⑧ 円熟(園原視点)

このこぢんまりした警察署で、関係者を安全にかくまうには不安がある場合。


被疑者の逃亡阻止に、種々のまじないがかかった取調室くらいしか場所がない、というのもままあった。


散々好き勝手に搾取され、今や処分対象だろう女を呪詛から守るには、園原にはこの取調室ばしょしか用意できなかったともいう。


日々威力を更新される呪詛に対抗するには、予算という壁がそびえ立つ。手薄な面は人材でカバーする他ない。


本人に伝えるとパニックになりかねないから秘密裏に対処を、とは園原より上の連中の妄言である。


(私と添木そえき、部屋を囲む人たちだけでは足りないでしょうに。……それでも護衛対象が高橋さんなら話は変わってくる)


高橋 千暁ちあき


ぼさぼさ髪の長身痩躯を揶揄して、青森の不憫モップだのと不名誉な二つ名がついている。


それでも、には世に認識され、現場に求められた迷宮清掃員ダンジョン ジャニターだ。


便利な【権能スキル】に依存したが故に、まともな使い手のなかった紋を使いこなし、神に寄らぬ清掃を可能にしていた。


他の迷宮清掃員ダンジョン ジャニターが理由をこじつけて逃げた青森霊道改造事件、青鵜あおう龍脈汚損テロ事件を始め、昨日の水際みぎわのコニー⭐︎による散華威そんかい神域ダンジョン侮蔑事件の始末も、全て千暁ちあきの仕事である。


ノースキル、なんて言葉に人はたやすく憐憫とあざけりを寄せるけど。


人間の力でこれほどの功績を成した者は少ない。


世間は加護、【権能スキル】とありがたがっているが、神の端末としてその力を行使するのを許されたところで、所詮本人自身の能力ではないのである。


元は単にけんのう、と読ませていたのが、数十年前だかにスキル、と文字が当てられてから、勘違いする者も多いけど。


(そんな方がそこら辺の業者より格下扱いされてるのは大いなる間違いですよ。ほんとに)


千暁ちあきへの加害が記録されないからと、【権能スキル】で食い物にしてきた連中が何人いたことか。


しかし最早許されない。


来歴にはしっかりと馬鹿どもの名と所業が記されていたので、この修羅場を越えたら片っ端から捕まえてやろう。


(私の大好きな友人は、何不自由なく、他者から迫害されず、幸せに生きるべきなんですよ)


園原は改めて覚悟を固めて千暁ちあきを見た。


大事そうにちまちまとおでんを噛み締めている。


一瞬で何を言うか忘れた園原は、やはりおいしいですよねと心底から頷いた。


この人はとにかく体重を適正にするために、あと10kgは必要なのである。園原はことあるごとに肥やす覚悟でいた。


なお記録を取る後輩はやるならやるで、もっといい料理もんでやれよと呆れている。


「あつあつのおでんなんて、贅沢でいいですね」


普段用心深く世を睥睨するだけの目が、今だけとろとろと和んでいる。


何か視界に入るだけで傷つきそうなこの人が、おでんで少しでも心ほぐれるなら安いものだ。


この人はなんと言っても素直なのがとてもとてもいいし、他人に対しても誠実なので好きだ。


たとえそうあらねば排斥されたから、培われた性分だとしても、園原はそうはならなかった事例の方に詳しい。


「お礼はあとでちゃんと改めてします、よね……?」


横でごちゃごちゃと後輩がうるさいが、7年のつき合いがあれば、そうした良店への誘いを重荷に感じる性格も知っている。あえてである。


唯一園原が知ってる店が、仕事に奔走するうちに密やかに閉店していたのは本件に全く関係ないのである。


関係ないけど、不安に駆られた後輩により祝詞のりとが如く小声で唱えられている青森の名店情報は、アメリカンドッグを左手にちょっと手帳に記載しておく。


焼き鳥あたりは千暁ちあきも好物だと判明しているのでちょうど良さそうだ。


(高橋さんが、生き延びた後もこのまま迷宮清掃員を続ける可能性は……微妙ですね。とにかくモチベーション維持に懸念がある。いい加減この人も、迷宮清掃員から足を洗って、人並みの幸せを模索した方がいい)


例えば夜は十分に寝て、3食しっかりと食べるとか。冷暖房の使用を限界を越えて耐えずに過ごすとかでもいい。


もうこの人は十分以上に働いた。もういいじゃないか。


幸い、その辺はどういう訳か甲斐甲斐しく千暁ちあきの世話を焼く、あの神が目を光らせてくれそうだ。


(…………あっ、なんか神様こっちにガッツポーズしてますね。やっぱり読めちゃいますか〜思考〜)


まぁ、死ぬまで千暁ちあき迷宮清掃員ダンジョン ジャニターとして働かせたい神なら何としてでも遠ざけたけど。


(おそらく神としては高位の……分身体、か。己が一部を切り分けて、高橋さんの守護につけていたのか)


合ってるぞそだよー、と言わんばかりに腕で丸を作っている。


合っちゃってたらしい。


よほど、その……いや、こわい。神であっても相当な真似だ。


そんなことまでする執着のきっかけってなに?なんて聞きにくいし聞きたくない。


交代も提案されてなお、7年担当に居座った己は軽やかに棚に上げている。


(高橋さんも、肝が据わっているから一切気にしてない……というか、絶対、北見ふるさとに残してきた妹さんと重ねて見てますね。あんな感じのお姉ちゃんだったんですか)


子供の腕しかない神を、女神と断言してるあたり間違いない。


扱いも、おそらくこんな風に妹を気遣っていたんだなとわかる。


よほど仲のいい姉妹だったんだろう。


……なんだか、つた神の手が、ショックを受けたように動いた、ような?


(……絶対子どもに甘える人じゃないので、生活の面倒を見たいならもう少し成長しないと無理だと思いますよ!)


礼を言うように、6本出ている腕のうち、2本で礼を示してきたので、軽く会釈する。


秘密裏のやりとりは、幸せそうに緑茶をすする千暁ちあきには気づかれてはいない。


人間側からの信仰を集めるべく、神々はとにかく見目にこだわる。


神々がこだわらなくても人間がこだわる。


願う人間が多いほど、神の姿は変質する。


(さて、これでどう変わりますかね)


しかし名前の一部につた、とある神は知ってるが、このような中途半端に人を真似た造形のままで力を持つならば。


(よほど信仰には困ってない、もしくは存在維持に信仰が不要な神……)


まほろの創造神、世界の安定に由来する神の可能性が高い。

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