② 仕事終わり

「やぁだぁ、高橋さん。まだやってたんですか?もう夜の9時ですよぉ」


薄桃色にてかる口元を歪めてにやつくのは、経理の桐原きりはらという女だ。


千暁ちあきより10歳以上の年上だが、経費削減を目論んで、やたらと絡んでくるのに辟易する。


「今、最終確認作業中です。お話があるなら、患者様がいらっしゃるので、場所を変えましょう」


「え、おっそ……やっぱ権能スキルのあるなしって大事なんですね!なんで、加護なしノースキルにしかなれないような人じゃなくて、ちゃんとした人を寄こさないのか、わっかんないけどさ。これだけ時間がかかるなら、もう少し料金を下げてもいいんじゃないかなぁ。だって、普通の清掃員だってこのくらいですよぉ?えっ……ほんと、ないなぁ」


桐原は千暁ちあきの視界に割り込んできて、大げさに紙を広げて、口に手を当てて驚いた真似をしている。


千暁ちあきは腹が立つよりも、珍妙なテレビショッピングの司会を眺める気持ちでいる。


桐原による過度な料金の値下げ交渉はこれで2回目だ。


もともと嫌味たらしく話しかけてくるから、軽く見られているのは知っていたけど。


前回の依頼時にも同様の提案をされ、依頼の際は必ず稼働しているボイスレコーダーの音源でもって、その日のうちに病院側に苦情を入れた。


でも即座に彼女の直属の上司である事務長と、更には病院の院長と看護部長も揃い踏みですっ飛んできたのには驚いた。


その場で千暁ちあきに全面的な謝罪をした彼らに、桐原を経理と関係ない他部署に異動させると聞いていたのだけど。


あの後から1か月は顔を見せなかったのに、ほとぼりが冷めたとでも勘違いしたんだろうか。


桐原が提案した報酬は、政府に最低でも、と保証された一件あたりの金額を大きく割り込み、通常の清掃員と同等の額になっている。


差額を着服する気か疑いたくなるほどだ。するつもりなんだろうが。


そも対象者に非がある場合、保険のきかない治療費と諸経費の大半を支払うのはそこで転がっている男か。その親類縁者だ。


千暁ちあきには疎い分野だが、それこそ信仰する神に祈れば、と思う。


でも、自身の非で呪詛を受けた穢れた人間どもに、神はそんなに優しくないらしい。


そうして誰からも見放された結果、特殊隔離病棟のある病院に担ぎ込まれるのだ。


「ここは病室ですので、騒がずに移動をしてください」


「じゃあ今回から引いておきますね!やっぱ、もらいすぎだと思うんですよぉ!」


桐原は茶目っ気を含んで笑い、胸の前で両手を合わせている。


「……貴方は話を聞いていないんですか?そうした話をするなら、部屋を移動してください」


「は?なに、ここ、ばかのうめき声でうるっさいんで、もっとはっきり言ってくれないと聞こえませんよ?あっもう帰るとこでしたよね、こっちは話終わったんで。失礼しまーす」


勝手に瀕死の患者のいる部屋に割り込んでそれか。


別に千暁ちあきは病院のスタッフという訳じゃないが、ようやく呼吸が整ってきた患者に一礼して詫びる。


もういっそ桐原を系列の他病院にでも飛ばしてくれと願っているが、そもそも左遷を繰り返した上で、ここが最後の病院らしい。


(もうここの依頼やめちゃおうか。社員からハラスメントを受けた、で十分通じるし)


【迷宮清掃】依頼は探索者ギルドか会社に掲示され、適切なスタッフに振り分けられる。


この病院の事情が特殊で、一発で解決する【権能スキル】使用が不可、完全手作業が大前提の依頼であるので、会社でも千暁ちあきしか受けられない依頼だ。


なんとか人を呼ぼうとしてか、依頼料は高額だが、千暁ちあきが辞めても代わりがいない訳じゃない。


(しかし、まだ清掃員と区別のついてないひと、多いなぁ)


迷宮清掃員ダンジョン ジャニターは清掃も行うが、さまざまな事情で発生した呪詛祓いと門の開け閉めが主な仕事だ。


つまり出来そうなことはだいたい押し付けられる。


一時は国会で名称変更を議論されていたようだが、結局諸々の事情から変わりない。


詳しくない人からは扱いを一緒にされて、不当な請求額と判断されがちだ。


迷宮清掃協会が現状改善のために、躍起になって代表となる政治家を送り込もうとするわけである。


基本、人は関わりの薄いことには、ふんわりした認識しかない。


迷宮清掃員がそこそこ高収入なのは認めるが、それは誰かが命懸けでやらなければならないことだからだ。


千暁ちあきの先輩も何人か死に、四肢のいずれかを落として辞め、中には精神を病んだ者もいる。


神罰、呪詛も限界まで煮詰められれば、田畑は枯れ、水源は干上がり、正体不明の蟲が人も家も構わず喰い散らかす。


これで報酬も低ければ、誰も受ける気はしないだろう。


こうしたやっかみとあてこすりはつきものだけど。


特にこういう馬鹿の後始末をした後だと、やるせない。


「……ん?」


なんだか、遠くの方から小刻みに重たく地を蹴る音、が。


「……んぐ、しつれ、しま、すっふ、ふぅ!」


「院長」


「ごごっ……がら、いどっ……」


「落ち着いて息をしてください。とりあえず廊下に出ましょう」


走れない院内で全力で早歩きした結果、ろくに息もできない様子の院長である。


そこそこ高齢の医者なので、普通に心配になる有り様だ。


そして、先程情報提供を受けた医師が、水際の☆コニーの病室に駆け込むのとすれ違った。


「ずみ、ばせっ!き、ぃはら!」


「大丈夫です、呼吸を優先してください」


「いら、いやめッな、ひでぇ、くだッひゅッ!あな、だじがいないんれしゅッ……!」


「わかりましたから、呼吸をしてください」


素人にもよくわかる錯乱状態である。まともに呼吸もできていない。


「ナースコール押しま……あっ」


幸い、他にも跡を追ってきたらしいスタッフたちがいたらしい。


数人は病室に入っていき、大きなワゴンを運んできた残りの人たちで、院長のバイタルチェックから始まっているけど。素人目にもあんまり大丈夫じゃなさそうだ。


死に体の院長の代わりに、事務長による説明を受けた。


「うちの職員が重ね重ねご無礼を……!!今度こそ懲戒免職にできる証拠を掴んで、今日謹慎していた桐原を呼び出していたのですが、時間になっても姿を現さなくて……よもや最後の手切れ金代わりに貴方の技術を買い叩こうとするなど……!」


横領かな、と思ったら、詳細は伏せられたが、横領と他職員への恐喝と窃盗のことである。


ほんとどうしようもないなあの女。


「いえ、わかっていますよ」


「わかってませんよぉ!!高橋さんが青森県内でも唯一の【権能スキル】なしの完全手作業だから、神々の力が偏らずに、患者治療ができるんです……!やめないでください……!」


その辺は複雑な事情がありすぎて、門外漢には説明されてもよくわからないが。


どれだけ完璧に治ろうが、【権能スキル】使用前提の信者向けの治療が主では、医師とは名乗ることを許されないらしい。医療保険も適応外だ。


ただ、病院が何らかの形で少しでも神の介入を許すと、患者が信仰する神の関係性によっては、治療できなくなることがままあるらしい。


病院待遇による医療保険からの報酬を得ながら、メンバーカードを作るくらいの気楽さで、信者となることを求める病院もあるようで、こちらも社会問題になっていた。


同じく、迷宮ダンジョン清掃員の【権能スキル】による清掃は、加護を与えた神による縄張り宣言にも等しい。


こうなっては病院としては名乗れず、国への登録すら祈祷院に変更となる。


どうも、これが神に寄らない医学を学んだ彼らには、大層屈辱的な事態なんだそうだ。


「救急病院が、担ぎ込まれる患者の信仰に、治療効果を左右されるようじゃ終わりです」


事務長はそう言って顔をしかめているが、その後ろでとうとうストレッチャーで搬送された院長は大丈夫なのだろうか。


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