④ 台所

慌てて顔を洗い、髪をワックスで撫でつける。


これは芸術として誤魔化したい仕上がりとなった。


無難と思って選んだ白シャツは、サイズがわかっていたのでまだ問題ない。


試着できなかった黒ズボンは着丈は合ったが、やたらぶかぶかとしていたのでベルトで何とかしめる。


それでもお下がりや投げ売りの服を、何とか無理に合わせたよりは着心地がいい。


なんとか体裁を整えたけど。


鏡の中では乾いた皮膚とくまの目立つ痩せた女が、呆然とこちらを見ている。


まとまった睡眠で、これまでの不摂生と疲労が吹き出たような顔だ。不健康。


さすがに1日真面目に寝たくらいで、これまでのツケはチャラにならない歳らしい。


ぺち、と頬を叩く。


(無茶のつけは20歳半ばから、がくっとくる、とはみんな言うよね……!)


主に入院時によく、見舞いに来た社長から囃し立てられていた気がする。


肌の調子が気になるだけ進歩かもしれない。


(ん、心なしつた様がしず、か……?)


下を見れば、ご自身の口の部分を抑えるように両手をやって、そわそわと千暁ちあきの足元をうろちょろするつた様である。


何だろう、服にタグでもついたままなんだろうか。


   千暁ちあきさんが、スーツと防護服以外の服

   着てるぅ……!


噛み締めるように言われた。


うん。


   〈最後に新品の服を買ったのも3年前

    でしたね〉


もっと買ってるが。


   〈全部お下がりですよね。仕事着以外は?〉


「……っ!……?ど、ですかね…………!」


   〈はい。なかったですね〉


ちょっと思いつかなかっただけだが。




ともかく、体裁は整えたところ、瞬きの間にどこかの知らない台所に立っていた。誰もいない。


窓や照明にはかわいらしいステンドグラス。


壁にはつやつやと磨き上げられた、青で花文を染めつけたタイルが貼られている。


半径2mには立ち入りたくない迫力ある絵皿を飾る立派な食器棚は、まじまじ見られないからわからないけど。金具まで何かの見立てなのか凝っているようだ。……とりあえず、そっと距離を置いた。


ちいさなかまどの置かれた、古式ゆかしい台所だが、なぜかそこに燃える炎が丸っこい緑であるし、薪の燃える臭いもない。


人が足を踏み込むには畏れ多い神域であるのはあきらかだけど。


それでもかけられた鍋からは、千暁ちあきにも馴染みある昆布出汁の匂いがした。


(…………素朴だけど、素敵な台所だ。いざ作るとなったらめちゃくちゃ手間と建築費用のかかりそうな……)


全てが美術館か、博物館の展示を疑うほど、しっくりとその場におさまっている。


焼鉢やきばち様が相当な凝り性なのか、あるいはデザイナーの好みなのか。神の住宅しんいき事情はたかが人にはわからない。


玄関からではなく、台所スタートに戸惑ったが、少し待っても家主が来ない。


さて、焼鉢やきばち様はと目を凝らすと、かまどに置かれたフライパンに、一人でに卵がくるくると巻かれていく。


(さすが神域。料理もぜん、じど、お……?)


極薄い一枚絵イラストの彼の方を、真横から見ていたらしいと気づいて、言葉もなく後退あとじった千暁ちあきである。


「いらっしゃい、千暁ちあきさん。よく眠れたかな」


その物音に気づいてか、ひょこ、と一枚絵イラストが、奇妙にひねられてこちらを見たと思う。


一枚絵イラストから伸びた触手が、卵焼き用のうつくしい金属のフライパンと、箸を握っていた。


「ぅあ、は……はい!お、おはようございます!昨日はご馳走になりまして、ありがとうございました。本日もお招きいただきまして「待った待った!貴方の寄越してくれた素材の礼なんだから、堂々と食べていきなさい」


動悸が中々治らない。出だしの挨拶から噛んでしまった。


からからと笑う一枚絵イラストの神様に、恐縮しきりである。


    焼鉢やきばちさん、まだそのかっこなの?

    ポイント、荒稼ぎしたみたいなのに。


「何せ国に【権能スキル】を登録したんで、制限が多くてデザインが難しくてね。新しくナリを仕立てるには時間がかかりそうだよ」


    また誰かに依頼してたり?


「まさか。自分で役所と相談しながらやってるよ。これが小うるさくてねぇ。なかなか折り合いがつかないんだけど」


どうも趣味が悪い連中しかいない、と、快活な笑い声が響く。


親しみやすい勝気な看板娘、といったデザインの一枚絵イラストを、当の焼鉢やきばち様は心底お気に召してないらしかった。

    

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