二人分の喜びがあふれてしまいました。

「ところで……そこのあなたは、どこの馬の骨ですか?」


 突然、アレクサンドラがマリオンに対し、絶対零度の視線を向けた。

 そ、そういえば、僕は彼女に紹介していなかった。


「あ、あの、彼女はマリオンと言って……」

「ハロルド殿下。私はあの者に尋ねております」

「っ!? は、はい!」


 初めて聞く彼女の恐ろしく低い声に、僕は身体を強張らせて直立不動で返事をした。


「あなたのせいで、ハロルド殿下をわずらわせてしまったではありませんか。早く答えなさい」

「……ハロルド殿下にお仕えしております、マリオン=シアラーと申します」

「ふうん……」


 アレクサンドラが鼻を鳴らし、眉根を寄せてカーテシーをするマリオンへと歩み寄る。

 え、ええとー……これ、止めたほうがいいのかな。だけど、どんな理由で?


「ねえ」

「はい」

「どうしてあなたは、ハロルド殿下にそんな視線を向けていたのかしら?」

「え……?」

「聞こえなかった? どうして侍女のあなたごときが、私の婚約者であらせられるハロルド殿下に、まるでさげすむような視線を向けていたのかと尋ねているんですよ」


 ……どうして彼女が、こんなにも怒りを露わにしているのか分かった。

 僕がマリオンからいつも感じていた侮蔑ぶべつの視線を、彼女もまた気づいたから……いや、気づいてくれたから。


「そのようなことは……」

「嘘を言わないでちょうだい。なら、あなたはハロルド殿下のことをどう思っているの? 言いなさい」

「…………………………」


 アレクサンドラの詰問きつもんに、マリオンが押し黙る。

 まあ、本当のことなんて言えないよね。


「……まあいいわ。とにかく、あなたのような者をハロルド殿下のおそばに置いておくわけにはまいりません。即刻、この王宮から去りなさい」

「っ!? な、何を……」

「聞こえなかったのですか? 目障りだと言ったのです」


 お、おおう……まさか、アレクサンドラがマリオンに追放宣言をするとは思わなかった。でも、雇い主は僕なんだけど。


「ア、アレクランドラ様は殿下の婚約者ではありますが、私の処遇を決めるお立場には……」

「私はデハウバルズ王国を支えるシュヴァリエ家の長女、アレクサンドラ=シュヴァリエ。王宮の侍女一人を追い出すことなど、造作もないのよ」

「う……」


 実際、シュヴァリエ家ならそんなこと簡単だよね。というか、彼女が『マリオンが粗相をした』って言えば、王宮のほうで忖度そんたくして勝手に追い出すか。


「た、確かにハロルド殿下はアレクサンドラ様の婚約者ですが、どうして……ヒッ!?」


 アレクサンドラが見せる形相に戦慄したマリオンが、話の途中で喉を鳴らした。

 おそらく、マリオンはこう続けたかったんだろう。


『どうして、粗暴で我儘わがままな、『無能の悪童王子』ハロルドなんかの肩を持つのか』


 それについては、僕も不思議で仕方ないよ。

 僕の評判なんて、シュヴァリエ公爵家の令嬢である彼女なら、絶対に知っているはず。


 たとえエイバル王が決めた僕との政略婚約だからって、王宮を訪れて僕の訓練に付き合うどころか、むしろ強くなるために指導までしてくれて。


 彼女の地位や美貌、『エンハザ』のヒロインにも劣らない実力を考えれば、こんな小悪党づらの無能で最低な第三王子なんて、馬鹿にして見下したって、おかしくないんだ。

 なのに、目の前の彼女はそんな僕のために、こんなにも怒りを露わにしてくれている。


 本当に、訳が分からないよ。


「あなたごときに、ハロルド殿下の何が分かるというのですか! ハロルド殿下は私との約束・・のために、厳しい訓練にも音を上げず最後までやり遂げられました! 本当のお姿を知りもしないで、浅はかな評価をするのはおやめなさい!」

「あ……う……」


 あまりの剣幕に、マリオンはどうしていいか分からず狼狽うろたえるのみ。

 だけど、こうやって本物……って言ったら変だけど、『エンハザ』のプロローグで無言のままハロルドに婚約破棄されるアレクサンドラに出逢って思うことは、ゲームのヒロイン達なんかよりも圧倒的にヒロインな彼女に、僕は今日一日で色々と裏切られっぱなし……なん、だけど……っ。


「あ……」

「ハロルド殿下、失礼いたします」


 アレクサンドラが、ハンカチで僕の頬を拭ってくれた。

 あ……あはは……どうやら僕、泣いていたみたいだ。


 だけど、仕方ないよね。

 僕の中のハロルドが、初めて誰かに知ってもらえたんだから。


 実の母だって、ハロルドの努力を認めてくれなかったのに。


 あ……でも、ちょっと違うか。

 僕の中のハロルドだってなわけで、僕だってハロルドなんだ。


 だから。


「う……ううう……うああああああああああああ……っ!」


 こうやって我慢できなくなって、大声で泣いてしまったって仕方ないよね。


 僕とハロルド。

 ハロルドと僕。


 二人分の喜びが、どうしようもなくあふれてしまったんだから。

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