② かわいいひと

千暁ちあきが見ては終わる何かの声。


お前が努力して聞き取って当然、というほどの傲慢さがあった。


意思疎通をこちらの努力のみで成り立たせようとする態度に覚えはあったが、それが誰なのか思い出せない。


千暁ちあきの受けた被害は来歴には決して反映されなかったから、人から受けた仕打ちの詳細は手書きで記録に残して、いつか呪いが解けたときの訴訟を夢見ていた。


秘匿されるのをいいことに、人の扱いをしなかった連中に落とし前をつけさせるのを、固く誓っていたのは覚えている。


いずれ妹の害にもなりかねない連中を1人残らずノートに残して、片時も忘れたことなど、ないと思っていたのに。


(……なんで、こんなに記憶が抜けている?)


千暁ちあき加護なしノースキルと侮って、悲惨な記憶をえり好みして抜き出した、生真面目系スーツコーデの後輩いもりのせいである。


これはまだ千暁ちあきに知らされていない。


事前に来歴から被害を把握した担当者より、ストレスに精神が耐えられないだろうと判断されて、事が済むまでは詳細を伝えない方針となっていた。


まほろポイントで危険スキルを入手し、犯人を根絶やしにしかねない、という懸念が否定しきれなかったというのもある。


依存と紙一重の愛を向ける妹の記憶まで手にかかっている以上、警察の懸念は既に現実のものとなっているので間違いではない。


(また、マイページがひかった)


   お知らせ

   つた神が一部感覚の掌握を開始しました。

   【掌中】にあるため、異議申し立ては

   自動的に棄却されます。


   現状の状態

    【掌中】 

      一定期間つた神の思うままになります。

     効果

     ・絶対服従

     ・映像、音声の置き換え

     ・神・悪魔・妖怪などの

      呪詛・権能スキル効果無効


絶対服従ってなんだ。


(これは怖いことになったかもなぁ)


もうあきらめたが。


何が悪いって、有事だからとろくに【霰盥あられだらい】に誓約された掌中の件について確認せず、案の定重傷を負った千暁ちあきに他ならないので。


妹が助かっているなら、千暁ちあきとしてはここで死んで特に悔いはない。


訳の分からないことを喚く何かを無視して、終わりまで目を閉じていることにした。


「…………!」


ひんやりとした指先が、千暁ちあきの耳をとらえた。


上がりそうになった悲鳴を、何とかこらえる。


(え、え、え?)


やわらかく耳たぶをフニフニと揉まれてから、そろそろと耳のふちを撫でられる。


かりかりと爪先で耳の裏側に何かを書かれた感覚のあとで、ふう、と息を吹きかけられて、かっと熱くなるのを感じた。


ぞぞぞ、と背筋に走る刺激に、身をよじることもできない。


掌握された身体は指先一本、千暁ちあきのためには動いてくれないから苦しい。


(なに?なにをしているのかな)


【しかしキサマときたらつとめからにげよってかーらに!】


「…………あ゛?」


ちゃんと聞こえた。


(なんかこのクソみたいな濁声、聞き覚えあるなぁ)


母方の本家筋にいた気がする。


……祖父か?


奔放な母が托卵騒動を起こした時に、呼び出された覚えがあった。


まず土下座を言いつけられて、延々説教されたんだったか。


母は早々に門に千暁ちあきを投げ入れてから、使用人を殴って逃げていたので、母の分も罵られた覚えがある。


(でも、だいたいノートに記録してたり、読み返してる時の記憶だ)


当時よほどはらわたがにえたらしい。


何度も読んで、憎しみを忘れずにいたのを覚えている。


でも、何故か思い出せるのが文章だけなのである。


記憶が抜かれているが、全てではないようだ。


他で何度も思い出していれば、その記憶がかけら程度でも残っていたらしい。助かる。


「……つた様?」


目の覆いがとれて、柔らかにまぶたを撫でられた。


  お知らせ

  呪詛の無効化が完了しました。

  視覚、聴覚からの影響を受けません。


ほんとかよ、というお気持ちと、まあつた様が言うならそうかというお気持ち。


文字通り全て掌握されては、預ける他ない。


とんとん、とつた様に眉間を突かれる。


がらがらと顔周りの瓦礫がれきが落ちて、少しだけ明るさを感じる。


つた様がわざわざ手間をかけてそう整えたのだから、どうしても見せたいんだろう。


急に明るんでぼやけた視界が、瞬きのうちにゆっくりとクリアになって、思わず率直な感想が声に出た。


「うわキモ。カビたくあんじゃん」


【ふけぃなるぞぉおおおおばいたのむすめがああああ!!】


ありゃ女を売ってるんじゃなく男を買う側、とは思ったが、元気じゃないのでそんな訂正まではしてられない。


苛立った変な奴の鱗から白いものが延びて……千暁ちあきに届く前に、園原がどうにかしてくれているようだ。酷い音がする。


眼鏡は割れたが、残りの部分でなんとか全体的に黄色くて、ところどころ白いふわふわしたのが見えて、でっぷり腹の辺りが肥えた、なんだあれ。見えてもわからない。


添木そえきもへび、なんて随分と好意的に評したものだ。


千暁ちあきにはところどころカビが生えたでっかいたくあんにしか見えない。


(いや、一応不可思議のうちに入る。本当に神なら不敬、か……?)


指の一本も動かせないので、判別のまじないは使えない。


もう一度全体を見た。


顔と思しき辺りが、目鼻の辺りがくぼんだだけの有様である。


隈取りを目指したらしい赤い着色のせいで、ほんとに赤カビでも生えたように見えた。


そして千暁ちあきが思った瞬間、たくあんの背のあたりから鱗が崩れ落ちた。


ぐちゃり、と。


鱗にしては重量のある音に、床に落ちたのをみてしまった。


白いタイツの、上半身しかない人型、かあれは。


はらはら、はらはら、ぐしゃり。


かびたくあんから次々落ちるのが気持ち悪い。


「良いですよ高橋さん!その調子で決別願います!血族由来の神なんて、上がろくでもないほど脆いですからね!じゃんじゃん信仰削りましょ!」


「園原さん煽んないでくださいよ!予知がブレる!」


「どの道あそこまで贄を喰らったモドキならもう殺さなければ無理です!生け捕りはあきらめてここで殺しましょう!」


「ほらぁああそんなこと言うからまーた救援がずれたじゃん!!全然倒した感じにすんじゃん!こっちは殺すにしても確実な人数欲しいんですからあ!!」


園原は色の動きから見るに、残った左腕で槍のようなのをピッケル代わりに、たくあんを駆け上がっては頭部?目掛けて蹴り込んでいる。


添木そえきは拳銃から……青く光る何かを射出している?


園原の脚を取ろうとして、鱗の隙間から伸びる触手を撃ち落としているのだ。多分。


眼鏡がひび割れたから見えにくい。


(…………まほろの警察って、基本こうだよな。うん。添木そえきさんの忠告通りだ。社長の説教を思い出せ。感情で考えるとろくなことにならない)


まほろにおいての警察が、一般人の気遣いと心配が、的外れで迷惑なお節介になる職種であるのを決して忘れてはならない。


千暁ちあきは先程までの気の迷いを振り切った。


(しかし、その調子ってなんだ。こんな手足も動かせない状況でなんなら邪魔にならない?)


さっきから見た目の品評なんて、ひんしゅくしか買わないことをしてるだけなのに。


(……行儀がよろしくないから、あんま口に出すのはやだけど、考えるくらいなら)


いや、しかし多分造形を頑張ったんだろうな、というのはわかる。


赤い隈取り、黄色にオレンジの差し色のりゅう、が原案にはあるんだろう。


しかし制作にあたり、龍に無礼とは思わなかったんだろうか。


でかいはでかい。でかいのは大事だ。


芋虫のような土台に、下半身を埋め込まれた全身白いタイツの者どもが何百人も身を屈めており、画用紙をくり抜いて作ったらしい黄色とオレンジの鱗を、頭に飾っている。


攻撃も、この白タイツが行なっているようだ。


本当に、誰か殴ってでも止める気概のある奴はいなかったんだろうか。


よくよくみたら、鱗の造りも多種多様。


刺繍、陶器、七宝焼らしい光り方……だがほとんどはクレヨンで着色した並の雑さだ。


これは、そもそも本当に信仰されていたのか?


【ろくなソだチでぁないかあな。にくはいらん。おまえ、まほろポイントをすぅべてよォこセ】


挙句に生き恥まで晒すときた。


「津軽海峡越えて来て孫にポイント無心なんてみっともないしょ。やめなー?」


そしてこんな時ばっかりすらすら口が動く。


つた様は抱きしめたまま、よしよしと頭を撫でないで欲しい。


上手に罵れたところで、成人済みの人間なら何も誇れたもんじゃないのだ。


【そぇはきぃさまのははぁおやダろォ!!】


咆哮と共に、尾が落ちた。


園原が殴り描きした陣から腕力任せに引きずり出した、身の丈ある包丁が当たったらしい。


この大きさ、親族のだいたいを生贄にでもしたんだろうが……もしかしたら、それが原因で成功しなかったんだろうか。


(黄色とオレンジの鱗の、炎由来の龍か……確かに登録されてる龍と造形は被らないけどさぁ)


こうした神造りの儀式で、既存デザインの模倣や生贄など、あんまり法律を外れた行いをすると、八百万の神々に目をつけられて大いに邪魔立てされる。


国からして初めから止めろと説明されている。


知らん神に横からどんな風にね上げられるか、わかったもんじゃないから、とは聞いていた。


(こんな有様になってかわいそうに)


きっと政府まほろが勝手に言っていることだから、と軽く見ていたんだろう。


(それにしても、まじであれ、まほろポイントって呼ぶんだ……あのクソみたいな権能スキル主義者が、スーパーのポイントカードねだってるみたいで面白いな。自分だけ独自の高尚な呼び方してると思ってた)


まあポイントを捨てるにしても、このドブは素直に嫌だ。


もっとちゃんと、世間に役立たないことにだけ使いたい。


(私が今助けられて心から信仰してるの、つた様と焼鉢やきばち様だけで、かびたくあんに捧げるものはないんだよね)


「もう、心に決めた神様はいるので他当たってくださいね」


全然感謝以外受け取ってもらえないけど。


千暁ちあきの世話を楽しげに焼く神にもしないことを、因業爺いんごうじじいにするはずがない。


【オまィのよなごぉみがイノるほがメぇええわぁくだ、ろッ?!】


なんかまた言葉が崩れてきたが、多分これはかびたくあんが形を成さなくなってきたせいだろう。


「つた様は私のことす、き……ぅん……ぉじひをかけてくださってるので」


流石につた様から好意を向けられてるのはわかったが、臆面もなく人にそうと伝えられるほど、恥じらいは失ってない。


まぁ、間違いであった。


「……ひっ」


喉からひきつれた声が漏れた。


ひたり、と何も触れていなかった千暁ちあきの喉元を、つた様の掌が覆う。


     だいすきって、ちゃんと言って

     くれないの?


ふぅ、とため息が少しだけ耳にかかって。

     

     まだわからない?


怪我のない頬を包むように。


     わかるまで、おしえようか?


間近にかの方の圧を感じて、千暁ちあきは絶叫した。


「つた様は私のことが大好きなので!!いや、わかっていても、うぬぼれたみたいで人には言いにくいのですよこれは!」


     ほんとのことを言わない方が

     不誠実だとあたしは感じます。


(いや、昨日会ったばっかりでそんな妹にも言わないようなこと言える訳ないしょね……!)


だいたい周囲から忌避されてきた人間が、20歳も後半に差し掛かって、人としての尊厳が危ぶまれるほど誰かに好かれることなんて、考慮してないのは普通のことでは?と言いたいが言わない。


考えてるうちはともかく、外に出したが最後、何かが終わる気がしてならない。


つた様相手に越えてはいけない一線を、今、初めて明確に自覚した千暁ちあきである。

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