⑪ 身喰い蛸(他迷宮清掃員 視点)

他の加護なしノースキルの口封じに繋がる可能性があり、高橋千暁ちあきの呪いが解けたとは明確には公表されていない。


他の迷宮清掃会社には、功績詐称が疑われているバレている以外の情報がない為に、憶測で保身する者どもにさらなる被害を産んでいた。


短気と短慮が売りの、与太羅よたら橋の棒振りだこ赤原あかはらという男も、会社に言われるまま功績を騙った1人である。


スキンヘッドにシルバーアクセサリーを合わせた、ふてぶてしい壮年だった。


よく暴れては物を壊すので、修繕関連の神より加護を頂いていた赤原は、ある日に勧誘を受けて迷宮清掃員ダンジョン ジャニターの職についた。


楽な仕事だ。


噛み合う【権能スキル】の者とチームを組めば、あっという間に仕事は終わるし、遊ぶのに十分な金も手に入る。


迷宮清掃員ダンジョン ジャニターとしてのノルマである年一回の完全手作業清掃も、どうせ加護に反映されないノースキルていへんの働きをもらってやるだけでいい。


会社からは少し線を結べば成立する紋だって支給され、依頼は危険性のないものを選別されて渡されていた。


赤原が所属する会社の迷宮清掃員ダンジョン ジャニターは、皆そうして経験を積んで、名をあげてきたのだ。


それで何も問題ない。ないと思っていた。


これまでは赤原自身の喧嘩っ早さと神に守られて、紋を使うような危機すらなかった。


でも研修会で、迷宮清掃を担ってきた一族である講師は、時代錯誤の儀式を端的に説明した後にこう言った。


「自身を清め、神に近づくように高める本来の目的とはかけ離れた清掃の仕方は、いずれ惨事を引き起こしますよ」


本当に穏やかに微笑んでそう言った。


そしてそれ以上何も言わず、質問も受けずに帰った。


大きな講義室は、水を打ったように静まり返り、統括としてマイクを握った上司はただ気の毒そうな顔をしていた。


「もう、探索者シーカー協会ができてからは、迷宮清掃が必要な案件も増えた。昔のように大人数で数日もかけていたら、その間にまほろが滅んでしまいかねないんだけどね」


そんな最高にきまずい研修会を、社員一同曖昧な頷きでやり過ごした。


彼らは迷宮清掃員ダンジョン ジャニターとして働くならば、これが必須の研修会と政府まほろに定められていたのも知らない。


最終的に責任の取れる会社に属していなければ、無名の迷宮清掃員ダンジョン ジャニターに依頼が来ることがないのも。


その講師から、不適格と発言があればその場で会社として成り立たなくなるのもまた知らない。


もちろん何一つ考えていない赤原は、講師への反論を日和った会社幹部に、ひどく失望して内心毒づいていた。


(あの講師は何見て物言ってんだ?探索者シーカーがダンジョンを見境なく荒らしてる状況を見てからモノを言えよ。テメェらで間に合わなくなってるから、俺らの需要があるんじゃねぇか……!)


神が触れるべきではない案件は、能のない加護なしノースキルがやればいい。


それで世間に少しでも貢献しているというなら、往来を歩くのだって不快だが許可してやらんでもない。


自分たちはこれまで通り、【権能スキル】に見合う案件だけ請け負えば、それで社会は十分回るのだ。


しかし何故か一向に赤原たちの功績は認められず、広まるのは加護なしノースキルの片づけた与太羅よたら橋の一件のみ。


挙げ句によく暴れてるのを揶揄されて、茹で蛸だの棒振り蛸など、散々に言われたのも気に食わない。


上司に呼ばれたと思ったら、地獄の門の前に立っているのも何故なのか。


(ふざけんなふざけんなふざけんな!!こんなの非戦闘員の迷宮清掃員ダンジョン ジャニターだけでどうにかなるわけねぇだろ!)


最初のグループから最悪だった。


虚勢で部屋に足を踏み入れた途端、嘔吐して気絶した奴が出たまではよくあることだ。


しかし床を踏んだ靴が、気絶した人間の突っ伏した顔が、普段ろくに使うこともない掃除用具が。


穢れに触れた途端に、刺激臭と共に黒く焼け焦げたのに悲鳴が巻き起こった。


これは単純に会社から支給された防護服が迷宮清掃においての基準を満たさぬ廉価なもので、なおかつお守りになる物もなかったためである。


そして最初のグループが総員で土下座し、他者の手柄を奪ったと神に詫びたために、その場で加護なしノースキルとなったことから、実質逃走出来なくなった。


あれだけ見下して来た加護なしていへんの立場に己が堕ちる可能性を、彼らはようやくここで思い至ったのである。


命さえ残れば、と依頼を辞退する者もいたし、神々に見放されれば終わる者は死ぬ覚悟で依頼を受諾した。


しかし一畳分すら穢れを拭いきれず、度重なる被害が怪異を呼んだ。


形の定まらない化け物に、凄まじい勢いで衝突されては、身体を轢き潰されて搬送されていく。


会社の名前順に依頼を受諾するか聞かれて、最後に投入されたのが普段赤原が組んでいる3人組だ。


警察官に入るかどうか尋ねられて、様子だけ見る、と答えて取調室に足を踏み入れて後悔した。


……今、はっきり思う。


(あの講師、なんで思わせぶりにじゃなくて明確に説明して止めなかったんだよ……!つか、なんで俺に回る前に片づかねぇんだよ!役立たずどもが!)


補足すれば、赤原は環境に恵まれてもどうにもならなかった他責思考の人であった。


暴言を吐き捨てている時も、心底傷ついてのことなので、今後も改善の見込みはない。


桃紋とうもんはもうないの……!?」


喚く女が五月蝿い。


神をも飲み込んだ穢れは、ぐずぐずと流れて廊下まで侵食してきている。


幸い、まだ質の良い防護服と靴だった為か、踏んで足を失うことはなかった。


だが初めて使う会社支給の桃紋とうもんは、ほのかに甘く香るだけで、数分と保たずに不定形の怪異に、結界が紙のように破られてしまう。


「あるけどだめだぁこの紙だと全然もたない!逃げよう!」


「おったまにはデブもいいこと言うねぇ賛成だ!」


こんな案件に呼ぶなんて、警察に文句を言ってやらねばなるまい。慰謝料だってもらわなければ。


それで踵を返した赤原の足に、縋りつく女の手がある。


洗浄の神 クロク神と縁のあった中年の女である。


名前は知らないが、別の会社の迷宮清掃員ダンジョン ジャニターだ。


私の神様なら大丈夫だと、やたら自信過剰に乗り込んで、汚泥に為すすべなく神が吸い込まれてから半狂乱であった。


(ぶっちゃけイキってからのアレはめちゃくちゃウケたわ)


思い出して吹き出しかけたが、涙と鼻水で汚れた顔面をこすりつける勢いに、赤原の頭は瞬時に怒りで沸騰した。


「きっっったねぇな!!触んな!!」


「やだあああああ!!クロク様が取り残されてるんです!!助けて!助けてください!」


「あんなんもう死んだみてぇなもんだろ、諦めろ!!そうでもなきゃテメェでいけ!」


(テメェで盾にして沈めた神に、何言ってんだこのババアはよ?)


だいたい人に縋ってないで、自分であの変なのに飛び込めばいいのに頭が悪い。


神殺しに日和ったなら、赤の他人に言い訳してないで、さっさと死んで詫びればいいのに。


「やだぁ……!」


「ふざけんなババア!!テメェだけ死んでろ!俺の足から離れろや馬鹿!!さわん、な、ってぇ!」


「いだいいだいいだい!!」


何度か蹴り飛ばして動かなくなった女を退かし、最高に苛立ちながら廊下の曲がり角を目指す。


もう会社をクビになろうが知ったことじゃない。なんなら今日辞めてやる。


そもそも上が命じてやったことが、悪いことだなんて誰も言わなかっただろう。


さっさと帰って酒飲んで寝よう。クソみたいな仕事だった。


「あぁああどうしよう、家族に何て言えば……!」


「あぁ?会社がとちったとでも言っておけよ」


「最初からろくに期待されてない赤原はそれでいいかもしれないけど、僕には神様がいるんだよ!」


「はい殺すー」


「バカやってないでよー!」


騒ぐ三人組は、最初、警察官に守られて、廊下を曲がってきたその女に気づかなかった。


そこを退け、と警察官2人からやんわりと指示があり、ようやく目を向けたのだ。


(なんだ?あのハリガネみてぇな女)


分厚い防護服を着込んでもわかる長身痩躯のその女は、人目を拒んで背を丸め、泥のように歩いてくる。


すれ違えば、痩せた背を押しつぶすような清掃用具の装備が、かすかに擦れる音が聞こえた。


その後ろを、岩間に晴れを覗かせた岩盥いわだらいが、くるくると横に回転しながらつき従っていく。


……あんな神造道具持ちの迷宮清掃員ダンジョン ジャニターなんか、赤原は聞いたことがない。


「誰だ?あのハリガネ女……」


「ばか!あれあんたの異名の元になった与太羅よたら橋の……!えっと……!」


「ひさん?モップ、だっけ」


「ちがう、なんだっけ、えっと……そう!ふびん!青森の不憫モップ!たしか、今回のテロした連中の身内!」


「あぁ゛?俺のふざけた異名はあいつのせいかよ!……つか、どのツラさげて今更きてんだ?ようは中のバケモノどもの身内だろ?クソ面白くねぇな、ちょっと戻って殴ってくるわ。お前ら先行ってな」


「どの立場でキレてんの?!与太羅よたら橋はともかく、棒振りダコはあんたの普段の行いのせいだよ!?」


「頼むから赤原は黙っててよぉ少しは頭で検討してから口開いてぇ!!」


「るせぇわカスども。俺の邪魔すんな」


そうして近づいた先、警官2人に制止される。


「ああ、すみません。ここはもういいんで。ちゃんとした人に頼みましたし、早く避難して治療してきてください」


「あ、そっちじゃなくて、あっちのに用あるんですけどぉ」


「立ち入り禁止です」


「さっきまでいたとこだし、ちょっとくらい」


「それは指示に、従ってはいただけない、ということでしょうか?」


警官の殺気すら感じる物言いに、赤原はしらけてひらひらと手を振った。


(何キレてんだよこいつ。キレてぇのはこっちだわ)


まほろの警官は市民感情ってもんを理解しないからダメだ。


少し小突いたくらいで手錠を持ち出すので狂っていやがる。


結局無理にうるさいデブによって引き剥がされたが、引き返した先のロビーで、先に脱落した連中が固まって何か見ている。


蹴散らして他社の迷宮清掃員ダンジョン ジャニターが持つタブレットを覗き込めば、【権能スキル】による盗撮らしく取調室が映っている。


『……これ……は、神様がちょしたらいけないとこをやっちゃったみたいですね。死人の穢れはオリジナルにほんの神話でも、神々の命取りになりかねないのに』


『いけます?』


『これなら2時間で』


妙なモヤに隠されて、表情は見えない。


虚勢でもなく、ごく普通に不憫モップはそう言った。


(は?加護なしノースキルのノーナシが何ほざいてんの)


「何あの人……すごい楽観的でいや」


「すぐ死ぬのに悠長すぎない?バカだよねー」


周囲も概ね、元凶の加護なしノースキルへの不快と嫌悪を見せていた。


しかし、不憫モップが細い箒をたらいに浸し、何気なく描かれた紋。


そこから勢いよく吹き出た花弁が、容易に場を満たしたのにざわめく。


「……は?」


何だあれ。


桃紋とうもんって、あんなになった?」


「ならないよ……?前に式典かなんかの解説で見たけど、あれくらいだと何百万かするレベルの紋でしょ?うちの会社、2万くらいのだし……」


「あのひと加護なしノースキルでしょ?ま、さ、かぁ…!?」


薄紫の光が、狙いをあやまたず蛇の形に変じた怪異を撃ち抜いた。


何人もを轢き潰した不定形の怪異を、かるがる蝶紋で受け流し、平気な顔で頭を吹き飛ばしたあいつはなんだ。


何をしたら、あんなものを相手に、小蝿でも相手にするように気楽でいられる?


「俺ら、あんなバケモンと同じ仕事できるって思われてんのか?無理だろ」


暴力に慣れた赤原でさえ、振るったモップすら焼き焦がして飲み込む化け物を、ろくにしのぐこともできなかったのに。


(しかし意外と、あの女使えるな……?)


アレに手柄を譲らせれば、今後ものんびりと迷宮清掃員ダンジョン ジャニターを続けられるかもしれない。


何発か殴って、いや、蝶紋で塞がれるか。


触れたら何とでもなるんだが。


「なんで箒で、あんな印刷されたみたいに紋描けるのぉ……?意味わかんない」


「え……きも、気持ち悪!あの加護なしノースキル、結局一人で掃除終わっちゃった」


「うわー……誰にでも天職ってあるもんだね……名前もモップだしよかったね……」 


泣いてか擦ってか、剥がれたつけまつ毛をそのままに、6番手でグループの1人を殺された女連中が憐れんで適当に何か言っている。


【終わりました。確認お願いします】


【おわっ……てるぅ!?今すぐ確認しますね!】


【行方不明者、紛失した御神体は全て確認できました!ありがとうございます】


【こっちも基準値クリアです!遅くまでお疲れ様でした!】


【なんもです。お疲れ様でした】


来る。


にやついた赤原が取調室につながる廊下の、目に留まりにくい場所を指す。


「……おいデブ。お前、警官の気、引いてこい」


「できるけどさぁ。やるの?」


「やれよ。あのハリガネに融通利かせてもらわねぇと。迷惑かけられたのこっちなんだからさぁ」


このデブは言葉だけ善良を気取るが、所詮は同じ穴の狢である。


いかにも渋々といった風情で【権能スキル】の準備を始めた。


ちらりと同じグループの女はこちらに目線を向けたが、止める気はないようだ。


【つ、つたさまぁ!?ダメです、汚れちゃいますから!!】


しかし、タブレットから、狼狽している女の声が聞こえて、現場の空気が緊迫した。


初めて、人間らしい感情の乗った悲鳴である。


(つた加護なしノースキルが?怪異か悪魔にでも化かされてんのか?)


釣られてタブレットの画面を見れば、伸びた黒い女の腕らしきものが、不憫モップに絡んで引き寄せたところであった。


たおやかな女の指が、不貞腐れた様子で、ゆるゆると不憫モップの首をくすぐり、頰だの指だの弄んでいる。


女の黒い腕が、誓約うけいの神に所縁ゆかりある、大手毬おおでまりをあしらった召喚陣から伸びているのに気づき、赤原は戦慄した。


かの神に願った信者どもに、散々報復を受けてきた為に、まりに似た花紋が、目に焼きついていたのである。


【わひゃっ……っ、たさまぁ!!こんなの触ったら肌焼けちゃいま……無傷〜!】


不憫モップは、随分と親しげに異形の女神とじゃれあっていた。


女神に両手を繋がれて、残った腕で無防備な体幹をくすぐられた不憫モップは身悶えている。


「なんだ、あれ……」


神がたった1人のために、その場に顕現している。


よほどの神官でもなければ、まず見ることはない光景に、赤原は先程までの考えを捨てた。


(あいつ、クズの方で加護なしノースキルじゃねえ!呪われの方だったのかよ……!殴る前でよかったわ)


神憑きに手を出すなら、命がいくつあっても足りない。


喧嘩を売る相手は一方的に殴ってすかっとしなければ意味がない。


執念深い女神に関わるくらいなら、まだ法にごたごた言われる方がマシである。


「赤原?どこいくんだよ」


「帰る」


途端に横合いから、猛烈な勢いでデブの突進を受けた。


「てっめぇ……!何しやがるデブ!」


「なんでなんでなんで!赤原が!やるっていったんじゃん!!や、やろうよ!今ならまだ間に合うよ!」


「顕現できる女神憑き相手にまともにやり合う気はねぇよ!行くならてめぇだけで祟られてこいやヒスデブ!」


「やだぁ〜!」


「その前にこの場の全員に、お話を聞きたいんですけどね」


「なに?!今忙しいんだから黙ってて!よ……?ひぃっ!?」


勢いのままヒステリックに喚いたデブは、ようやく事態に気づいたらしい。


ぞろぞろと彼らを囲むように、何人もの警察官が集まってくる。


その筆頭である、パンツスーツにベリーショートのその女が、自分を散々追いかけ回してきた刑事だと赤原だけはすぐにわかった。


シボリのゾノ。


この女刑事に、赤原は何度か手錠をかけられていたからだ。



……………………


いつも応援などありがとうございます。

まほろで警察に捕まるこの手の人は、どこまで落ちても全く堪えないで反省もせずとっても元気なので、今後特にざまぁとかの予定はないです。


なお、彼らは自身の素行の悪さを自覚しており、明確に言語化はしてませんが、こんな自分でも【権能スキル】があるのに余程のことをしたんだな、と言うお気持ちで加護なしノースキル達を扱っています。


次回からもちもちされる幸薄眼鏡氏の話に戻ります。

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