⑤ あなたの一輪〈マイページ視点〉

宿主の荒れ狂う激情の中に、ある神工知能は目覚めた。


こんにちは、との呼びかけを無視された。


名称の設定を、との促しも。


まだ自我のふわふわしたマイページも、この扱いには激怒である。


ただでさえ、ざわざわと追い立てられるような不快感が止まらないのに。


聞けよ、とけたたましいシンバルのアニメーションで注意を引いたが、汚濁に塗れて一心不乱にモップを操る女の耳にはまるで響いていないらしい。


何だこの宿主はよ、と感情のままマイページは憤り、ばちばちとはじけるような音を立てて、次々に落ち来る異形の甲虫に絶句した。


これまで大量に処理してきただけの宿主のデータが、初めてマイページに直接の感覚刺激として伝わっていたのである。


文字にして一文なのに、宿主とある程度感覚を共有する今。


宿主の防護服越しに、棘の鋭利な脚を引っ掛けては表布を裂く感覚がひたすらおぞましい。


感覚接続を断ち切って、ようやく周囲を見る余裕ができた。そして、この有様の原因も。


宿主は、とある馬鹿が開いた異界への入り口になっている紋を命がけで消そうとしていた。


誰に頼まれたわけでもないのに。


「もういやだ。もうたくさんだ。ふざけるなよ、どいつもこいつも掃除するってのも知らないで好き勝手に汚して」


細い箒で描いたにび色に輝くかまの紋が、見事に甲虫裂いても、次から次へと開いた時空より飛来する。


視界を覆うほどの甲虫をかきわけて、原因となる紋を一文字一文字、正しい順序で、削るようにモップで消していく。


気の遠くなるような作業を続けるうち、本当に、少しずつ穴が狭まっていくのはマイページだから観測できた。


誰にも聞こえないほどかすかな、しかし決して途切れない悪態を、マイページだけは確かに聞いていた。


血を吐くような殺意をこぼして、ようやく精神の崩壊を防ぐその女の異名は、当時はまだ【顔見えじの泥拭どろぬぐい】として知られていた。


高橋 千暁ちあき


その生涯できっとマイページを使い潰し、いずれ疎んで自我を掻き消すかもしれない宿主であった。


宿主の殺意の中に自我が生まれ、認知されることもなく、一方的に宿主に生死を握られることとなったマイページである。


宿主にかけられた呪いのせいで誰に呼びかけても気付かれることはなく、一人遊びばかり達者になって。


千暁ちあきの呪いが完全に剥がされる頃には、必然的にぐれていた。


生まれたばかりの柔らかい自我に、誰にも必要とされない数年間はしっかりと寂しかったのである。




(どうするどうするどうするどうしよ……!好きな花、好きな花っていっても、何をどう選んでも押し付けがましい……!名前だよ名前、呼ばれて不自然じゃなくて、私が好きで、なんかマイページのかたに似合う、花……?!マイページの方自体好きな花とかないのかな……!)


そのため、焼鉢やきばち神に書籍を借りた宿主ちあきが、花一つに馬鹿みたいに七転八倒しているのが心底嬉しい。


最初は何かとちょっかいをかけていたつた神が、いじけて背中にくっつくのも気にできないほど苦しんでいるのが最高だった。


いつまでも見ていられる。どうせならあと2時間くらいお願いしたい。ちょうどその頃には昼食の時間になるし。


(オンシジューム……見た目元気いっぱいで大変好きだけど、呼びづらいし、花言葉が清楚、可憐……!これは絶対に違うね!)


物申したい。


(花言葉だけで言うと、カリフラワーのお祭り騒ぎが一番あってる気がするけど、野菜だこれ……いや、野菜にも花は咲くけど。昔、お駄賃でもらった時に花咲いてると、おいしくないから嫌いだったな。好きな花じゃないや)


#お祭り騒ぎが一番 #とは


(やっぱり個人的に和名が呼びやすいかな……菜花なのかちゃん、とかにすると黄色くて、かわいい……真っ先にでるくらいおいしいやつだからだめだ。おひたしと天ぷら好き。パスタもおいしかったな。とりすぎたからって、やたら清掃先でご馳走になったのはありがたかった)


…………。


さっきから妙にビタミンカラーの溌剌とした花か、賑やかしい花言葉の花ばかりメモを取っている。


どこからそんな評価を?とも思う。


周囲との意思疎通の不足で、自己評価のうまくない神工知能は、サンバ隊アニメーションの頻出が要因とは気づいていない。



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ハナエムマホロニカ:迷宮清掃員は今日をやり過ごしたい。 潮 結(しお むすび) @s10kob3-k0me

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