第2話 めがみ?

眠る人間には隙が多く、襲撃に適していると、千暁ちあきは身をもって知っている。


その場を逃げ延び、社長に連絡さえつけば、いくらでも倒れることができるので。

ぬくもった布団から未練なく起き上がり、しかるべき対応をするのをこれまで迷ったことはない。


ただしそれは人間、加害を加えてくる相手に限りで、そこに見たこともない神は含まれない。


なんで相手が神かとわかるか?


悪質な人間を神と思い込んで、悲惨な詐欺被害に遭わないように、鑑別のためのまじないは、一般公開されている。


どんな場面でも使えるように、数種類用意された内の一つが、布団の内で容易に結べたためである。


相手が真に神であれば、呪いによって何かが起こる。それ以外は何もない。


千暁ちあきの場合、鑑別に迫られた相手が、本当に神だったことは一度もないから。


結んだ印に、すぐさま涼やかに薄荷ハッカが香って、経験のない事態に行動が遅れた。


つまり、神がいる。


己の寝床に神がいる。


……いや、なんで?


そして、その行動もまたわからない。


目を開けてしまえば、起きていることがばれる。


おまけに今は眼鏡をかけていないので、見たところで正体がわかるはずがないのである。


(顔、さわられてる……)


ぺち、むに、みょん。ぺりぺりぺり。……ぺんっ!


オノマトペに表せばこんなところか。


先程からふにふにとやわい、少し汗ばんだ掌によって、一生懸命顔から何かを剥がされているのだ。


何枚も、何枚も。


最後、勢いよく、どこかに叩きつける音がする。


顔に巻かれたラップを剥がされる心地で、それが不快かと問われれば全くそんなことはない。


むしろ風通しが良くなり、薄荷の香りの空気に、息が吸い込みやすくなった。気がする。


ぺちぺちぺち!


(拍手……あと、なんか、ぴょんぴょんしてる?うれしそうだ)


木造りのベッドフレームが小さくきしんでいる。


少しだけ腹のあたりに何か……小さな足のようなものが当たった気がして、うめき声が出た。


すぐに軋んだ音が止まって、恐る恐る腹を撫でられて、いる?


(どうも、行動がその……)


10歳離れた妹に酷似している。


ちいさな体で、世界を全部知ったようにせわしなく動くので、何かに当たってから存在に気づいていた頃があったな。


妹が勢いよく上げた手が、抱っこしていた千暁ちあきの顎を振りぬいた時、妹に顎を撫でられながら大変泣かれた記憶が蘇って。


つい、微笑んでしまった。


(……ん、動きが止まったな)


起きていたのがばれただろうか。


きい、きいと軋むベッドフレームの感覚で、ちょっとずつ近づいてきているのがわかる。


ひときわ大きく軋んだときに、息遣いから、間近で顔を覗き込まれているのを感じた。起きにくい。


よくないものとの対峙は散々あったが、千暁ちあきには未知との遭遇に等しい。


対処は識るが、実践のない知識はどこまで実施すべきか迷う。


夜分遅くに叩き起こすのは、人でも神でも無礼との認識は、合っている。はずだ。


何が起こるかわからず、寝たふりをして不安に息をひそめるのは、理解いただけるだろうか。


もち、もちもち、もち……


(…………? ん?!)


ひんやりとした手が、頬を包んだ。


何か、熱心にゆっくりとやさしくこねて、手触りを確認しているように思う。


しばらくして満足したのか、手を放される。うっすら目を開けて、確認する。


程近くでもかすむ視界は、黒い小さな……たぶん、腕?だけが……浮いて……


異形の姿は慣れてるのでどうでもいいが、そんなことよりも。


(なんだか、ショック、を受けているように、みえる?)


わなわなと宙で震えている。ように、みえなくもない。


そのうち、千暁ちあきが目を開けたのに気付いたらしい。


ぱたぱたと腕を振ると、ぺち、と両方の瞼に柔い、ひんやりした掌が当たる。


……子どもの手が、冷えている。


何をしたいのかわからないが、せめて暖房か温かな(ないが)物をと口に出そうとしたが、3本目の掌らしきものに口を封じられた。


3本目。多腕の神なんだろうか。


寝ろ、という意思は存分に伝わったので、小さくうなずいて目を閉じた。


伝わったのか、慎重に掌が離れて。


(……これは、何を?寝かしつけられている?)


ごわごわとした髪が、毛並みを整えるように、一定の間隔で指先が触れている気がする。


なにか、大切なものを扱うように、決して間違いがないように、丁寧に丁寧に触れられる。


昔、妹が千暁ちあきを寝かしつけようとなでた感覚を思い起こして、胸が詰まった。


今まで携わった仕事の中に、こんな特徴を持つ神はいなかった。


なんで、何もしていないのに、こんなに大事にしてもらっているんだろう。


(いや、もしかして。普通にそろそろしぬのじゃないかな。わたし)


ありうる。この懐の広さ、死にかけの人間への慈悲かもしれない。


死に際には、不思議なことが多く起こるというし。


例の病院からは度々栄養士にお話を伺いたいと捕まえられるし、年2回の健康診断では最初から個別で医師からしぬつもりかと説教が待っている。


過労がどうのと社長には週1〜2回は怒られるし、顧客には依頼のたびにネギだのりんごだの漬物だの背負わされる程度に悲惨な見た目らしい。


(……遺書とか、財産整理、社長に相談して早めに見直しておかないとなぁ)


今日は随分とかわいらしい神様をみたので、時間は短いだろうけど。ぐっすりと眠れるだろう。


そうしたら、きっと物を考える余裕もできる。


『おねえちゃん、だいすき!』


茉莉まり……)


ろくでもない目にあったけど、確かにいい思い出はあった。


なら、もういい。もういいのだ。




そう思ってそのまま再度意識を落とし、アラームに起こされ。


……千暁ちあきの首あたりを抱きしめるように眠っている存在に、息をのんだ。


ちいさな体だ。


簡単に触れるのに、腕以外が見えない。そして起きない。……起こすつもりもなかったけど。


仰向けに転がったままアラームを止めた千暁ちあきは、何とか眼鏡を探りあて、電話を掛けた。


「……もしもし、警察ですか?」

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