② 桃の花

取調室に、桃紋とうもんから吹き出た薄明るい桃の花が舞い散る。


字面に起こせば風流だが、花は散ってしまえばゴミだ。


清掃を生業なりわいとした女ははなはだ白けて眼鏡を直した。


最初こそ驚いたし、呪詛の解けた故の変化と思えば嬉しかったけど。


ことが済めば消える保証のないそれが、事後の報酬のない労働に含まれると思えばげんなりしてしまう。


(しかも、視覚的に鬱陶しいな……有事に敵が見えなかったら、意味がないのでは)


「ちゃんと消えますよ。こちら側の身隠しも兼ねているので我慢しましょうね?」


「ハイ」


流石園原は鋭い。


、が、桃紋とうもん、ですかぁ……?」


添木そえきがわなわなと震える指で、花弁の壁を指した。


聞かれたって千暁ちあきも知らない。


「まぁ、効いているなら桃紋とうもんでしょうね」


丸の中に、簡略化された桃が描かれた紋である。


オリジナルにほんには更に異国から伝わった桃源郷、という概念があり、桃紋とうもんはその逸話を模している、そうだ。


千暁ちあきも研修で習ったきりだからあやふやである。


争いなき桃咲く異界、と紋により認定されたことで、概ね不可侵の結界を敷く。


非戦闘員である迷宮清掃員ダンジョン ジャニターには必須スキルだ。


社長にはまず真っ先に叩き込まれたし、即座に描けなければ死ぬと悟ってからは、毎日欠かさずタイムを計って練習している。


「……あの一瞬でこの規模で敷ける人は高橋さんぐらいですけどね」


「前に護衛した迷宮清掃員ダンジョン ジャニターかた、なんかアプリ使って失敗してましたが……」


「あー……はぁ、いますよね、はい」


紋は本当に残念なことに、安全上の理由で印刷では発動しない。


最大限効果が出るのが手描き、機械などの支援を受けて描くでも、本人が何か手を加える必要がある。


確か、ミニゲームをクリアすることで、効果にムラはあるが紋が描ける、なんて携帯アプリを使ってた他社の社員が1人死んでいたはずだ。


確かにこうしたアプリは多いが、何らかの不運に見舞われた一般人ならともかく、現場で使うような迷宮清掃員ダンジョン ジャニターがいたことに驚いた記憶がある。


「練習をサボって【権能スキル】に依存する連中が多いだけで、加護なしノースキルでも扱える技能ですよ」


独創性もない記号を殴り描くだけで、そこまで言われると照れるより先に申し訳ない。


「で、そんなことより添木そえきくん、連絡は」


「だめですねー……結界で通信が異界化いかいばけしてて通じません。どうしましょ?ねえどうすればいいんでしょ、ねえねえねえねえねえねえねえ」


「とろい。貸しなさい」


電話口から鳴り響く何だか不穏な呪文に、異様な様子の部下。


その全てを無視して、迷いなく携帯電話を添木そえきの手から引き抜き、園原が踵で液晶を割った。


「あぁあああ園原さんが俺の携帯壊したぁああああ!!」


途端に泣き崩れる添木そえき


「うるさい。泣いてないで職務を果たしなさい」


にじるように、ブーツの踵で更に粉砕していく園原。


(呪詛による精神汚染、始まってきたな。添木そえき?さんはよく知らないけど。普段の園原さんならコンプライアンスに厳しいから絶対やらない)


己の思考も無闇に攻撃的になっている自覚はなく、千暁ちあきはそっと追加でメモに邪気払いの蓬紋ほうもんを描いた。


紋は緑に光ったが、今回はよもぎの香りだけなのにほっとした。これ以上視界がやかましくなってはたまらない。


ペン胼胝だこができるまで練習した、葉が3枚連なった蓬紋ほうもんの形はめんどくさいの一言だけど。


2人はそれで少し正気づいたらしい。


耳まで赤い添木そえきが、乱雑に目元を拭い、帽子を被り直す。


園原が無言で煙草に火をつけた。珍しい。


「社長経由でもいいなら外部連絡できますよ」


基本こんな時しかない職業なので、備えはある。


「お願いします……」


園原の咥え煙草で、前髪を乱すようにかきあげる余裕のなさを見るに、本当に無自覚だったらしい。


2人が弁償がどうとか話すのを背に、社長との通信のために社長と直通連絡先である帆立ほたて紋を……


「ほたてだ」「なぜホタテ?」


「発動!」


社長と行った居酒屋で貝焼き味噌にいたく感動したから、その場で盛り上がって決めた、なんてエピソードはこの有事に不要だ。


即座に社長と繋がる。


「おつか【あー、いい。挨拶はいらない。……で、あたしは何すればいいの?】


緊急時の紋だ。社長の話が早くて助かる。

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