⑤ 夕飯前

井守。


井守なぁ、と思うも、あの夜も更けてフルメイクのスーツ姿で待ち受ける尋常じゃない行動をみると、何かしらの法を犯していても何も不思議ではない。


ただ、千暁ちあきの記憶から仕事上関わりある要人の弱みを握ることは難しいし、単におもしろ不幸話を知りたがった可能性を考えている。


いるのだ。理由はどうあれ、他人の不幸を味わいたがる連中はどこにでも。


(茉莉が初めて話した言葉がぶぶぶ、だった日、茉莉が学校で図工の時間に作った紙のカーネーションをくれた日、茉莉が家庭科の授業で作ったクッキーの飾りが取れてめちゃくちゃ泣いてた日、私が青森に行く時に怒って変な踊りしてた茉莉…………かわいいとこはちゃんと覚えてる)


そっと目を閉じて、妹が可愛くて仕方ないのが変わりないことを確かめた千暁ちあきは頷いた。


一番無くしたくない記憶はとりあえずある。


訴訟に必要な記憶は、警察に預けたからいい。


全貌がわかる前にキレる体力はもうない。


「で、あとは取調室を片付ければ……」


「そこは貴方の手柄を奪った方々全てに依頼してます。今日はこのまま休んでください」


「…………?! せ、請求は?」


「警察持ちです!」


「よかった……!」


何でも来歴には世に影響を与えた功績が載るそうだが、千暁ちあきの案件を騙った業者のそれが、今朝全て書き変わったらしい。


その功績を持って箔付けしていたために、メッキが剥がれて大層揉めているとかいう。


(いま、そんな面白いことになってるのかあ……!)


なんか覚えのある案件が、他人の名前で神に功績を捧げられていたのを、たまにテレビで見かけたけど。そこまでは怒る体力が足りなかった。


どうせいずれまた汚れる場所の清掃程度で、功績、というのもピンとこない。


思えば自分の班でなくても、学校の清掃をさぼった連中が、めちゃくちゃ怒られていれば胸がすっとしたものだ。


そこそこ苦労した清掃をあたかも自分でやりました!なんて連中が、今めちゃくちゃ怒られていると思うと単純に嬉しい。


「でも、他に頼むとお金かかりますし、死体の穢れもあるから【権能スキル】、使えませんし。よければ今からやりますよ。格安で」


これは本当に親切心だった。


「高橋さん」


そっと園原に首を横に振られた。


園原の優しい物言いを要約すると、どこの世界に殺しにかかってきた親族の、それも死体の後始末を任せる畜生がいるかよ座ってろ、とのことだった。


別に千暁ちあきは構わないんだが。


「ところで、なんでその連中なんです?汚名返上なら、もうちょっと難解な案件やった方がいいんじゃないかな……って思うんですけど」


見せられたリストの案件のほとんどが、段取りを整えて手さえ動けば済む、千暁ちあきでも可能な現場だった。


権能スキル】持ちなら、生身で踏み込めば5分と保たない灼熱極寒よりどりみどりで清掃に入れるだろうに。


よほど世間が平和で、めぼしい仕事がないのだろうか。


青森の迷宮清掃依頼は、いつもそこそこ賑わっていたのに。


(しかし、与太羅よたら橋に胡華丹こかたん堀まで……)


むしろよくこんな町内会の清掃レベルの細かな案件まで調べたな、と呆れるし、こんなものまで手柄として騙るしかない業者は本当に大丈夫なのか?と不安にもなる。


(なんだって警察も、こんな案件に、こんなにいっぱい業者を頼んだんだか……)


今回の取調室なんぞ、部屋が小さくて元のかびたくあんが死んでいるのがひたすら不快なだけで、すぐ片づくだろうし。


以前の疑惑を一掃するには、全く足りない現場だろう。


しかし、首を捻る千暁ちあきを、ひたすら凪いだ面持ちで見る園原である。


高橋一族の血肉と怨念が染み込んだ取調室は、今や近寄るだけで不調をきたす呪いのるつぼとなっていた。


それを千暁ちあきも一緒に確認していたのだけど。


(国内でも有数の迷宮清掃会社の方々が、現場を見た第一声、ごめんなさい、許してくださいがダントツ一位ですけどね!流石です、高橋さん)


なお次点が死にたくない、である。


死の穢れは、大多数の神々が最も忌避するところ。


権能スキル】頼りの迷宮清掃員ダンジョン ジャニターが、絶対に触れられない禁忌の一つである。


退けば嘘つき、恥晒しの烙印を押されて、功績を捧げた神にまで累が及ぶと考えても、清掃を完遂できる迷宮清掃員ダンジョン ジャニターはきっとこのリストにはいない。


(【権能スキル】頼みで、自分自身への信頼性が足りないばかりに、高橋さんの功績を奪った方々じゃ絶対に無理ですけど。まず、彼らの実力を証明しなければ、話が進みませんからね。騙った功績より、遥かに楽な現場なんですから)


千暁ちあきが病院で丸洗いされた野良犬になっていたちょうどその頃。


A4一枚を埋め尽くしたリストの業者が順番に、件の取調室前で命乞いで這いつくばり、廃業を宣言し、決死の覚悟で挑んで救急搬送されていたのは、本件にあんまり関係ないので説明する気がない園原である。

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