⑥ つた

姿勢を正し、千暁ちあきはふかぶかと頭を下げた。


「ありがとうございました、つた様」


呼び名はこれでよかったらしく、下げた頭が小さな手でわしゃわしゃと撫でられる。


つた、と名前が2文字。


生まれたての神様なんだろうか。


力と立場が上がるほど、名前は豪華に長く、他と差別化される傾向にある。


来歴の神カテゴリは、見事にかのかただけ名前が羅列されていた。


つた(分類:秘匿):

◯槌持ちの童神わらべかみナタ神(分類:裁き)に、高橋 千暁に対する長年の不当な裁きに関する抗議申請→承認。ナタ神より謝罪と賠償がありました。

 賠償内容:+まほろポイント10000

      装備アイテム*潔白のむすび

◯エン神(分類:宴)の【汎用権能はんようスキル:けわい】を除去しました。

【まほろポイントを支払う】


ざっと見れば、深夜の顛末らしき一文がある。


少しさかのぼるだけでも、かなりお世話になっていることがうかがいしれた。


エン神の名前はわかる。新入職員向け、と題した簡単な変装スキルを与えられる神だ。とはいえ本当に宴会芸程度で、見れば本人ではないとわかる。


ナタ神は、とにかく信者の悪事を許さず、人の裁きを待たずに断罪する神だ。あえて信仰することで、身の潔白を示す風潮がある。


ただ、この7年ほどの記録で頻回に登場しては、つた神に守られているのを見るに。


エン神のスキルを悪用して千暁ちあきを身代わりに立て、ナタ神の裁きを肩代わりさせることで、クリーンな立場を守る者がいる、という解釈もできるだろうか。


「それはまだ断言してはいけませんね。基本的に悪事は簡単に想像のつく範囲でも、深く根を張ることがある。調査は必須です」


「そこは園原さんの領分で、素人が触れる気はありませんよ」


「警察官になってもいいんですよ?貴方の潔白は証明されたんですから」


「身内に犯罪者がいるなら無理でしょう」


つた、と書かれた名の後が不明なので、結局どんな神様なのかがわからない。


ただ、【まほろポイント】を奉納するらしいボタンが、灰色のまま全く反応しないのはわかる。どうして。


さかのぼりきれない分の恩も、是非ともあるだけ奉納させてほしいものだけど。


諦め悪くそのボタンを押していたところ、軽やかなぽん、との音と共に文面が更新される。


つた(分類:秘匿):

 そんなことより、とにかく少しでも朝ごはんを食べるように、とお言葉がありました。

 この言葉は貴方の行動を強制するものではありませんが、健康を損なう覚悟を持って判断してください。


「あさごはん」


「朝ごはん?」


「いえ、つた様から朝ごはんを食べるように、と……」


どうして?とは思ったが、それはそう、と園原が頷いた。どうして?


待ってましたと言わんばかりに、足元のつた様が千暁ちあきにおにぎりを差し出してくる。


もしかして、朝から飲食店を求めていたのは、ただ千暁ちあきに食わせたかったからなんだろうか。……どうして?


「どう考えても健康に支障をきたす体格をしていますからね。貴方の生活を伝え聞いた私でも不安になりますから」


「そんなもん伝え聞く機会、あります〜?」


いやしかし、本当に考えになかった。


どうも千暁ちあきがささやかでも浮かれた時に、母から連絡がくる頻度が高いのが悪い。


験担ぎとしては後ろ向きだが、手軽に幸せになれる外食は意識してやめていたので、飲食店を指されても入るという発想がなかったのだ。


たまには贅沢を、とラーメンを食べた帰りに限って、母が5〜6人の病院職員を殴ったとか病院の備品を壊したとかの請求で、1ヶ月で数百万飛ばされた時を思い出してとてもとても辛いのである。


まぁ、妹も保護されて、母とはもう縁が切れてるそうなので、いざとなったら会社を辞めたことにしてもらって、完全に連絡を絶ってもいいんだろう。


親の不始末を子が負う義務は、まほろにはない。


「いえ、そのおにぎりはもう、つた様の物なので、聴取が終われば別に買いますよ?」


神のものを食うと、善かれ悪しかれ人体に何某かの影響があるのだ。


五感が冴える、体が治るのはまだいい。


無くした手の代わりに蛸足が生えたとか。半身が猫に変じた人間もいるが、神自体も望んでいなかったことらしく、元に戻るのに骨を折った、との論文は以前読んだ。


そう伝えると、ぴゃっと腕が跳ねたせいで、わたわたとおにぎりを取り落としそうになっている。


慌てて背中に隠した気でいるようだけど、透けて見えている。かわいい。


「つた様、朝食の件は私にお任せ願えますか。彼女に描いていただいた蝶紋のお礼もしたいので。……高橋さん、これは奢りですから、好きなものを食べてくださいね」


「奢り!」


技術の対価としてなので、これは気兼ねなく嬉しい。


簡単な蝶紋といえ、有資格者による効果を保証されたそれなら一筆で5000円ほどである。


「……園原刑事、それはちょっと」


記録を書いていた男性職員が、微妙そうに声を上げた。


「謝礼とはいえ、本当にささやかですし、便宜を図るつもりはありませんよ?」


「警告出るんでそんな心配していませんが、蝶紋もらっておいてささやかが過ぎると言うか、そうではなく!【汎用権能はんようスキル:取り寄せ】は勤務中だとコンビニの物しか買えないでしょ」


「えっ」


これは何が悪いのかと言いたげな園原。


「えっ?!」


これがまじかよ、と言いたげな男性職員。


「も、もしかして、おでん、なんかもありですか?!」


そして、しばらく口にしてない冬の味覚に、うっかりときめいた千暁ちあきが挙手したことにより、ひとまず何でもいいから食わせるのが先と結論がついたのだった。

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