③ かわいくないふたり

病院の事務長からの、今日の謝罪と、院長の安否を添えたメールに返信しながら、千暁ちあきはとぼとぼと寮への道を歩いている。


まだ少し時間に余裕があったので、今月の寮費の支払いのために、一件軽めの適当な案件をこなしたら、時刻は1:00となっていた。


ここまでの時間を働いてしまえば、むしろ疲労で空腹もわからなくなるので、食費が浮くのがいい。その分、金も貯まる。


風呂は……妙に緊張した同業他社の女に、まだ話したいと誘われて断って結局銭湯をおごられたが、後はベッドに飛び込むだけでいいのが最高だ。


こんな夜更けに人に風呂を奢ってまで仕事の話をしたいだなんて、どこにでも変人がわくものである。ほかに、寮の共用スペースなどが例として挙げられる。


達観した心地で、寮の共用スペースのドアノブをひねる。


ふんわりとした暖気と共に、案の定二人、簡易キッチンのテーブルにいた。


避けて部屋に帰っちゃだめだろうか。一銭にもならないし。


「あっちあさん!!お疲れ様です!!」


千暁ちあきに気づき、席を立って一礼してきたのは、千暁の5個下の後輩の井守いもり 燈奈ひなだ。


去年の春、千暁ちあきの書いたマニュアルを手に、東京から青森に転職してきた訳の分からない活発系美女である。


単純に意味が解らなくて恐怖を抱いた記憶も生々しい。


こんな夜更けというのに。どうして彼女は完璧なメイクと、何故バレッタで黒髪の一筋も落とさぬ堅苦しいまとめ髪に、スーツなんぞ着ているのか。


正直あんまり興味はないが、当事者なのでもうその理由も聞かされている。


先輩の時間を割いて教えを受けるんだからこれくらいは至極当然、という彼女の持論らしく、千暁ちあきに話を聞く時は必ずかしこまってくる。


千暁ちあきにはこんなに健気なんだから当然、時間も問わず親身になって、最後まで教えろという強迫に聞こえていた。


勤務時間内に収まる、常識的な範囲内でお願いしたいところだ。


会社は非番だが、明日も仕事の予定である。


協会に行けば、何某かの任務が得られるから、少しでも稼いでおきたい。


「……おつかれさまでーすー。流石に完全手作業だし、たった2件だけでも遅かったですね」


もう一人は千暁ちあきに目線だけ投げて、再び手元の教材に目を落とすのがあんまりよく知らないスタッフ、鈴木 一花いちかだ。


こちらは冬の青森に相応しく、橙色の半纏とパジャマである。


これが深夜一時の装備として普通なんだよな、と余計に疲れた心地だ。


井守を大変慕っていて、1年遅れで元の職場から追いかけてきたらしい。


職場でも井守に引っ付いて回り、あまり周囲とは打ち解けていない。


きらきらしい先輩がやたらと構う、しょぼくれた千暁ちあきを殊の外嫌っているようで、150㎝の背丈から、巧みに170㎝の千暁ちあきを見下してくる。


まぁ、これもどうでもいい。千暁ちあきの現場と被る女ではない。加害があれば対応する。


真っ暗な廊下の中、すでに消えているはずの暖房と、ドアから薄く漏れる明かりに嫌な予感はしたが、やはりこの2人がいたか。


寝る前に水くらいは飲んでおきたかったが、真っ先に撤退を選んだ。


「おつかれさまです。おやすみなさい」


「ちあさん~!あたし、ちょっと仕事でお聞きしたいことが……」


そうして見せてきた千暁ちあきの書いたマニュアルの表紙を見せてきたので、微笑んで宣言した。


「私は寝ます」


「そこをなんとかぁ!!」


「なんで君って勤務中に質問しないで、寮で話したがるんです?」


「だってちあさんの仕事の仕方も勉強になるから観察を……」


そう言って健気に頬を染める後輩いもりに、千暁ちあきこっわという感想だけ抱いている。


この後輩いもり、神に芯まで食われたと見えて、目は既に人ならざる橙色になり果てていたからなおさら怖い。


井守は元々東京にある大手迷宮清掃企業のホープ、だったらしいが、詳細はどうでもいい。熱心なことだ。一人でやっていてほしい。


千暁ちあきは迷宮清掃人の仕事を、金目当てでしかないことが、たまたま人の役にも立つのがいい、としか思っていない。


ましてや勤務時間外で、無償で他人のスキルアップに費やすほど、この仕事に熱意は燃やしていないのだ。


だいたい、何らかの神のいとし子とも噂される井守が、売りが完全手作業というだけの千暁ちあきに一体何を聞くことがあるのか。


教えたところで、実践している形跡もないのに。折に触れてこうしてやたら絡んでくるので面倒…………


「夜食と朝食と間食をおごりますからぁ!!」


………………。

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