⑥ 種込み蕎麦

園原より、1週間は短くてもかかるから、あとは部屋から出ずに休んでくれ、とのことで。


園原が退室してすぐ、うきうきとバスタブに湯を張った千暁ちあきである。


ホテルなら気兼ねなくお湯が使えて嬉しい。


寮の大浴場は着替えに水を撒かれるなどの嫌がらせをされるので、外で格安のシャワーを探して利用していた。


なにしろ復讐の相手も多すぎると手に負えないので、作らない努力も必要なのである。


ほこほこと湯気をあげながら、部屋に戻れば、つた様が戻ってきていた。


「つた様!おかえりなさい」


    ただいま!

    ほかほか!えらい!

    お湯に浸かったんですね!


そしてまたばんざいをしながら、ちょいちょいと足元で飛び跳ね始めたので、身を屈めて膝をつく。


途端、首に引っ掛けていたタオルをしゅるんとさらわれた。広げたそれで頭を包まれる。


「うわぷぶぷ……!」


ちぃちゃな手でタオルをつかみ、はたはたと髪を優しく揉むように拭かれる。


    でもいっつも乾かしてないの 

    ダメです!

    風邪ひくし、髪が傷んじゃう!


「えっ……あ……?ぁ、あっ!つたさまぁ?!」


すぐには何が起きているのか、わからなかった。


つた様に絹糸のように扱われる自身の髪が乾き、ちくちくと顔に当たり始めて正気に戻った。


顔から火が出そう。ガキじゃあるまいし。


「やります、今からやりますから……!」


そろそろと後退するも、攻めるつた様は容赦がないし、意外と力強い。


尻餅をついた千暁ちあきは容易に抑え込まれて、そのまま大事に扱われてしまっていた。


    だーめです!今日はあたしの

    好きにするんですから!

    なので千暁ちあきさんを大事に

    します!


「しんじゃのじりつをうながしてはいただけませんか……!」


    やだ!

    ……んん。今日だけはだめ!

    ずっといつかこうしてやるって

    決めてたんですから!


(やだ、の方が、本気だった……!)


つた様曰く、これは千暁ちあきの信用のなさが悪いそうである。ぐうの音も出ない。


確かに短髪なので、普段は自然と乾くのを待っていた。


でも25歳にもなって、自分の膝まであるかも怪しい背丈の方に、ガキみたいな面倒をかける恥ずかしさ、汲んでほしい。


大騒ぎしながら髪を乾かした後、千暁ちあきは備え付けのガウンのようなパジャマを……


ぺら、とまくり、ぺた、とたたみ直し、クローゼットの引き出しに戻した。


(病院着よりマシだけど、薄くて何かあった時、心許ないな……!)


元々着ていた服は破れてしまい、つくろっても着れたもんじゃない。


社長に寮に着替えはないかメールしても、千暁ちあきの部屋の雑巾は捨てたぞ、との返信がきた。


なんとかかき集めた古着に、何してくれてんだあの人。


抗議したら、全然見覚えのない洋服が詰まったウォークインクローゼットの写真が送られてきた。


どうしたんだあの人。


あんたのはこっち、じゃない。


いつから用意してたんだ。


あの人、会社というくびきから解き放たれて、部下との適切な距離感まで忘れていやしないだろうか。


勝手に寮の荷物を処分された挙句、高価そうな衣服を購入されていた、なんて訴えて勝てる案件だと思うが。


(社長のことは、ぎりぎりまで忘れていよう)


元気な時じゃないと相手にするのがだるい。


それで仕方なく、しばらく着ていられそうな格安訳ありジャージを、取り寄せようとしたのだ。


そうしたら、つた様はわかるが、マイページにまでこんこんと倹約と吝嗇りんしょくの違いを説かれてしまった。


結局、つた様と選んだ動きやすくて暖かなパジャマをはじめ、明日の着替えと生活に必要な物も購入した。


「……なんだか、服とかで一気にこんな額を使ったの、初めてでどきどきしますね……」


    お知らせ

    装備中の神造しんぞう眼鏡の

    オーダーメイド価格調べますか? 

       はい  いいえ


「貰い物の値段を詮索するのは良くないことだと思います……!」


いいえを長押しする千暁ちあきである。


風呂も入って歯も磨いた。


ならねるだけ、と布団に吸い寄せられるも、裾を引く手がある。


    ごはん、食べないの?


千暁ちあきはそこそこ学習する方だ。


最初からそのつもりでしたよ、とばかりに、おとなしくテーブル前の椅子に着席し、【汎用権能はんようスキル:取り寄せ】を使った。


画面右上に全財産が反映されるらしい。


一昨日、ちょうど母が作った300万円の慰謝料を肩代わりしたが、昨日は協会の仕事も軽く一件受けた。


画面右上の額を確かめる。


500,000円もあれば懐には余裕が。


(…………なんか今気づいたけど、ぜろ、いっこ、多いね?)


詐欺かと思ったら、退職金だった。


社長もよくもぎとってきたな、と思うが、あとで返金を要求されないか心配になる。


    ごはん食べても減らないですよ!


「…………つた様も、お好きなの選んでくださいね?」


    千暁ちあきさんがちゃんと

    好きなの食べるなら選びます!

    そうじゃないと、同じのにします!


「あ、あー……どうしましょうか、ねぇ」


手癖で選んだもやしをカートから外す。


恐らくずっと見守られていたなら、袋に入れたままもやしを洗ってそのままレンジで温め、塩を振り入れて終わっていた夕飯もバレている。


自分は腹が膨れれば構わないが、つた様が同じものをと言い出したらと思うと、考えただけで胃が痛みそうだ。


しかし値段と聞きかじりの栄養学で、なんとか病院に厄介にならずに済む程度に食べていたから、いざ、と言われると迷う。


おいしいものはわかる。でも、好きなもの。


うなぎ、は社長から散々にされた時に奢ってもらうやつなので止める。


全国の、おいしそうな料理がずらずらと指が動くたびに流れて、どうにも目が滑る。


ピザ、ハンバーガー、カレー、ラーメン、ええと。


こんな修羅場を越えた後でも食べたいほど好きか、と聞かれるとそうでもとしか。


(あれ、あれ……?私、コンビニのおでん以外に好きなものってあったっけ……?その、つた様にも、勧められるようなのとか)


食べられるだけでよかった。


誰かに奢られたこともあったけど。


今までご馳走になったおいしいものが、不思議と思い浮かばない。


いったい何が好きなんだっけ。


2回続けておでんでもいいけど。友達同士の昼食で適当につつくならまだしも、散々守ってくれたつた様にコンビニのそれを勧めていいものか?


   お知らせ

   ランダムで夕食の献立を提案可能です。

   利用しますか?


固まる千暁ちあきを見かねたか、マイページからありがたい提案がある。


(はい……!)


   お知らせ

   貴方の深層心理から、好物に該当する

   料理を提案しました。


   好物!?あたし知らないです!

   うなぎじゃないんですか?!


(鰻はおいしいけど、社長の無茶振りで相当苦労した時の詫びの味だから、今はかなり食べたくないな……!)


社長は詫びるのが下手なひとだ。


母だけが食うご馳走だった鰻を、初めて食った千暁ちあきがはしゃいだのをいつまでも覚えてそれにする。


どれどれ、と覗き込んだ画面に、たったひとつだけ料理の名前。


種込たねこみ蕎麦。


釧路名物だが、かろうじて北見にも出す店があった蕎麦だ。


母がラーメン好きで、好きな具を他人のどんぶりからもさらうから忙しなくて、たまに死んだ父が連れ出して食わせてくれた、蕎麦の方が味を覚えている。


青森に入ってからは、かしわを卵でとじた、親子蕎麦すら見当たらなかったのを思い出す。


北海道では、かなりポピュラーで、確かに千暁ちあきの好物だった。


社長に知らないと言われてからは、たまの奢りで蕎麦屋を考えることもなかったけど。


(もう店に入るたびに、青森ここにはない、って思うの嫌だったな。……今の茉莉は何が好きになったのかな。前より色々食べられてるといいけど)


かわいい妹が、手元のおぼつかないガキだった頃の千暁ちあきが作った料理より、ずっとマシな料理で生きてる、と思えばさっきより気持ちが軽い。


「……つた様、私、これにします」


    たねこみ?ってなんですか?


「私の故郷にある、温かい蕎麦なんですけど。店によって具材は違う、んだったかな……単に具が倍になってる、ってとこもあるんですけど。私が子どもの頃すき、だったのは鶏肉のたまごとじと、海老天がのってました」


    お蕎麦は知ってましたけど、

    それは豪華ですね……!?


「ん、ふふ、確かに」


    じゃあ、あたしは同じ店の、冷たい方の

    力そばにしようかな!


薄い狐色した揚げ餅の、力蕎麦の写真をちぃちゃな手がぺち、と叩いた。


つた様はお餅が好きらしい。あとで記録にも残しておこう。


マイページオススメの店は、神様へのお供えに、全てこじんまりしたサイズが選べたので助かる。


今の体格だと、つた様は小さなお椀で満腹らしい。


「マイページのかたは何か頼みますか?」


    お知らせ

    まだ経口摂取可能なレベルには

    足りないのでおかまいなく。


(……レベル?)


それが足りれば食べることもあるらしい。


やはりマイページには、何かしらの神性の存在を感じる。


蕎麦はつた様と、ほかのメニューを眺めながら話すうちに、まずつた様の分が届いた。


つた様の分は、漆塗りの丸いお盆の中央に、ちょん、と手のひらサイズのどんぶりが置かれていて、少し豪華な箸袋の小さな箸だ。かわいい。


「つた様の力蕎麦、盛りつけがかわいいですね」


更科蕎麦に小指の先ほどの、薄く衣のついた揚げ餅が3つのり、葱と刻み海苔が散らしてある。


つた様が蕎麦徳利で上から蕎麦つゆをかけると、揚げたてらしい餅がぱしぱしと弾いて音を立てた。


ちぃちゃな手で箸を器用に使って餅を慎重に吹き冷ますと、ひとつをそのまま頬張ったようで、急に餅が消えた。


途端、雷に打たれたように、腕を震わせたつた様である。


     揚げ餅おいしいぃい……!

     おかしな効果がでなければ

     千暁ちあきさんにも味見をして

     もらいたかったのにぃ


「じゃあ、今度は力蕎麦も試してみますね」


     はい!おすすめです!


箸を持つ以外の4本の腕が、ちいさく指先でジェスチャーして、こんなにおいしい!を伝えてくる。かわいい。ずっと見ていられる。


それから細い蕎麦を手繰たぐり、ちるちると静かにすすっている。


たまにおいしい、と呟くように聞こえてくるから、気に入ったようである。


(あ、きた)


ほどなくして机が光り、千暁ちあきの分も届いた。


柔らかな出汁の匂いが広がる。


人間の分も木のお盆に深緑のどんぶりで届いた。無骨な木造りの黒いれんげが添えてある。


(なんだか……記憶にあるよりすごーく豪華だよね?マイページの流れで注文したけど、どこの店なんだろ)


届いた種込たねこみ蕎麦は、ふわふわとした卵で鶏もも肉と縦切りの葱をとじている。ここまでは記憶通りだ。


でもなんか海老天がすごい。……すごい。


後にのせたらしい、どんぶりの縁に寄りかかる真っ直ぐな海老天は、一本でも堂々とした存在感だった。


こちらもつゆに浸った場所から、しゅわしゅわと音を立てている。


どんぶりの静かな熱気に気圧されながら、小皿の刻み葱をいれ、呆然と箸を割り、れんげをつゆに沈めた。


卵のふわふわをくずさぬよう、丁寧にすくって吹き冷ます。


一口ふくめば、なめらかな卵が舌を滑ったからだめだ。


止まらない。


箸で蕎麦を手繰れば、海老天による油膜が破れて湯気が立つ。


つゆにふやけた海老天もいいが、少し歯触りのいい衣も楽しみたいから。完璧につゆがしみきらないうちに噛みつく。


舌を焼くような熱さと、跳ね返すような弾力のある海老が、さくさくと容易に噛み切れて止まらない。


急かされるように海老天を食ってしまっても、もちもちと柔い鶏もも肉がまだ残っている。


千暁ちあきに細い更科さらしなが熱気でのびる前に、なんて考える余裕はない。


この熱くて美味いのが少しでもぬるんでしまわぬうちに、最高な状態で味わい切ってしまいたい一心である。


おいしい。


「……はー」


おいしい。


舌触りのいい更科蕎麦も、つゆに沈めた海老天の衣も、柔らかな鶏もも肉も、くたくたに煮えた葱も、卵とじに絡めて出汁と一緒にするすると飲み込めてしまってこわい。


それであっという間にどんぶりを空にしてしまって、名残惜しく残ったつゆをちびちび飲んでしまう。


(なん……なんでしょうねこの蕎麦……!すごくおいしい……!あー……え、すごい……!思い返しても好きなところしかない……!ちょっと冷めてもつゆがおいしい……ちょっとだけご飯も欲しい)


どんぶりを見つめて静かに感動を噛み締める千暁ちあきの顔は、側から見れば深刻そうなしかめっつらである。


何しろそこそこな後悔を抱えていた。


(もうちょっとゆっくり味わえばよかった……!いや、でも噛み締めちゃったらのびちゃうし冷めちゃう……火傷するくらい熱いのがいいし……海老天への時間のかけ方が課題かな……?結局つゆに浸すし、卵とじの上に避難させるとか……)


全部筒抜けのつた様は、かわいいなぁとほわほわしていた。


小さなどんぶりはとっくに空になっていた。


今は向かいの席から、好物に真剣に取り組み、何故か反省会を始めたかわいい子を見つめるのを楽しんでいる。


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迷わず全ての星を染め、店に対して追加のレビューで勢いのまま打ち込み、何か言おうとして何も言えてない文章を全て消してから、結局簡素な文を送ることで出会いに感謝するしかない千暁ちあきである。


できるだけ末永く続いて欲しい店だ。切実に。


「マイページの方、ありがとうございました……とても、とてもおいしかったです……!」


今、千暁ちあきは間違いなく幸せである。


なんていいものを食べたんだという気持ちで満ちていたし、心底この出会いを神に感謝していた。


なのでこのまほろでは、神が降臨くらいする。


【恐縮です。……こちら、蕎麦茶です】


低く、落ち着いたの声が聞こえた。


「…………へ?あ、」


お盆が消えた跡に音を立てずに置かれた、白磁の美しい湯呑みに、香ばしい蕎麦茶が注がれていく。


「ありがとう、」


茶の軌跡を追えば、丸みのかわいらしい白磁の急須と…………歪んだ色味の触手。


「ございます……!?」


振り向いた千暁ちあきは、燃えるような赤髪の、美しい女神と目が合わなかった。


それは言うなれば、以前誰かに見せられたアプリゲームの美麗な一枚絵イラストそのままだった。


赤髪をかんざしでまとめ、神々しい装飾のついた割烹着をまとう女神の一枚絵イラストが、千暁ちあきの横にポスターのごとく佇んでいたのである。


その右手のあたりから、後ろからきりでついたように歪んでのび、なんとかそれを触手として急須を持っていたのがわかった。


【夜分遅くに申し訳ない。お会いしたいと手紙は出しましたが、まさかそれが届くより前に、作った蕎麦で強い祈りに呼ばれるとは……】


笑い含みの老人の声で喋る絵が、真ん中で折れる。


……それが会釈とわかるのに遅れた。


【初めまして、炭抱き神の焼鉢やきばちと申す、神の末席を汚すじじいでございます】


………………


親子蕎麦、某カップ麺では北海道限定のご当地蕎麦として販売されていますが、種込み蕎麦は道民でも知る人が少ない釧路名物だそうです。

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