第3話 燃える蛇

机の上をあらかた片付け終えて座った千暁ちあきは、ちょいちょいと腕を引かれた。


千暁ちあきの膝に座り直した、つた様である。


食事中は何か一つ食べるたび、ぺちぺちと拍手していたので、なんらかの理由で千暁ちあきの食生活を憂いていたとは察した。


「好きな子がセルフネグレクトしてて長年心配してたかた〜!」


すかさず園原があおると、6本の黒い腕が、まっすぐ天にかかげられた。


それから千暁ちあきの頬を執拗にもちもちされた。


職人の手つき。どうやら日頃から肉づきを確かめられているようだ。


そんなに肉もないので、触っても手触りは悪いと思うんだが。


「……片付けと清掃とか、風呂は毎日ちゃんとしてますが〜?」


「昨日は何食、食べましたか?」


「まぁ、適当に済ませました」


微笑む園原からそっと目を逸らした千暁ちあきだが、直後に顔を正面に戻され、こん、と額に軽い衝撃を感じる。


向かいに笑いをこらえる園原が見えるのに、小さな息遣いが近い。


腕は6本とも頭やら頬やら肩やらにあてがわれているので、間近で詰められているとは察した。


「……よるに、一食」


流石に、散々世話になっていたらしい神様を誤魔化す度胸はない。


「あら?あらあら?もしかして、昨日もお休みだったんでしょうか?それとも、バイキングでも食べに行ったんですか?」


園原そのはらさん、シボリのゾノが出てます。抑えて」


「シボリ……?」


添木そえきくん」


「はい、黙りますね」


なお別段暴力的なこともないのに、一滴残らず情報を搾り取る、とかからきた異名らしい。


園原は千暁ちあきに隠してるつもりなので、あえては言わない。


園原に連れ回されている千暁ちあきをお仲間と思った前科者に、復讐に誘われて聞いた話だ。無論通報した。


「ところで高橋さん、基礎代謝とかの用語はご存知ですか?」


「せいめいいじに、さいていげん、ひつようなかろりー」


毎年低栄養を指摘され、散々健康診断先の病院の栄養指導で復唱させられたので、今でも振られるとすっと出てくる。


……実践はこれからがんばる、と言い続けて7年経ったけど。


恐ろしく察しのいい刑事なので、即座にごまかしは見抜かれるのが厄介だ。


「鶏の唐揚げにマヨネーズをかけると、今の貴方にはちょうどいいカロリーだそうですよ。……それならチキン南蛮とかよさそう?打ち上げには居酒屋にでも行きましょうか。手軽にハイカロリーを詰め込む手法を叩き込みますから♡」


「園原さん、濃いめの味の揚げ物と酒で、毎年高血圧で引っかかってるので鵜呑みにしないほうがいいですよ」


「店は添木そえきくんが教えてくれますから」


「それ僕は連れて行かない感じですね?!まぁいいんですけどぉ!」


「……打ち上げ?」


そんな大層なことは起きていないはずだけど。


首を傾げたらずり落ちた眼鏡を、つた様に直された。


……直してもフレームが歪んで合わないし。


もう買い換えようかな、と自然に思った自分に、少し驚いた。


眼鏡はヒビが入ってから勝負、と思っていたのに。


「ええ、貴方を狙った呪詛が、今取調室の周りを這いずり回っていますので」


そもそも誰にも言わずに警察へ、と千暁ちあきに言い含めたのも、今回のことが露見しないように口封じを図る連中から逃すため。


案の定来歴に呪詛が放たれた、との記載があったから千暁ちあきを護るため、即座に取調室に篭ったらしい。


「それはもっと早く言いましょう?」


やたら拘束時間を引き延ばすとは思ったのだ。


生死を分ける、とか言う割に呑気におでんを食っていたので、全然忘れていた。


もうそんなに焦って働く理由もなさそうなので、留められても別に構わないけれど。


明日は普通に仕事だ。早急の解決を希望したい。


「いえ、貴方の洗脳がどの程度かわからないので、パニックなられたら困るなって」


それはそう。


もちろんつた様は、呪詛の存在には気づいていたのだろう。


千暁ちあきが呪詛の存在を認識した途端、丁寧に眼鏡を外されてから、ぺちょ、とつた様の手のひらに目隠しをされる。


「つた様、大丈夫。わかってます。見ませんよ」


手のひらがはがれた。


この手のは大抵目を合わせればろくなことにならないと教本でも教わっている。


千暁ちあきは清掃専門で、解呪はそこそこだが全く無知ではない。


新人にありがちな失敗は、入退院を繰り返しながら一通り済ませてある。同じ轍は踏まない。


「ここ、警察署の中でも屈指の頑丈さを誇る取調室なので、今は部下が対応していますよ。それも仕事なので……あとで清掃だけ直接依頼を出してもいいです?」


依頼人を介した協力関係になることは多かったが、警察直々の清掃依頼は初めてだ。


「……あぁ、犯罪歴」


「ええ、ないのは確定になりましたから」


「そういうの、私も見れたりします?」


できるそうだ。


なんならそれを元にこれまでの扱いに訴訟を起こせる、と聞いて俄然気になった。


こんなバカみたいな真似をさせられたからには、本人達に償ってもらわねば気が済まない。


指示をされながらうきうきと来歴を辿ると、やたら赤く光る神ページのお知らせに園原が気づく。


「……これは」


「あ、そういえば先程の【温熱操作】、まほろポイントを奉納したら【独自権能ユニークスキル】に進化して怒られて……」


「あぁ、貴方の素行なら囲い込みたい神も多いでしょう。成人式はそういう術式が会場に設置されているので、勝手に加護がかかり【権能スキル】が得られますが、それ以外での取得だと先程のランキングを参考に個人が【汎用権能はんようスキル】の選択をして……」


説明内容の咀嚼に忙しい千暁ちあきは、急に言葉を失った様子の園原と、ついでに記録を書く添木そえきの様子に気づいた。


「あの、何か」


「つた様関連の【権能スキル】ではなく、【温熱操作】の【汎用権能はんようスキル】が、【独自権能ユニークスキル】に……?」


「つた様には奉納できなかったので、焼鉢やきばち様に……」


つた様にできたら真っ先にするのに、と呟いたら、しっかり抱きしめられた。


なお、つた神からのお知らせには、あたしを思うならご飯を食べて寝てくれた方が嬉しいとのお達しがあった。どうして。


「いや、奉納!?えっ何ポイントぶんを?!」


「えっ5000ポイント……」


定められた上限にしては安いと感じたのは、職場のスタッフが昼休みに50,000円分の課金で限定召喚確定、と常々騒いでいたのが記憶にあるからだ。


千暁ちあきは0がひとつ違うだろ、というお気持ちだが、添木そえきはわなわなと震えている。


「1日1ポイントの焼鉢やきばち神に5000ポイント……?!普通、レンタルの相場は加護ひとつ1年で1ポイントですよ?よほど勤勉に暮らして1日に加算されるのが、0.1ポイントくらいなのに……?」


「はぁ……?意外と低い?んです、か……?」


ことの次第が千暁ちあきには全然ピンとこない。


株がどうとか、壺がなんだとか、競馬の良し悪しとかをまくし立てられた時と全く同じ心地である。


神の対策を知るならまだしも、実際に加護を受けたらどうなるかは、ノースキルには全く未知の分野。


それだけ獲得ポイントが渋いのなら、なんで身代わりに浪費されていたと思しきまほろポイントなのに、それでも200,000ポイントもあったのか。謎が深まる。


もしこれまで虐げられて可哀想だったから、とか言われたら、何とかこれまでのまほろポイントをドブに投げ捨てたい。


焼鉢やきばち神、加護でお得って流行ったならまだしも、確か信者の願いで化身を元と似つかない姿にされたのに激昂して、ほんのつい最近1日1ポイントの高レートにしてたはず……5000ポイントなんて、よほど何年も毎日神に奉仕してなければでないし……してましたねぇー!1日も欠かさず命懸けの迷宮清掃を【権能スキル】も使わずに!」


添木そえきはあからさまにどれだけ節約してお得な【権能スキル】を得るか、といった様子。……たまに昼休みに会社の食堂でも聞かれた、つまらない話題だ。


信仰って、本来そういうもんじゃないだろう、とはノースキル故の戯言になるのだろうか。


「そろそろ口が過ぎますよ、添木そえき。いかに神を寄る辺にしないと宣誓する私たちといえど、他者の信仰を妨げる言い訳にはなりません」


見かねて園原が口を挟んだ。


途端固まった添木そえきは、ぎこちなく千暁ちあきに振り向くと、帽子をとって深々と頭を下げた。


「……軽はずみな発言でした。申し訳ありません。差し支えなければ、この短時間で上限までの奉納を決めたのは何がきっかけなのか、とうかがってもよろしいでしょうか?」


態度はしょぼくれた大型犬のようだが、目は好奇心が隠せてない。


これは園原の部下だなぁ、と千暁ちあきは頷いた。


園原に関してはこの詮索癖が、窮地を救う情報共有になりがちなので、協力を惜しむつもりはないが。


伝えようにも、普段考えたこともない話の言語化が難しい。


「いえ、私もあまりわかっていないので、しんこう……というには大層なんですが」


焼鉢やきばち神にも怒られたが、思ったより感謝を示したことに正気を疑われているのが解せない。


正月の賽銭箱に一万円札を投げる人間もいるなら、その半額なんてささやかと思うのだけど。


どうせ、これからも仕事に【権能スキル】は使わないだろうし。


200,000ポイントに、賠償としての10,000ポイントもあったから、つた様以外に助けられた神がいれば、奉納したってよさそうなものだが。


困ってつた様を見れば、それで合ってる、とばかりに腕で丸を作っている。助かる。


「おでんがあつあつだったのが、今はとてもありがたかったので……?なら、たすけられたお礼をしたいなと。ポイントは上限までなら低過ぎて失礼、にはならないかなって……」


妹を自分が助ける。


現実を見ないふりしていた。歪んだ夢だった。


それを思い知った羞恥に死んでしまいそうだったのを持ち直したのは、揺るぎなく事を進める園原と、まぎれもなく焼鉢神からの加護のおかげだ。


幸せに腹がふくれれば、多少気が逸れてまともなことも考えやすかった。


たぶん即座にお叱りがあったから、焼鉢やきばち神には迷惑な話だったんだろうとは思うが。


それでも自棄やけにならずに済んだのは、本当にありがたかったのだ。


……それをうまく言葉にできない千暁ちあきに、園原はわかってますよと手を振った。


「ええ、貴方のそうした部分は好ましいのです、が……でもどうしましょう、不敬にならない言葉が難しいですね」


「そこはまずポイントの使い方からでは……え」


そこから先は言葉にならなかった。


どぉん、と床がまず揺れた。


それから、重たい肉がずるずると滑る音が近づいてくる。


はらはら、はらはらと、部屋に粉塵が落ちる。


あらゆる秘匿と防御の呪いを刻んだ取調室を、容易に傷つける異形の存在がほど近い事を悟るには十分だった。


「全滅ですか」


「あー……連絡取れませんねぇ。どうします?」


「まず協力要請して、高橋さんだけはとられないように。それから情報収集で」


「ハッ」


こともなげに園原と添木そえきは言う。


千暁ちあきは自身を庇うように、手を伸ばしてくれていた神様を、そっと抱えた。


軽い身体だ。簡単に机の下に押し込められる。


「高橋さん。お願いします」


万年筆と、乱雑に千切られ手帳のメモを受け取る。


まぁ、園原にも千暁ちあきにもよくある修羅場だ。


越えてきたからまだ生きている。


「ええ、承りました」


その言葉を聞き届けたように、部屋全体が軋みを上げ始めた。


しかし、そのまま締めてあげて砕くには及ばないだろう。


「……へぇ、見える人には、紋の発動ってこう、なんですね」


千暁ちあきが手にしたメモに描かれた桃紋とうもんが、部屋を煌々と照らし出す。

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