僕は初めて兄を拒絶しました。

「ハル様、こちらの魚のソテーも美味しいですよ」


 サンドラの兄君であるセドリックに、婿養子の件を申し入れた次の日。

 午前の特訓を終え、僕はサンドラと昼食を楽しんでいた。いや、楽しいよ? 楽しいんだけど……。


「そ、そのー……自分で食べられますから……」

「もちろん存じ上げております。ですが、このように婚約者同士スキンシップを図ることはとても大切だと思いますよ? そうよね、モニカ」

「否定はいたしませんが、ハロルド殿下は少々お困りのご様子。ここはこのモニカが、お嬢様に代わって食事のお手伝いを……」

「駄目に決まっているでしょう!?」


 とまあ、隣に座り、フィッシュスプーンで綺麗に切り分けた魚を食べさせようとしてくれるサンドラを、なぜか邪魔をして逆に食べさせようとするモニカ。

 二人が今日も仲良さげで何よりだけど、二人がそんなやり取りをしてる間、僕は料理に口をつけることができずにいるんですけどね。お願いだから自分で食べさせて。


「はふう……今日もお腹いっぱい……」


 いいよなー……キャスは自由に食べることができて。

 猫可愛がりな二人がキャスに嫌われたくないからって、メッチャ気を遣っているからなあ。というか、王子よりも丁重に扱われている魔獣って一体。


 そんな二人と一匹を、遠い目をして見つめていると。


「あ、あの……し、失礼いたします……」


 一人の侍女が、どこか怯えた様子で食堂入ってきた。

 一応、前世の記憶を取り戻してからは以前のような振る舞いはするまいとすごく気を遣ってはいるものの、そう簡単に『無能の悪童王子』という評価がくつがえるはずもなく、今もこうして使用人達からは畏怖と侮蔑の対象なのである……はずなんだけど、彼女、ちょっと様子がおかしくない?


「どうしたの?」

「あ……そ、その、カーディス殿下が王立学院からお戻りになられ、ハロルド殿下をお呼びするようにと……」


 あー……この前のカーディスの派から抜ける件だね。おおかた、そんなことを言い出した僕を叱責するつもりなんだろう。

 こうなることは最初から分かっていたし、覚悟してはいたんだけど……。


「分かった、すぐに会うとするよ。だから兄上に……は、伝えなくてもいいや。どこにいるか、それだけ教えてくれないかな」

「っ!? は、はい!」


 カーディスへ伝えるようにお願いしようとしたけど、侍女の表情が凍り付いたのを見て、僕は努めて優しく言い直した。

 侍女は目を見開くと、パアア、と表情を明るくさせて勢いよく頷く。


 なるほど……あの感情を表に出さないカーディスにしては、かなりご立腹のようだ。

 少なくとも、ただ僕を呼びに行かせただけの侍女が、こんなにも怯えるくらいには。


 僕はナプキンをテーブルに置き、立ち上がる……って。


「サンドラ?」

「カーディス殿下とお会いになるのであれば、婚約者のこの私も同席します。それに、殿下の目的は私にもあると思いますし」


 同じく席を立ったサンドラが、表情を変えずに淡々と答えた。

 確かにカーディスは、サンドラの実家であるシュヴァリエ家の支援を狙っているからこそ、僕の派閥離脱を受けての呼び出しではあるけれど……同席する理由、違うよね?


 本当は、一緒にいることでカーディスが僕を責められないようにするためだってことくらい、もちろん分かっているよ。

 たとえ実の弟だからって、さすがのカーディスも婚約者の前で叱責することははばかられるだろうし。


「ハア……僕の婚約者、優しくて素敵すぎる」

「? ハル様?」

「い、いえ、なんでもありません」


 嬉しすぎて両手で顔を覆っていた僕に、サンドラが不思議そうに尋ねる。

 いけない、つい思っていることを呟いてしまった。幸いにも、はっきりとは聞かれていなかったようだ。今度から気をつけよう。


 ……カーディスのところへ向かう途中、しっかり聞いていたモニカに告げ口されたけどね。

 おかげでサンドラ、ずっと耳まで真っ赤だったよ。可愛い。


 ◇


「お前をここへ呼び出した意味は、理解しているな」

「…………………………」


 腕組みをして仏頂面ぶっちょうづらのカーディスが、サンドラが同席していることすら忘れて低い声で告げた。

 それくらい、カーディスは激怒しているらしい。


「そもそも、何も・・できない・・・・お前が私の派閥から離れてどうなる。今さら王太子の座を目指すとも思えんしな」


 ハア……そういえばカーディスは、いつもこうやって僕のことを頭ごなしに否定するよね。こういうところ、母であるマーガレットにそっくりだよ。


「……『何もできない』僕を派閥に置いて、何になるというのです? それに、兄上は右腕・・としてウィルフレッドを派閥に加えたではありませんか。なら……」

「なんだ。ひょっとして、ねているのか?」


 僕の派閥離脱の理由をそうとらえたカーディスは、まるで小馬鹿にするような視線を向けてきた。

 彼からすれば、そんな些細ささいなことで情けないとでも思っているのだろう。


 だけど、『エンハザ』で噛ませ犬としてバッドエンドを迎えてしまう僕からすれば、ウィルフレッドに関わることは死活問題なんだ。何と言われても、引き続きカーディスの派閥に留まるという選択肢はあり得ない。

 それ以上に、あの男が幼い頃にサンドラにした仕打ちを、絶対に許せない。


 なので。


「どう思っていただいても構いません。とにかく、僕はウィルフレッドと一緒に肩を並べることだけは、絶対に認めない」

「っ!?」


 これまで、一度たりとも逆らったことがない僕……ハロルドは、強い口調で初めてカーディスを拒絶した。

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