聖女の天敵は、最推しの婚約者でした。
「
「「っ!?」」
サンドラが放つすさまじいプレッシャーに、クリスティアだけでなく、隣にいる僕も思わず息を呑んだ。
僕達のいる部屋中の空気が震え、振動で窓ガラスにひびが入る。
「サ、サンドラ……?」
「聖女だかなんだか知りませんが、そんなことはどうでもいい。その汚らしい口を、今すぐ引き裂いてやる」
立ち上がるサンドラの顔色をおそるおそる
あのどこまでも深いサファイアの瞳が、血の色のように赤く輝いており、しかも、瞳孔がまるで爬虫類のように縦に細長くなっていた。
こ、これって一体……。
「だ、誰か……ヒッ!?」
「どうしたのです? 早くあの騎士でも誰でも、呼べばいい。ただし、その者達は全て血に染まることになる。貴様のせいで」
「あ……ああ……っ」
口の端を吊り上げ、一歩ずつ近づくサンドラ。
それに合わせ、椅子から転げ落ちたクリスティアは、恐怖で顔を引きつらせ、這いずるように下がった。
だけど。
「ふふ……行き止まり」
「ヒ……ッ!?」
壁の端まで来たクリスティアは、サンドラに右手でその細い首をつかまれ、高々と持ち上げられた。
いくらクリスティアが軽いとはいえ、一四〇にも満たないサンドラが片手で軽々と持ち上げることができるのだろうか。
「が……が、は……っ」
「ふふ。あとほんの少し力を加えるだけで、ポキリ、と折れてしまいそう」
息ができずに苦しむクリスティアを見て、サンドラはますます口の端を吊り上げた……って、僕も呆気に取られている場合じゃない!
「サ、サンドラ! これ以上はやめてください!」
「どうしてですか? この者は、先程の試合で至高のあなた様を散々
止める僕の言葉が理解できないとばかりに、サンドラは不思議そうな表情で、こてん、と首を傾ける。
ヤ、ヤバイ。僕の婚約者が、色々とヤバイ。
「ぼ、僕は気にしておりません! それに、聖女様も何か意図があって、あのように振る舞われたのでしょうから! そ、そうですよね! ね!」
サンドラの身体を押さえながら、僕はクリスティアに同意を求めると、顔が紫色に変色した彼女が激しく頷いた。
「ほ、ほら! ですから、まずは余計な駆け引き無しで、話を聞いてみましょう!」
「……至高のハル様に、感謝するのね」
「ぎゃうッッッ!?」
無造作に放り捨てられ、壁に激突したクリスティアが悲鳴を上げる。
だ、だけど、本当にサンドラはどうしちゃったんだろう……。
「さあ、わざわざ解放してあげたのだから、あなたの意図とやらを話しなさい」
「ゲホッ! ゲホ……ッ!」
「聞こえないのですか?」
「ゲホ……ヒッ!? は、話します! 話します!」
サンドラにすごまれたクリスティアは、それはもう綺麗なフォームで平伏し、そのままの体勢で包み隠さず全てを語った。
まず、聖王国においてクリスティアは教皇と手を結んでいるが、聖女としての立場もあり、表立っては中立を貫いている。
だが、ロレンツォはクリスティアを利用しようと、これまでも色々と画策してきたそうだ。
そこで、教皇と相談してデハウバルズ王国に親善のための使節団を派遣することを計画し、事前にその情報をロレンツォに流すことによって、あえて『聖女誘拐事件』を引き起こすように仕向けた。
同行者には聖騎士カルラを置き、ロレンツォを討つ準備もしっかりと整えて。
ついでに、表向きは王国への親善が目的ということもあるので、これを機に王国内に協力者を確保することも考えた。
何せ、クリスティアは二年後に、王立学院に留学する予定なのだから。
そうなると、同い年であるウィルフレッドと僕に白羽の矢を立てるのが妥当だと考えたわけだが、どちらも『
だからクリスティアは、僕達を試し、見極めることにしたんだ。
噂どおりの人物であれば一切関わりを持たないようにし、そうでなければ、手を結んで協力を取り付けようと。
ただ、手を結ぶにしてもクリスティアが有利な形にしたい。
なので彼女は、あえて僕を
ウィルフレッド? 残念ながら、お眼鏡にはかなわなかったみたいだよ。
「……そ、そういうことで、決してハロルド殿下を
卑屈になって媚びるクリスティアの姿に、僕は何とも言えない気分になったよ。
◇
「ふふ、冗談です。せっかくハル様は、バルティアン聖王国と聖女という後ろ盾を得たのです。それを台無しにするつもりはありませんよ。それに……あなたにその気があると勘違いして、調子に乗るあの
「は、はい! そうですよね!」
今はクリスティアが、全力でサンドラに
二人の間に何があったのか知らないカルラは、微妙な表情をしているけど。
「コ、コホン……ですが、まさかロレンツォの正体がヴァンパイアだとは、思いもよらなかった。あのような者を聖王国においてのさばらせていたとは、痛恨の極みだ」
何とか空気を換えようと、カルラが咳払いをしてロレンツォの話題を振った。
僕は前世の記憶があるから、アイツの正体を知っていたけどね。
「他にもロレンツォと同じヴァンパイアが潜伏している可能性もありますので、聖王国に戻り次第、徹底的に調べましょう。それで、ハロルド殿下におかれては……」
「もちろん、このことを誰かに言うつもりはありませんよ」
僕は人差し指で口を塞ぐポーズをし、おどけてみせた。
「ありがとうございます」
「かたじけない」
クリスティアとカルラは、揃って頭を下げた。
さあて……これで図らずも、『エンゲージ・ハザード』のクリスティアイベントを僕がクリアしたことになっちゃったわけだ。
ゲームみたいに聖女は『恋愛状態』にはなってないものの、ある意味それ以上の関係を気づく結果にはなったけどね。
そして。
「デハウバルズ王国の皆様、大変お世話になりました」
いよいよ聖王国へと帰る日となり、王宮の玄関でクリスティアが深々とお辞儀をした。
当然ながら、ホストである僕とウィルフレッド、他にもカーディスや外務大臣、文官などなど、総出でお見送りをしておりますとも。
「クリスティア……また、二年後にお逢いしましょう」
「はい……」
クリスティアの前で
聖女も、どこか熱を帯びたような表情を浮かべているが、全て演技なんだからすごいよね。
まあ、そうじゃなきゃ聖女なんて務まらないのかもしれないけど。
「ハロルド殿下も、本当にありがとうございました」
「いえ……」
ウィルフレッドとのやり取りから逃げるように、クリスティアは僕の
「……アレクサンドラ様やロレンツォから守ってくださり、ありがとうございました。あなた様の優しさ、永遠に忘れません」
耳元で熱い吐息とともにささやかれ、思わず僕は直立不動になってしまった。
どいうか、どんな裏があるんだろうか。怖いんですけど。
「それでは、ごきげんよう」
カルラにエスコートされて馬車に乗り込み、クリスティアは王都を去っていった。
「……ハル様。聖女様は何を?」
「っ!? いい、いえ! ただ今回の件で感謝されただけですよ! 本当です!」
何もやましいことがないはずなのに、サンドラの声で凍死しそうになったから、僕は思わず声が上ずってしまったよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます