③ 娘〈のどか視点〉

神の権能を、人間が人間をころすのに使うのは、有史以来の御法度だ。


この場合借りた人間も、貸した神も悪いことになるので、問題なく人間如きによる神封じの紋が効果を発揮する。


この夫婦と名も知らぬ神が、どんな関係かは警察が調べるだろう。


こちらが事情を知らぬ一方的な被害者なうちに、無力化しておかねばならない。


「喰らえーい!すずアタック!」


軽やかに跳躍した伊依いよりが、不可視のなにものかへの蹴撃に成功したらしい。


一本歯下駄が、透明な何かに沈み込んで短くなる。


紫の液体を撒き散らして、何度かバウンドしながら夫婦の前まで転がっていった。


悲鳴をあげて後退る夫婦だ。


お前らの神様だろうに、神があるらしき場所を、気味悪そうに顔を歪めている。


(……襲撃のために形だけ敬って、本命の神がいるんかな。罰当たりぃ)


なお、鈴アタックは解説するような特殊な効果はない。


技名を叫んでから行われる単純な暴力だ。


そこに神の息吹なんぞあってたまるか。


「のっちゃん!あとよろ!」


「あいよお!」


言い残して今度は初老夫婦目掛けて跳躍する伊依いよりである。偉いので下駄は脱いだようだ。


デジタルペイントで丹精し尽くされたような銀髪青眼美女なれど、その本質は親友ちあき曰く、誠実にレールを行く暴走特急である。


なお当人よりレールを走るだけ感謝しろ、とコメントを頂いていた。


一般初老夫婦が相手取るには荷が重いだろうが、穏便に制圧可能な のどかは神封じに忙しい。


犯罪者の解放とか贅沢言わないで、さっさと降参をすれば骨の何本かは助かるだろう。


最初は娘の為にあれこれ決意表明していたが、テロリストの言い分に逐一耳を貸す呑気な人間であれば、今ここに伊依いよりはいない。


次第にぎゃー、とかいやー、とか本気の悲鳴と嗚咽が聞こえてくるのを他所に、周囲の職員も総がかりで、まだしぶとくのたくる神を抑え込む。


噛んだ!舐めた!溶けた!だの、不可視の神はこれだから厄介だ。


敵対したが最後、対峙する者の認識が反映されて、一番相対したくないそれになる。


現状けしかけられた神は百足むかでであり、みみずであり、芋虫であり、なめくじであり。


素手で触りたくない要素を全て兼ね揃えていた。


こんな不気味にくねってねとつく身体の、どこ持てばいいって話である。


まあ、のどかには関係ない話だが。


のどかは千暁ちあきの紋画きの師匠だ。


当然、数種類しか満足に描けない駆け出しちあき以上にわざを使える。


「……変えるなら、岩でいいでしょ。噛まない、舐めない、溶けない。動かず砕ける」


お前の形は物言わぬ無機物である、と神に押し付けると、びったんびったん跳ねていた身体が硬直し、押さえつけていた職員の動きが止まった。


「そのまま大人しくお願いしますよ。どこの神か知らないけど、ヒト側の法を犯すなら、こっちもただ敬う訳にゃいかないんでね」


言いながら手持ちの筆でしゅるしゅるとなぞれば、封じの紋が構築される。


真っ赤に燃えて焼きついた紋により、神が見えぬままにバキバキと音を立てて変形していく。


しかし、神ならばちゃんと神体として残ったはずだが、そのまま砂と化してしまった。


これはまあ、神ならともかく、妖怪としてはそんなに力がなかった時の反応だ。


先程の不可視の何かは、これで完全に死んでいる。


マイページを確認すれば、すでに、その神はまほろの神ではなかったようだと、簡単な情報が表示された。


「……あちらさんは、ほんと仕事が早いね。まだ扉壊しただけだろうに」


「いえ、ここは政府施設なので、単純に元々組み込まれた術式でテロ行為として認定されたんでしょうね。破壊した時点で認定取り消しダメです」


塵取りと箒を持ってきた職員らしき人が、ほがらかに笑って言う。


そんな政府施設に、ご機嫌な演出と共に不法侵入を果たしたのどかである。


「あぁ〜……そ、うなんですね。ちなみに……」


言わんとしたことを察して、力強く頷く職員。


伊依いよりはいつものことだから毎回事前申請してあるのでお咎めなし、と更に頭の痛くなる情報をくれた。




まほろの神には監視がある。


法を逸脱する者への粛清に容赦はない。


所詮神だと侮られたが最後、まほろを構築する全てが狂い、消滅する可能性があるからだ。


そんなまあまあな危機は、公に観測されるだけで年100回ほどあった。


水際で食い止める存在がいるので、これまでもなんとかやっている。


「……叶野薙かやな狼神ろうしん。元は黒い毛並みの神のようだが、それが見えない時点で駄目だ。ヒトの提案に頷いた時点で見限られたな」


間違いなくその内の一人である、伊依いよりの父親が、げんなりした顔で言う。


「みちおじさん」


「やだ」


やだじゃなくてさ。


あちらで地に臥した夫婦を見下して、高笑いするおきゃんな娘さん、流石に親を差し置いて親友が叱る訳にはいかないんだが。


ちら、とその方を見て、袖に顔を隠す。


「その、ぼく、全然、叱れる立場にないからさ。のどか君、どうか頼みます……」


「ええ〜……?」


なお所詮は人様の家のことなので、のどかは全然伊依いよりの一族に関する詳細を知らない。


まあ一夫多妻婚の家は揉め事が多く、時に取り分を多くするための企みを、亭主が見抜けないと家庭内の治安が悪化しやすい。


このどこか抜けた男が手玉に取られた結果、才能ある実子であった伊依いよりが唯一跡取り候補として残ったとだけは知っていた。


高校時代、度々近親者の葬儀で休みを取っていたのもだ。


「……ヨリ氏ー!そろそろ名誉毀損とか過剰防衛心配しなー!このままだと怒られんよ、ちあ氏に」


こいつを殴ると決めた後は反省する人間でもないので、止めるならどうしてもこの言い方になる。


千暁ちあきなら、正当防衛ならまだしも、暴行の言い訳に名前を持ち出されたら、きっと死ぬほど疲れた顔になること請け合いだ。


はた、と笑い止める伊依いより


「やば。どのツラ?と思ったらやりすぎたわ」


人を殴れば犯罪なので、合法的に殴れるチャンスを逃さない女である。


「おばかさんがよお」


境遇が似ているせいか、伊依いより千暁ちあきに一目置いてるせいか、幸い千暁ちあきを持ち出すと静かだ。


露骨に使うと拗ねるので、コツはいるが。


「やだーちあちゃんには言わないで!内緒にして!絶対ため息つかれる!」


「私もついてるけどぉ〜?」


「え、でもあいつら、全部ちあちゃんが井守たぶらかしたせい、って言ってたよ。ムカつかない?」


へぇ。それはそれは。


この期に及んで往生際が悪いことで。


「なるほどね」


のっそりと立ち上がるのどかの背に、即座に伊依いよりがすがる。


軽いので、気楽に引きずって歩くのどかだ。


伊依いよりも一生懸命に足を突っ張っている。


かわいいね。無駄な抵抗だ。


「あ、まってまって。のっちゃんがやるとほんとまずいって!しんじゃうって!」


「……大丈夫。紋画きの努力義務として、この2人の要請で神が一柱どうなったか、わかるようにしとくだけだから」


キャップを抜いた水彩ペンが、のどかの怒りに呼応して怪しく光る。


関係者がいればきっといずれ報復されるだろうし、まともな神経がある神ならば加護を外してばっくれることだろう。


「かやな、ってんなら狐の孫におわせじゃん!全然2人ともしぬよ!」


ひい、との悲鳴があったが、別に殺す訳じゃない。


だから芋虫みたいにあちこち動き回らないでほしい。


不肖の娘のために、死ぬ気で殺しに来たんじゃないのかよ。


「だから、そっちに始末を盗られたら困るしょや」


「ねぇー!その紋違うんじゃないかな!私でもわかるんだけどちょっとダメだよね!いや、ちょっとは止まれやのどか!」




「あのー、警察きましたが、それそのまま続けて悪いやつですよね」


小競り合いの中、心底疲れた様子の男の声が響く。


さすがに止まったのどかに、目深に帽子を被った警察官が軽く会釈をした。


ぱち、と瞬きをするとそれだけで星の瞬くような、青い光が散る。


星窓とか称される、天眼通の一族が、そんな目を持つとの知識は、2人ともにあった。


「今回は捜査へのご協力ありがとうございます。刑事の添木そえき 一星いっせい……です」


刑事は苦虫を噛み潰したような顔で、ことさら目を青く輝かせている。



………………

次回、覗き魔能力の本領発揮。

信じて青森に送り出した娘の犯行現場を被害者視点で見る羽目になる両親の心境やいかに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る