⑤ 指導

井守が後生大事そうに抱いていた完全手動迷宮清掃手順マニュアル。


これは千暁ちあきが作成し、社長により秘密裏に迷宮清掃員協会に提出され、何故か協会員総出で検証された挙げ句、製本化されたものだ。


この時点でどうかしている。


本来、個人的な経験則のみで、迷宮清掃員の生死に関わるマニュアルを書くなんてとんでもない話なのだ。


それがなんで中小企業所属の下っ端の言うことを間に受けて、検証までしてしまうのか。


だいたい、そこまでしても使う人間がいないだろうに。


迷宮清掃を完全手作業で仕上げるのは、この会社どころか、青森県内にも数多い迷宮清掃会社の中でも、千暁ちあきただ一人。


今日、千暁ちあきが9時間かけた業務も、【権能スキル】待ちなら数分でこなすんだから、費用対効果を考えれば無理もない。


致し方なく【権能スキル】なしでの清掃が必要になれば、依頼者自身が交通費と多額の報酬を上積みしてどこかから呼ぶだけで済むのだから。


(そもそも、マニュアル書く時間がもったいなかったな。あの時間があれば、10件はこなせたし、母が作ってきた賠償請求に会社から借金までしなくてもよかったのに)


ことの発端は社長が入職3年目に、全力でバックアップこそしているが、どうして依頼をこなした上で生き残れているのか不思議で仕方ないからと。


飲み屋で夕飯を奢ってくれた社長に言われるまま、卓に置かれた紙ナプキンに箇条書きに注意事項を適当に書いたのだ。


それを読んでから深々と息を吐いた社長により、マンツーマン指導という名の缶詰作業の末、マニュアル作成させられる羽目になった。


元々、誰からも助けが見込めない千暁ちあきは、時には依頼を蹴ってまで、とことん危険を避けてきた。


千暁ちあきにはどうしようもできない依頼を最初から受けていないんだから、死なないのは当然と思うのだけど。


マニュアルに書いたのも、単なる評価方法がほとんどだ。


聞き取り段階で清掃原因となったヨゴレが何によるものかの聞き取り、迷宮清掃員では手に負えない事態かどうかの判別、神域であれば持ち主である神々への事前のお伺いをどのような手法をとるべきか……。


後は空白を埋めるために適当に書いた、神域を尋ねる際の捧げ物選定基準一覧、迷宮で拾える素材から作成できる清掃時の道具作成くらいのものだった。


研修会でもよく触れられる内容だったし、【権能スキル】持ちには一部は無用の情報。


会社内の季節の便り、くらいの気持ちで書いていたのに。


(てっきり弊社のみのもの、と思い込んでたら、オーダーメイドスーツ一式仕立てられて、学会で発表まであると思わなかった……)


そんなもん借金肩代わりまでして、わざわざマンツーマンで書かせるわけないだろ、とは社長からのありがたいお言葉である。正気を疑う、といった顔をされたのが納得いかない。


完成させて金一封とうなぎをおごられた後日、学会では各会社のお偉いさん達により、四方八方からえらい形相で詰められた。一体何度質問終了を告げるベルを鳴らされたかわからない。


もう当日の記憶は、解放されてから社長の奢りで、ひつまぶしのおいしいのと、日本酒の素敵なのをおごられた以上の記憶はない。


渡された名刺も、特に使うきっかけもなく。塗装の禿げた名刺入れに入れっぱなしだ。


すっかり悪夢を忘れた2年後に、迷宮清掃員協会の名で製本されたマニュアルを渡されたとき、何の冗談かと思ったものだ。


筆頭編集だかの名前に己がいたのも、それはそうなんだが受け入れがたい。


だってこれでこのマニュアルを鵜呑みにして死んだ奴がいれば、名指しで恨まれる立場になってしまったんだから。


そして、なぜかその製本化されたマニュアルを自費で購入し、大会社の出世株の立場を蹴ってまで、千暁ちあきを追い詰めてくるのが井守である。


単純に恐怖を感じている。


いつか正気を取り戻した井守に、時間を浪費させたと訴訟されないかだけが今の千暁ちあきには気掛かりである。


だが、教え始めると、異様に悪い飲み込みに、そんな考えは即座に霧散した。


かゆを食いながら聞いた話では、マニュアルに書いてあることがわからない、というのも不思議だったけれど。そもそもこの2人、迷宮清掃の基礎を知らないのだ。


「何で君たち、まず最初に叩き込まれる清掃する場所の神がどこに属するかの調べ方すらわからないんです?依頼者も割と適当に来歴を認識してる人が多いから、現場での評価も必要ですし、最悪肉親まで死にますよ?」


神は規則ルールに縛られて降臨し、本人しか祟らない。


悪魔、妖怪は縛りなく筋違いをやるので怖いのだが、依頼人すら神と区別がついていないことが多い。


自分が死ぬならともかく、オリジナルにほんの怪談にたとえれば、ことりばこのように特定の属性のみに呪いが分散する案件である可能性も高いのだ。


「その、以前勤めていた会社で教わった方法と、あまりにも違っていて……だからこそ、マニュアルに書いてあったことに驚いて。このままじゃ死んでしまうと思って、ちあさんに学びたかったんです。うちの実家でも、会社と同じようにしかやってなかったから」


「……そもそも私の【権能スキル】には必要ないことなので」


大手企業のノルマ前提主義に疑問を抱けた井守はともかく、鈴木の態度に疲れる。


意外にも鈴木まで話を聞くつもりがあったらしく、今は井守と肩を並べてノートを広げていた。


眼鏡を外して目元を揉んだ。煮凝ったような疲労を自覚して、頭痛が増す。


「井守さんはともかく、鈴木さんですね。そんなバカな話はありませんよ。何者にも勝てる【権能スキル】なんてありはしない。事故事例集を読んでいないんですか?」


「読みましたけど……私の神様に勝てる神なんていないもん」


「たとえ君の神様に勝てなくても、君自身に勝てない神を探す方が難しいんですよ。信者の粗相は明確に何が起きたか神にわかるし、その上で君が破門されるだけです」


いい例が《水際みぎわのコニー☆》だろう。


個人情報故にあれから生き延びたかは知らないが、神の信仰を笠に着て横柄に振る舞えばどうなるか、あれがいい手本となる。


まあ7年そこそこ働いた千暁ちあきにも、教えられそうな範囲があるようで何よりだ。


この2人、例えるなら、材質も確かめずに原液のまま漂白剤をぶちまけるような真似をして、時間短縮を図っていたらしい。


迷宮清掃において、新人が殉職する可能性が高い初歩すらなっていないとは恐れ入った。


「だいたい高橋さん、あんた今んとこ、足の裏の感覚で筍がわかる!みたいな話しかしてないんですよ」


「してませんよ。このまほろで、神を名乗るにはルールがあります。必ず明らかにしなければならない情報があり、それを公開している機関を頼るだけでいいんです。ダンジョンにあるはずのない痕跡があれば、それで怪しむことができます。神は最低限の礼儀を果たせば、命までは取らない。でもそこで登録すらされていないナニカであれば、それはルールも知らず君の命を奪います」


「知ってますけどぉ……」


鈴木は面白くなさそうな顔でふてくされている。


彼女はまだ19歳だったか。


18歳の成人式で加護を得た万能感により、命に関わる失敗をしやすい年頃だ。


この意識の是正は、【権能スキル】を得られなかった千暁ちあきには荷が重い。


「……鈴木ぃ、あんたさっきから邪魔するつもりしかないなら寝たら?」


「こ、ここまで夜更かしつき合って今更眠れませんて……!」


「いや、もう終わりにしましょう。君たち、会社に損害賠償請求が来る前に、一度依頼を受けるのをやめて、改めて基礎から学びなおしなさい。私にそこまでつき合っている暇はありません。社長と楳原さんにも相談しますから」


「は、はい!ありがとうございました!ご迷惑をおかけして、申し訳ありません!」


「はーい、ありがとーございました」


何せ、千暁ちあきにしか受けられない依頼がある中で、新人育成などしている場合ではない。


社長直々にそう言われているし、だからこそのマニュアル作成とも聞いていた。


一社員の経験から発したマニュアルなんて物の役には立たないだろうし、納得はしていないけど。


別に起きていろと頼んだわけではなし。そんな文句が出るんだから、勤務時間中にしろとあれほど言ったのだ。


どうにも、一番肝心な部分が、千暁ちあきにすらわかるほど未熟な連中である。


「君ら、命運を神のまにまには勝手にやっててほしいですけど。【権能スキル】に仕事を肩代わりしてもらうばかりで、自分の技量が身についていないんですよね」


「……ノースキルの高橋さんの方がマイナーでしょ。何が違うんです?」


「なんで依頼を選べるようになってると思ってるんです?全てを引っくるめて考えて、受けるべきではない依頼があるからですよ」


千暁ちあきだって、逃げるのはできるが、戦うのはできない。


襲い来る敵を討ち果たしながらの清掃、なんて離れ業ができる人間はいない。


探索者に護衛を頼むべきだが、千暁ちあきの作業時間で人を雇うには効果に対して費用がかさむ。


「確かに【権能スキル】は便利ですけど、あくまで神様による作業のショートカット。実作業は数分、とは言っても、事前に念入りな計画があってこそです。君らはコックさんになろうとして、来る客にひたすらレトルトと冷食を温めてるだけなんですよ。高まるのは君らが頼る神の名声だけですし、下調べを怠ってそれすら適切に提供できなければ、法外な値段で食わされて怒る存在もいるでしょう」


「……そんな話、初めて聞きました」


「この会社に入った時に同じような研修があったでしょう?」


「遠藤さんからは、以前の会社と同じお話を……」


権能スキル】過信派筆頭の名前が出て、頭痛が増した。


経験と感覚派の男だ。


ノースキルを差別しており、千暁ちあきはざっくばらんに嫌われて、挨拶も無視される間柄なのだが、それでも十分人柄は伝わっている。


……勤務中に千暁ちあきに話しかけてこないのは、こうしたしがらみもあったのか。別の手立てを考えるから、まあ、深夜の出待ちだけはやめてほしいものである。


「あのひと、雑な仕事で右目取られて新人教育に回って、まだそんなこと言ってるのかぁ……いや、そもそも君らの教育係、楳原うめはらさんでしたよね?」


考えるな感じろ、を地で行く経験則の男に新人教育を託すべきじゃない。


口うるさくはあるが、楳原うめはらは50歳代まで生き延び、今は後進育成に携わる女傑である。


「私、すぐに遠藤さんに担当が変わって……」


楳原うめはらさん、すぐ怒るからやです」


鈴木が楳原うめはらから逃げて、井守について回り、遠藤の話をついでのように聞いていたようだ。


「だったら私に楳原うめはらさんゆずりなさいよ!」


「遠藤さんも乱暴だから嫌いですー!」


「あんたなんでそんなわがままなの?!私、もうあんたの面倒見ないって言ったよね!?」


むっすりと不機嫌そうな鈴木である。


とうとう態度に切れたらしい井守いもりに後頭部をひっぱたかれている。


「彼女は同じ仕事で認識の甘い息子を亡くしてますからね。息子さんは火に属する【権能スキル】持ちでした。どんな理由があろうと、敷地内に事前許可なく放火されて許す存在はいません。君ら程度の認識なら、楳原うめはらさんだって血相変えて止めるでしょう」


「私の【権能スキル】は闇だし……」


「昨年の事故事例集5月号に闇属性スキルで起きた事故の特集が乗っているから、熟読しなさいとしか言えないですね」


「ん~~~……」


鈴木がここまで言われて不貞腐れるだけの人間なので、楳原うめはらも集中的に担当しなければと感じたのかもしれない。


ある程度仕事ができるからと、遠藤に割り振られた井守も気の毒だが、それは千暁ちあきが手を回せる範疇ではない。


「君らの【権能スキル】も知らないので、基礎は改めて楳原うめはらさんに聞いてください。私から学びたい熱意は無駄だすごいなって思いますけど、学ぶ順序が違います」


社長と、教育係である楳原うめはらに仔細を朝8時に予約メールした。


事は既に、千暁ちあきにはどうしようもないところまできていると判じたのだ。

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