第27話 離別Ⅲ

「全部、何もかも、ジオスさんが悪いことなんか一つも無いんだよ。犯人が悪いんだ。ジオスさんの家族が亡くなったのも、大切な人たちが亡くなったのも、ルイに悪いことをしたくなるのも」

「お姉ちゃん、好きだったのに……」

「レナリア。聞いて。レナリアは何も悪くない。大事なこと言うから、聞いて」


 その薄い頬に右手を滑らせ、やわやわと撫でた。気持ちが焦る。視界が揺れる。殺しちゃった、死んじゃった、と繰り返す声。過去の映像を投影しているのか、焦点は宙で不自然に留まっている。お姉ちゃん、おばあちゃん、と人数を数え始めた。レナリアがこうなる頻度はそう多くない。その代わり、回復するまでに時間が掛かる。レナリア、とテオールは静かに呼んだ。テオールの我儘でしかないと分かっているが、うやむやにせずに伝えたい。

 咄嗟にレナリアの下唇を親指でなぞると、ぴく、と反応があった。その目に光が差し込んだ瞬間を逃さず、テオールは息を吸った。


「――俺と、ちゃんと友達になってほしい」


 一瞬、レナリアの呼吸が止まった。綿毛が膨らむような瞬きにより、瞳が陰る。しかしすぐさま見開かれ、その口ははっきりと開いた。


「何……言って……」

「レナリアと友達になりたい。困らせてるのは分かる。けど、このままお別れにはしたくない」

「……死んじゃう、よ」

「……死んだとしても、それはレナリアのせいじゃない」


 死なないよ、とは言えなかった。死ぬつもりは一切ないが、無責任に未来を予言することはできない。それでもしもテオールが死んだら、それこそレナリアを苦しめる。


 レナリアを絶望の最果てに叩きつけることは望んでいない。レナリアを幸せにしたいとも願っていない。ただ、単純に、レナリアの側にいたい。それはもしかしたらルイルに抱いている感情よりも健全で、ルイルに求めている救いよりも傲慢なものかもしれない。フィオールがルイルに向ける切望に似た、けれどそれよりもずっと浅いものかもしれない。十年以上燻っている寂しさや虚しさを、テオールはレナリアによって解消しようとしている。レナリアと共に生きることで、現在の息のしづらさを改善しようとしている。


 テオールの人生は、水面のすぐ下で溺れもがいているのと同じだった。光が確かに差し込んでいるのに、触れることはできない人生だ。フィオールとルイルがすがってくれても、テオールはいつもどこかで泣きたくなる。二人の間に己は邪魔なのではないか、本当は己の席は用意されていないのではないか、そう考えて自己嫌悪に陥る日々。

 フィオールとルイルのたった二人にしか支えてもらえないアイデンティティーは、テオールの心を常に摩耗していた。だから、他の拠り所が欲しくなる。そして、それはレナリアであってほしい。否、ようやっと目の前に現れたのがレナリアだ。他の誰かを待つことなどできない、そういう意味ではタイミングの都合と言えるだろうが、とにかく、今すぐに手を伸ばせるのはレナリアだ。仮留めの状態から、どこにも逃げられないほど強く縫いつけた関係性に持っていきたい。


「お願い。いなくならないで。俺にチャンスをちょうだい」

「……」

「……返事は、今日無事に帰ったらでいいから」


 あからさまに当惑した少女を見て、決断を急かすことはできなかった。顔を一撫でし、手を離す。テオールがぎこちなく微笑むと、レナリアは俯いた。その仕草に心が軋むものの、即答で拒絶されるよりずっといい。テオールは、うっすらと期待している。レナリアが時折見せる、ルイルと同じとろけた瞳の色は、テオールに依存し始めている証拠だろう。

 思うに、レナリアは元来孤独に耐えられない性を持っている。だからこそ被害が隣人に留まらず、教師の死体の上に友人のそれも積まれた。自身が人殺しだと思い込みつつも、差し伸べられた手を拒むことはできない性分をしている。きっと、良識ある人は自己中心的な弱さだと非難するだろう。レナリアの身の上に同情しておいて、被害を拡大させるなと正義を説く。

 しかし、テオールはだからこそ手放したくないと考えてしまう。尤も、一度としてレナリアがテオールの手にあったことはないが。逆に言えば、レナリアがテオールのものになる日が待ち遠しくて仕方無い。そのまま落ちて、落ちて、正真正銘テオール以外に何も持たない状態に陥ってほしい。これまで三人も無くしたのだ、今度はテオールを失わないことに躍起になるだろう。そうなれば、テオールとレナリアの関係はフィオールとルイルのそれになる。テオールの価値は、テオールだけのレナリアによって確定される。


 カフェラテを口に含むと、冷めていた。食べていいよ、とレナリアに勧めると、ワッフルがぶちぶちと千切られていく。レナリアを前に、命の糧はおもちゃへと変わる。香ばしい匂いは、ココアに浸されることで消えていく。テオールは目を逸らさなかった。レナリアの情緒を受け入れ、無意識のうちで肯定している。レナリアの朝食が終わるのを、テオールはのんびりと待った。他にも心の内を明かしておけば良かったのに、まさかこれが最後になるとは思いもせず、無言でレナリアを眺めていた。

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