第50話 真犯人Ⅰ
フィオールは、今回の帰省に賛成していなかった。そもそも、ジャスティーに打ち明けることさえ納得していない。それが最善だと理屈は理解できても、感覚が賛同を拒んだ。嫌な予感、と言い換えてもいい。
なぜかは分からないが、フィオールはどうしてもジャスティーを味方だと思えなかった。そして、それはずっと前からそうだった。物心付いたときから、フィオールの味方はテオールとルイルだけだ。誰よりも正義の体現者たるジャスティーを、どうしてかフィオールは信頼できない。あの大きくて力強い手がフィオールたちに伸ばされる度、肺が苦しくなるほどの逃亡欲求に駆られる。
嫌いなわけではない。むしろ、理想的な父親だと思う。だが、ジャスティーを心の底から信じることは未来永劫不可能だろうと確信している。
車がランロッド家のガレージに入った瞬間、フィオールは強烈な既視感に襲われた。無論、生まれ育った家に対するそれではない。レナリアの目を見たときと同じ、記憶の根底がぐらぐらと揺らされるかのようなそれ。
は、と呼吸が浅くなる。違う、と誰にともなく叫びたくなる。嘘だ、信じたくない、と願う感情と、逃げろ、駄目だ、と訴える本能。あともう少しの風が吹き込めば、記憶を隠すもやは完全にいなくなるだろうと理解する。
「――フィオール」
びくっ、とフィオールの体は跳ねた。外から覆いかぶさるようにして覗いてきたジャスティーに目を向け、さっと俯く。
「どうした?」
「な、んでもない。……酔ったのかもしれない」
「そうか。先に家に入ってるからな」
うん、とフィオールは小さな声で頷いた。三人分の足音は段々と遠ざかっていく。テオールとレナリアは、逃げ場が無い家の中へと行ってしまった。
「フィオ、大丈夫?横になる?」
振り向くと、ルイルが心配そうな顔で隣にいた。
この世の何にも勝る、銀の髪と青の瞳。フィオールは、この少年を守りたいと誓っていた。初めて出会った日、二度と傷を負わせたくないと決意した。それはテオールに対して願ったことと全く同じで、同時にそれはフィオールが異常だから考えることだと感じていた。
しかし、もしそれが違うのだとしたら、もしそれが正常な判断だったとしたら。フィオールとルイルがテオールに守られていたのではなく、フィオールこそがテオールとルイルを守ってきたのだとしたら。
フィオールはそっと車から降りた。ガレージの最奥に近づき、両手を伸ばす。ゴムと油の臭い。宙を舞う土埃の感触。壁にはラックがあり、工具やテニスラケットなどが放置されている。
それらをどけたフィオールは、大きな白い箱を見つけた。見るからに頑丈で、温度を変えるボタンが付いている。表面はひんやりと冷たい。だから、その箱は異質なものとしてフィオールの目に映った。
「フィオ……それ……」
開けるな、と脳裏が言う。中に何が入っているか知らないはずなのに、開けてはいけないと知っている。それでも、手は止まらない。パチン、と爪を外し、パカ、と蓋を少しだけ持ち上げる。
臭いがした。生臭い、鉄臭い、吐き気をあおる悪臭。どうやら箱の正体は小型の冷凍庫だったようで、漏れ出た冷気が指先を冷やす。
開けた。箱を開けた。冷たい、赤い、箱を開けた。
中には、大振りの密閉袋が三袋入っていた。そのうちの一つを取り出せば、ずっしりと重い。
震える指先で、フィオールはそれを開けた。袋を開けた。冷たい、赤い、袋を開けた。
――隙間から姿を見せた、指先。
「あ、あ、あ……あああぁぁぁ!!」
違う、違う、違う、違う、違う。脳裏を文字が埋めていく。意味を成さない文字列がびっしりと書き込まれていく。
フィオールは、他の袋も開けた。現実を否定したくて、真実を認めたくなくて残りの二つも開けた。ところが、そこにあったのは紛れもない事実だった。二つの手と一つの足。きっと、レナリアの大切な人たちの体だ。
知っていたのだ、自分は。全て知っていた。知っていたうえで、記憶を箱に封じ込めた。嫌だったから。辛かったから。実の父親が化け物だと、幼いフィオールは信じたくなかった。なぜなら、ジャスティーはフィオールを愛してくれていたから。
「フィオ……何で……?何で……何で……」
袋の中身を見てしまったのだろう、半歩後ろでルイルは問うた。信じられない、そういう声色でルイルは尋ねた。
ザリ、と後ずさる音。いなくなる、とフィオールは直感した。ルイルはいなくなってしまう。否、いなくなるのが正しい。ここから逃げて、逃げ続けて、本当に安全な場所にたどり着くべきだ。
――ところが、ルイルが掴んだのはフィオールの腕だった。
「テオ……テオが……!」
「……!」
直後、フィオールとルイルは駆け出した。犯行の証拠をそのままにガレージを抜け、施錠されていない玄関に入った。
やけに静まり返った廊下を抜けてリビングに入れば、床に座り込んでいる、テオールとレナリア。――二人の前に立ち塞がっている、フィオールの父親。
「遅かったじゃないか。見つからなかった……わけじゃなさそうだな」
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