④ つた神

するり、と後ろから伸びたつた様の腕が2本、千暁ちあきの顔の前で大きくばつ印を作った。


そして園原が少しずつ退けていた瓦礫ガレキを、あっという間に片付けてしまった。


   待って、それは大丈夫です。

   頼まずとも、千暁ちあきさんは助かって

   しかるべきなんですから。

   やっと上から許可がおりました。

   あたしがちゃんと、助けるんです!

   今度こそ!


その途端、添木そえきにより床にくたばる、かびたくあんを目掛けて振り下ろされる一撃があった。


【お、ごぉ……?】


「うぉっ……あっぶねぇ〜!」


異界と化した取調室の外から、不明瞭な模様がたゆたう濃紫こむらさきの天を割り、黒い手がべちゃん、とかびたくあんを押し潰したのだ。


つた様の、一部?それとも本体だろうか。


(……なんか、ビニール、てぶくろ?つけてらっしゃる?)


つやつやと光る黒い肌を、半透明のビニール手袋が覆っている。


ちょっと安心したのも束の間、すんなりした黒い両手に、凄まじい悲鳴をあげてね上げられるかびたくあんである。


叩いて丸めてねられたかと思えば、円筒形に整形されて雑巾絞りされている。


「や、やだ、ヤダァああああ!!」


容赦なく全体をし潰されて、神として纏めていた粘性の物質から、人のようなものが次々と絞り出された。


何人か、そこに知った顔がある。


かわいそうだから恵んでやるよと、食玩についてたらしい小さな菓子を限界まで口に押し込んできた従兄弟。


後ろから嫌味を言いながらついて周り、千暁ちあきが触れたところを、その都度消毒していた伯母。


いきいきとバケツリレーを提案して千暁ちあきに水をかけてきた叔父。


他にも次々と落ちてきたが、情報は思い出せるのに、感情がそこまでのらないのも、つた様の掌中にあるからだろうか。


(どう見ても死んでるなー……訴訟の後ならどうでもよかったんだけど。道具はそろってるからまだしも、帰ったら、いらなくなった資料も整理しないとなー……)


死人が出ると、この後の清掃に手間がかかるのが困る。


屍肉が腐ると、素材に染み込んで消臭が面倒なのだ。


(呪いが解けて、連中の所業を晒せる日を心待ちにしてた、はずなんだけど)


不完全燃焼である。


いつかの復讐を楽しみにしていた相手が、適当に浪費され、かびたくあんの土台にされて人生が終わるとは酷く面白くない話だ。


死ぬなら死ぬで、ちゃんと千暁ちあきが報復してからにしてほしかった。


まぁ、千暁ちあきを母の代わりに痛めつけて、鬱憤を晴らしてきた祖父だけは生きているようだから。


最低限あれだけはどうにかできればいいか。


これまでの記録は十分とってある。


「くそっ、くそ、くそぉ……!!」


90歳を越えてる老人のどこにそんな力が残っていたのか、すぐさま跳ね起きて逃げ出したものだから。


添木そえきが走る前に、つた様の腕がそこかしこの床から生えて、祖父の全身を鷲掴む。


けたたましく泣き叫びながら、どこぞへ連れ去られる祖父に、いつぞやの教師の話を思い出す。


何とは言わないが神様ってすっごいんだな、と感心するしかない千暁ちあきである。


見るものは見たせいか、顔からゴーグルと、割れた眼鏡を外された。


ガラス片を払い、汚れをぬぐったり、怪我を確かめるように滑らかな手が顔を撫でている。


楽しそうだ。何故かは知らないけど。


「あっ正式に神性しんせい剥奪きましたね、これで人として裁けます!最高!」


「つた様……!ありがとうございます!」


ちょん、と指先で、たくさんの腕がハートをかたどる。かわいい。


   これまで、規則で手出しできなかった

   けど……ずっとこうしてやりたかった!

   もう絶対大好きなあなたへの手出しは

   させません!


(もしかして動機はその、そっちすき、メインなんですか)


   うん、監視が持ち回りだったのを、

   あたし固定にしてもらったのもそう

   ですし!


監視。


   ……あたし、なんか、変なこと言った

   かな?


首を横に振った。


後半だけなら、どこぞの刑事そのはらからも聞いた話だと思っただけだ。


つた様は、作った手遊びの狐で首を傾げている。


   貴方の境遇を知っていて、システム面での

   不具合で、これまで手出しもできなかった。

   貴方が本来得られたはずの権利を、

   取り戻すだけでこんなに時間をかけて

   しまった。


その辺は法を外れた親族のせいでしかないし。


連帯責任として気楽に諦められなかっただけで十分なのだけど。


   柄杓の方からも助けていいって、あたしが

   好きにしていいって許可もあります!

   うれしい!

   だから、こんなこともできます!


たかが千暁ちあきの身柄を自由にできたところで、いったいそれの何がそんなに嬉しいのか。


すぐに柔らかな光に全身を包まれたことで理由はわかった。


   お知らせ

    つた神の計らいで、

    C4以下の脊髄損傷に伴う完全麻痺

    粉砕骨折(部位省略)

    内臓損傷(部位省略)

    上記に対して全ての治療が完了しました。

    システムエラーによる被害であり、

    今回の治療で貴方の寿命への影響は

    ありません。


(……わぁ)


あまりの惨状にそっと目を覆いたくなって、そのように腕が動いた。じわじわと全身の感覚も戻ってくる。


別に動きは制限されていなくて、単純に神経が麻痺していた可能性が出てきたから酷い。


一応長時間労働のためにシートはあてがってはいたが、筋肉が完全に弛緩した結果の粗相がなかったのは幸いである。


つた様に掌握されたおかげで、何も痛みがないから気づかなかったが、文に起こせば思ったより重症だったらしい。


そう思った途端、マイページの画面いっぱいネオンカラーに光り始める3週間の入院を要する重症、の一文。


3週間で退院できるレベルとは断言されてなかったな、と。


はいはい、という気持ちで画面を閉じようとしたら、破裂音と共に一文が風船のように弾けて勝手に画面が閉じられた。


本当に、誰がいじってるのか。このマイページを。


(………………しかしあの勢いで瓦礫に挟まれれば被害それはそう、だろうけど。私の怪我を治したくて、あの誓約に?)


汚れはともかく、怪我は残っていない。


なるほど、祈祷院での治療に縋る人間がいるはずである。


でもいくら神による治療といえど、かつての社長並みの被害が、すっかりなかったことになる、なんて話は聞いたことがないけど。


ありがとう、と言いかけて口唇をつた様の指先で閉じられた。


治ったらしい頬を、両手で包むように撫でられる。


   何を終わった話にしてるんです?

   あたしの掌中にある以上、

   絶対絶対、最低でも1日に2食は

   食べてもらいますからね!

   眼鏡も新調して、何年も着てる服も変えて

   もらいますから!


つた様が指を立てて、鬼の角を真似ている。


その仕草が、おちいさかった時のつた様と似ていて、柔らかい気持ちで千暁ちあきは微笑んだ。

  

   衣食住はあたしが握りますけど、

   貴方があたしを好きになってくれるかは、

   これからのおつき合い次第とわきまえてます!

   よろしくお願いしますね!

   

それから聞き捨てならない言葉に気づいて、即座に眉間にしわを寄せた千暁ちあきである。


何か勘違いしたらしいつた様が、ちょっとだけおろおろと手を彷徨わせた後、恐る恐る指先で千暁ちあきの眉間のしわをのばしにかかる。かわいい。

    

    どうしたの?やだった?

    で、でも千暁ちあきさん、どんなに

    お医者さんに怒られてもまともに

    ご飯を食べないからだめですからね!


いや、散々【霰盥あられだらい】を使っておいて、誓約をそんな平和利用されるなら拒否感はない。


今後母の借金や賠償金を払わずに済むなら、人並みに生きていける程度には稼いでいるし。


ただ、千暁ちあきはもう随分とこのかわいい神様のことを好いているのだが、なんとも思ってない前提で話が進んでいるのが不満なだけだ。


    えっ、あっ


いや、言葉にしてない不誠実なのは千暁ちあきの方か。


よくない。それは本当によくない。


つた様には散々率直に示して頂いたのに、自分は内心思うだけで察してほしいとするのはただの横着だろう。

 

    えっ


「すぶっ」


それで好き、と伝えようとしたらこれだ。


音が漏れないほど、きっちり口唇を掌で塞がれた。


    やだー!待って!

    直接聞いたら我慢できなくなっちゃう!

    だめになっちゃうから!だめぇ!


(……我慢するって何を?もう、つた様のこと好きだし、好きと言うのは別にいいのでは?)


つた様には迷惑な話だが、クソみたいな身内の後始末で頼り切ってしまった。


いちいち仕草が可愛くて、心遣いが優しい。


千暁ちあきなんぞに心を痛めて、真っ先に助けてくれたかた


事は済んだのに、そのあと千暁ちあきが生きられるかまで心配している。


少し話しただけでは、千暁ちあきには何もわからないかただから、もっと、お話してみたいと思う。ちゃんとお礼もしたかった。


今日の出会いのお陰で、千暁ちあきはきっと死ぬまで、以前よりずっとマシな気持ちで暮らせるだろうと確信していたのだ。


その程度にはしたわしい方と言えるが、それだけでは足りないんだろうか。


作法なんて人相手でもそれぞれ変化するものなので、神相手のそれをしっかり把握できてる、なんて決して言えないので。


何も事情を知らない人間からの、的外れの好意自体、迷惑なのかもしれないが。


(あれ、なんか、つた様がすごい動揺してるね……?)


すんなりと伸びた成人ほどの腕が、わたわたと宙をかき、何か言おうとして失敗した人の挙動じみている。


頰のあたりを冷やすように手で扇いで、2本の手を祈るように胸の位置で組んでいる。


さっきから本当に、どうしたんだ?


   だいじょ、ぶ!大丈夫だからね!

   いやな、訳じゃなくて!

   かくして、独り占めしたくなっちゃう

   から……


(最後の方がほとんど聞こえなかったな。気を遣わせた?)


   あっごめんね焼鉢やきばちさん!

   忘れてないよ!

   うん、ほら、あたし、以外にも神はいるし!

   ちゃんと、ほか、みてから決めようね!


千暁ちあきにはもう何が何やらである。


何を選ぶんだ。家電じゃあるまいし。

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