を練ろうか」

 米山が柔和な笑みのまま切り出す。

 三人は今、畳の小上がり席にいる。客足もまばらだ。会話が聞かれる心配はなさそうだ。

「まず、深堀君は、星崎社長宅にそのまま朝回りを続けて良いと思う。だけどね、やっぱり創業家側の動きには注意した方が良いと思うんだ」

「創業家側ですか?」

 米山はコクリ頷く。口の中のカレーをよく咀嚼し、飲み込んでから、話のレールに戻る。

「社長を辞任した誠さんは、今度は一株主として、星崎新社長が率いる会社側に揺さぶりをかけてくる可能性がある」

「やはり、株主提案してくると?」

 株主提案は一%以上の株式を六ヶ月以上保有している大株主が行使できる権利である。

「うん」

 米山は大きく頷く。

 輝川誠は今はシャイン社長でない。が、シャインの実に十五%もの上場株式(時価にして九十億円)を保有する第二位株主としての地位にはある。


【創業家側は今後、株主提案などを駆使して会社側に圧力をかけてくる可能性がある。】


 ウィレットの遊田記者も今朝配信したシャイン関連記事で、そう言及していた。

「実際に誠さんが動いてくるかは分からないし、全く動かない可能性もある。だけど、注意するに越したことはないと思うんだ」

 話しながらなのに、もう米山はカレー定食を完食した。余談だが、忙しさのせいか、記者は食べるスピードが異様に速い。机上のナプキンで口を拭って、米山は続ける。

「会社法上、株主提案は総会の八週間前までに提出する必要がある。毎年、シャインは六月下旬に総会を開いていて、今年も同様だと仮定すると、五月初旬までには株主提案を出さなきゃいけない計算になる。だけど今朝、小宮山さんにある指摘をされて……」

 言葉の続きをコミショウが引き取る。カレー定食を綺麗に平らげていた。

「私が前に担当していたポリゴン道路っていう三月期決算企業があったんですけど……」

 コミショウは外食担当になる前、道路業界を担当していた。

「ポリゴン道路も創業社長が事実上解任されて、その後、大株主でもあったその前社長が取締役選任議案を株主提案してきたんです。何か今回のシャインの件と似ていないですか? それを思い出したので、今朝、米山キャップに報告させていただきました」

 誇らしげにコミショウは胸を張る。

「ありがとな。で、参考までに聞きたいんだけど、そのポリゴン道路の前社長はいつ株主提案を出してきたんだ?」

「えっとですね……」

 コミショウは口元にリップをつけながら、スマホで過去記事を調べ始める。

「あったあった! えっとですね、二〇二一年四月十九日だから……あっ、一年前のちょうど今日ですね。もしかしたら、輝川誠さんも今日、株主提案を出してきたりして」

 イタズラっぽい笑みを浮かべてコミショウが圭介を茶化す。

「縁起でもないこと言うなよ」

 圭介は膨れる。それから、目の前で優雅に食後の煎茶を飲んでいる米山に尋ねた。

「米山キャップ、株主提案ってやっぱり創業家が独自に取締役選任議案を出してくる可能性が高いですよね?」

「うん、そうだね。過去の事例から見ても、大体の株主提案が取締役選任議案だ。そして、プロキシー・ファイトに突入している」

 プロキシー・ファイト──。株主総会での議決権行使の委任状(プロキシー)を巡って、株主提案した者と経営陣の間で繰り広げられる委任状争奪戦のことである。

 簡単に言えば、双方が取締役の候補を出して、株主に「どっちが今後の経営を担うのに適任か?」と問うのだ。

 無論、事前に議決権の大きい大株主から多くの委任状を受け取った方が戦況を有利に進められる。

 星崎と誠の双方が戦場で向かい合いどんぱちと撃ち合う──。そんな構図が頭の中に不意に浮かんで、圭介はカレーを食べる手を止める。結局、完食できなかった。

「僕も決算取材の合間を見て、色々と情報を探ってみるよ。帝国ビバの大川内社長への取材も続けるよ」

 大川内は米山の担当企業である帝国ビバレッジの社長で、シャインの社外取締役も兼任する。米山はかなり食い込んでいるらしく、昨日もシャイン関連メモを送ってくれた。

「とりあえず、情報を三人で共有しよう。みんなで戦おう!」

 米山はキャップらしくまとめる。煎茶を啜る姿が本当に似合う和を体現したような男だ。

 部下の手柄を平気で取る横暴な上司が多い中で、眼前の米山は異質。温和で部下思いの珍しいタイプのキャップだった。青木のように、部下を徹底的に詰めることも絶対しない。

 ──この人がキャップなのが唯一の救いだ。

 食後の煎茶を啜りながら圭介は改めて思う。

 ブーブーブー──。その時だった。机上で社用スマホが鈍く鳴っていた。二人の視線が圭介のスマホに注がれる。

 その瞬間、煎茶で清められたはずの胸に、黒々とした何かがじんわり広がっていく感覚があった。

 恐る恐る圭介は画面を覗く。

〈青木俊一〉

 その表示を見た瞬間、圭介の脈が乱れる。

 大きく息を吸ってから、通話ボタンをタップする。眉間に皺を寄せ、目を瞑って、スマホを耳にギュッと押し当てた。

「アサボリ、バッカやろう!」

 青木の怒声が飛び出て、圭介の鼓膜を撃ち抜く。思わずスマホをテーブルに落とす。一回転して、画面を上にして止まった。

「お前、特オチ食らってんぞ!」

 スピーカーモードでもないのによく聞こえる。

「と、特オチ?」

 特オチは、他社が報じている大きなネタを自社だけが報道できていないことで、特ダネを抜かれる以上の大失態である。

 目を見開き、机上のスマホ画面に映る〈青木俊一〉の表示を茫然と見下ろしていた。

「創業家が取締役選任議案を発表したらしい。ウチだけが報じられてねぇんだよ! 一体どうなってんだよ、おい!」

 圭介の方が聞きたい。

「すぐに追います……」

 何とか絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく、震えていた。

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