公式設定にはないハロルドの過去でした。

「本日付けで、ハロルド殿下の身の回りのお世話をさせていただくことになりました、“マリオン=シアラー”と申します」


 うやうやしくお辞儀をして名乗った、一人の侍女。

 この僕が、見間違うはずもない。


 だって。


 彼女は押しも押されぬ、『エンゲージ・ハザード』のメインヒロインの一人なのだから。


 少し癖のあるワインレッドの艶やかな髪をショートポニテにまとめ、切れ長の目に宿る真紅の瞳。整った目鼻立ちが、彼女の美しさをより際立たせている。

 長身でスレンダーな体型に、少しアンバランスな巨乳というのが、多くのプレイヤーを虜にしたことだろう。残念ながら、『エンハザ』は過疎っていたけど。


 そんな彼女の実家であるシアラー伯爵家は、デハウバルズ王国建国以来、歴代の騎士団長を輩出してきた名門貴族だったけど、ある時期を境として没落の一途をたどり、『エンハザ』本編開始時にはシアラー家は取り潰し直前まで追い込まれているという設定だ。


 マリオンは幼い頃から剣術の修行に明け暮れ、ゲーム内でも屈指の物理攻撃力を誇る剣士になるのだ。

 剣術の腕が王家に認められ、いつか王国の騎士団長となってシアラー家を再興することを夢見て。


 だけど、まさか彼女が本編開始前は王宮の侍女になっているなんて、思いもよらなかったよ。

 確かにシアラー家は、没落したとはいえ伯爵の地位にあるし、王宮の侍女になる資格はあるけど……多分、実家を支えるために自ら侍女に志願したんだろうな。


 で、よりによって悪評名高い僕の侍女として押し付けられたわけだ。


「……ハロルド殿下?」

「へ? あ、ああいや、ごめん。ちょっと考え事をしていて……」


 マリオンに声をかけられ、僕は慌てて返事をして謝罪する。

 とにかく、僕が言いたいことは、バッドエンドを回避するために主人公やヒロイン達と関わらないと決めたっていうのに、いきなりエンカウントしてどうしようかってことだよ。チックショウ。


「そ、それで君は、最初だから挨拶に来たってことで、その……いいんだよね?」

「はい。これからどうぞ、よろしくお願いいたします」


 マリオンはスカートの裾をつまみ、カーテシーをした。

 さすがは鍛えているだけあって、その流れるような所作はとても美しい。


 ちなみに、彼女はハロルドより二つ年上という設定だから、本編開始前の三年前だから十五歳か。

 前世の僕は大学生だったから彼女よりも年上だし、今の身分だって第三王子なんだけど、女子と話す機会なんてほぼなかったから、どう接していいか分からないよ。


「こ、こちらこそよろしく。何か用があったら呼ぶから、下がってゆっくりしていいよ」

「は、はあ……」


 できる限り愛想を振りまいてそう告げると、マリオンは怪訝けげんな表情を浮かべた。

 あれかな? 僕って小悪党の顔つきをしているから、笑顔が気持ち悪かったってことかな。気をつけよう。


「では、失礼いたします」


 深々とお辞儀をし、マリオンは部屋を出ていく。


 その時。


「……ついてない・・・・・


 彼女が、ポツリ、と呟いた。


 ……彼女が僕の侍女になって落胆していることは、この部屋に入ってきた時から分かっていたよ。

 僕を見つめる、あのさげすんだ視線に気づいていないと思っているのかな? 思っているんだろうな。


 だって僕は、傍若無人で腰巾着で、『無能の悪童王子』だから。


 カーディスやラファエルなら、騎士団長とまではいかないものの、いずれ騎士として取り立ててもらえる可能性もあっただろうけど、僕に王位継承の可能性なんて皆無だし、実家の再興を夢見る彼女からすれば、無価値だもんね。


 このことは、『エンハザ』におけるマリオンのシナリオでも言及していた。

 主人公のウィルフレッドの『世界一の婚約者』探しに協力するのは、あの男が王位継承者となればシアラー家を再興できるから、と。


 もちろん、シナリオ内の恋愛イベントなどをこなしていけば、自分が『世界一の婚約者』になる結末も用意されているんだけど。


「いずれにせよ、僕なんかじゃ当てが外れたと思って当然だよね」


 それならそれで、マリオンを僕の侍女から外すことに躊躇ためらいもないし、ヒロインを遠ざける上でも都合がいい。お互いウィンウィンというわけだ。


 だから、さ。


「頼むから、そんなにを苦しめるなよ。ハロルド」


 今にも泣き出しそうな表情の僕が映った鏡を見つめ、絞り出したような声で呟く。


 前世の記憶を取り戻す前の、『エンゲージ・ハザード』には描かれなかったハロルドの過去。

 幼い頃からいつも優秀な兄であるカーディスやラファエルと比較され、気づけば無能の烙印を押されたハロルド。


 兄達に追いつこうと……父や母に認めてもらおうと、必死に頑張ってきたのに。


 だけど、誰もそんな努力は認めてくれなくて。

 結果がともなわなければ、なんの意味もなくて。


 十歳の誕生日、お前は母である第一王妃の“マーガレット”に、こう言われたんだよな?


『カーディスのスペア・・・にもなれないのだから、せめてあの子の足だけは引っ張らないでちょうだい』


 って。


 今の僕は前世の人格が支配しているけど、それでも、僕はハロルドなんだ。

 だから……僕だけが、の気持ちを理解できる。


 怒り、悲しみ、苦しみ、つらさ、寂しさ、口惜しさを。


 僕は胸襟を強く握りしめ、今にも暴れ出してしまいそうな感情を、必死に抑え込んだ。

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