⑩ 青森の不憫モップ

「あの、ほんとにやめちゃうんですか……?」


「世間の反応次第で辞めますよ〜!代わりはいくらでもいますから〜!」


加護なしノースキルが、急に尊重すべきになる。


神から見逃された加虐が、今更あらわになるのを歓迎する人間はいない。


蝶紋の防衛も完全ではないし、神々が不祥事を秘匿しようと信者に手を貸す可能性は高い。


先行きがホワイトアウトしている現状でも、流石にそんなバカみたいな理由で死にたくなかった。


そもそも、そんな連中の方が先にどうにかなるべきなので。


「いーやいやいや、あの、ほんと、そんなことはないと思いますが……局地的と言えど、表彰とか宣伝とかなしに、世間に知られた二つ名がおありなのはね、ほんと異例な事態なので……!」


警察官どもは何かもごもご言っているが、千暁ちあきとしてはただの悪口と認識しているので何の感慨もない。


「それで取調室、どんなことになりました?」


「取調室内に搬出できない死体が3つ増えて、特攻した御神体が10個取り残されています」


「ほあっ……?!」


人が死ぬような案件ではなかったはずだが、一体何があったのか。


「会社に強要された方は保護しましたが、これまで受勲された迷宮清掃員ダンジョン ジャニターが、どれほど実力を過信した方かまではわかりませんで」


まあ、あの程度の取調室を、呼んだ連中全員がどうにもできていないなら、確かに千暁ちあきでもそこそこの戦力だろうけど。


流石に、それはその、なんで死んでいるのか?


「りゆうをうかがっても」


曰く、穢れを祓えと神に頼んでその場で潰された。


曰く、呑気に防護服なく突っ込んで、発生していたよくないものにより死亡。


曰く、穢れた神が存在を保てず消失して、頼んだ人間が発狂して自死。


(他はともかく、防護服なしは流石に防ぎようがあった馬鹿では……?)


ゆで卵を電子レンジで作ろうとして爆発、レベルの失敗らしい。


ネットからアクセスできるような常識レベルの禁忌事項を、丁寧に一つ一つやり遂げたようだ。


つまり説明書を読みさえすれば回避できた事故である。


恐る恐る確認した現場は、警察へのテロを疑われても、遜色ない仕上がりだった。


呼ばれた連中は、ほんとに迷宮清掃員ダンジョン ジャニターか?


(せっかくかびたくあんの死体は片づいてたのに……!穢れがどことつながって湧いたかもわからない汚水に、なんかずるずる動いてる変なの……骨なし系の不定形の怪異ばっかりかな。それならまだ対処は楽だけども)


まあ、防護服があれば耐えられる環境なら、千暁ちあきがどうにかできる範囲である。


(この期に及んでどうして手作業を選ばなかったのかな)


あの大層な防護服はなんのためだったのか。


千暁ちあきは元社長から押しつけられたシルバーフレームの眼鏡を撫でる。


かしゅん、と滑らかに形を変えて、社長からもらった不壊こわれずの眼鏡は、フェイスガードに変形した。


「えっ!かっこいいやつですね!!変身?!変身とかありますか?」


「初めて見ました神造しんぞう装備!」


「いや貰い物なんで全然知らないですね……なんだこれこわい……」


「ええ……?」


なお千暁ちあきは一度外して、汚れても穏やかでいられる、買ったばかりの適当なデザインの眼鏡に付け替えるつもりであった。なんで?


     お知らせ

     変形は標準仕様だそうです。

     取り扱い説明書によると、

     迷宮清掃時の使用にも差し支え

     ない……ようです。


マイページのかたも曖昧なのが嫌。


呪いの装備じゃないだろうな。外れない。


     お知らせ

     発動後一定時間取り外し不可になって

     います。

     防御力は前回使用のゴーグルを

     上回ります。たぶん。


字が普段の半分くらいにちっちゃい。


(……仕事しよ!)


いつ稼げなくなるかもわからない。


とりあえず食費家賃敷金礼金光熱費、ついでに医療費と家電代だ。


見通しがたたない中、退職金にはこれ以上手をつけたくない。


死体は汚染されてるので、いつもの方法を付き添いの警察官たちと打ち合わせた。


破損した御神体の回収も、普段している方法で正しいようだ。


(……なんだ、神が見えてもやることはあんまり変わりないな)


準備を済ませて突入すると、灰色の粘液の中を、ずるずると不定形の怪異が這い出て来た。


普段なら蝶紋ごと吹き飛ぶくらいの威力はありそうだったが、つた様から授かった【霰盥あられだらい】の加護だろう。衝撃もなく耐え切った。


きらきらしい青い蝶がぶつかられる度に舞い、穢れを掻き消すようによもぎの香気が漂うが、いつもより気分は悪くない。


とはいえ怪異がそれだけで死ぬ訳もなく、ひたすらごすごすと強化された蝶紋に跳ね返りながら頑張っている。


(何をしたら死ぬかもわからないものをころすには、まず殺せる形に固めないと)


いつもの方法だ。


霰盥あられだらい】に浸した箒の先で、粘液に身を溶け合わせた怪異に、取るべき姿を手解きしてやる。


千暁ちあきはよく、それを蛇の形と教えていた。


「……行儀の悪い蛇さんだなぁ。人の呑み方もろくに知らないなんて。お口を大きく開けてごらんよ」


べぇ、と舌を見せたところでフェイスガードで見えなかろうが、あざけったのはちゃんと伝わったらしい。


取調室の天井に頭を擦るような眼光鋭い蛇が這い出て来たのを、用意していた紋を発動する。


取り出した札は、酒に浸した筆で、菖蒲しょうぶの花を描いたものだ。


息を吹きかける真似をすると、無色の紋はやたら薄紫に光り、紙から離れて浮かび上がった。


それを箒をバット代わりに打ちだす。


着弾。


轟音と共に、灰色の汚液が飛び散った。


(へんな効果は予想はしてたけど、流石に派手だ……!威力も強い。いつもなら、桃と菊も混ぜて5発はいるのに)


あとたまに、全然効き目がなかった理由も判明した。


(なかなか当たらなくて泣きながら掃除してた2年目は何だったんだバカ!)


まだ紋を描けなかった時分、紋は足元を見られながら法外な値段で購入していたのに。


これまで結構な数の透明な紋を打ち損じていたらしい。


見えてない球を打つのだから当然だが、千暁ちあきの脳裏には徒労の2文字がぐるぐると回っている。


生命の危機を感じた怪異が次々寄ってくるのを、同様の手段で手際よく片付け、粘液に沈んでいた遺体を取調室外の死体袋へ転送する。


灰色の粘液を渋々拭っていると、少し壊れた陶器やら木製の何かが出て来たのをこれまた転送する。


穢れにより変な道が開きかけているのは、専用の紋を使って閉じる。


そしてまた汚れをモップで掬い取っては、【霰盥あられだらい】の聖水に浸して浄化する。


ひたすらこの繰り返しである。


装備がいいので、なんなら普段より早く終わりそうだった。


(なんでこの程度の、手だけ動かせばいい清掃で死人が出ちゃったんだろ?よほどパワハラのある、安全講習とかしない会社だったのかな……)


…………

幸薄眼鏡氏の煽りは竜宮社長の真似っこしてます。

蛇に菖蒲、菊に桃、は昔話参考です。

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