第48話 ランロッド家
一足先に身支度を済ませたテオールは、フィオールとルイルに一声掛けると女子寮に行った。気づけば、ルイルに化粧を施す時間は取られなくなっている。思い返せば、レナリアのことで喧嘩して以来だろうか。
当時のテオールは必死だった。らしくなく、フィオールとルイルを優先できないほどにレナリアが欲しかった。きっと、苦しかったのだろう。フィオールとルイルがいれば十分幸せだとうそぶいておきながら、テオールは他の誰かも欲しかった。つくづく身勝手だと思う。
しかし、レナリアを手に入れたことを後悔はしていない。むしろ、やっと得た役柄に心地好さを覚えている。死者を冒涜するつもりは決してないが、レナリアと出会えたことは一生に一度の幸運だ。
寮監に許可をもらい、レナリアの部屋の前まで向かった。女子寮は男子禁制であるものの、レナリアの助けとして入るのは一応許された。
コン、コン、と叩き、レナリア、と呼べば、カチャン、と鍵が回る音。
――いつかに見たきりだった、黒と赤の服。
「……おはよう……」
「……リボンが面倒臭かったから」
「あ、うん。そっか」
レナリアがドアを大きく開けようとしたので、テオールは手伝った。室内はやや雑然としており、着用を試みて断念したのだろう服がベッドの上に放置されている。テオールは許しをもらうとそれらを簡単に片づけ、荷物がまとめられたボストンバッグを持ってレナリアと部屋を出た。エレベーターを使い、遅々とした歩みで正門を目指す。
一週間を経て、レナリアは杖の扱いが多少上手くなったようだ。しかし、震える足で踏み出す一歩はとても小さい。二人分の荷物を提げたテオールは、レナリアを急かさないよう半歩後ろを歩くようにした。
正門にたどり着くと、ちょうどフィオールとルイルも到着したところだった。二人共旅行鞄を持ち、どこか落ち着かない様子で手を繋いで立っている。
ジャスティーが迎えに来るまで、残り十分。薄膜の緊張感にまとわりつかれているのか、誰も彼もが口を開こうとしない。まだ冷たい風にさらされながら、四人はじっとして機会を待つ。
静寂の中、テオールは密かに考える。果たして、ランロッド家に帰ったところで自分たちは助かるのだろうか。突発的な帰省は、現状を変える契機になりえるのだろうか。
ジャスティーとしては、大事な子供たちを手元に置いておきたいのだろう。そこにルイルとレナリアが含まれているかは定かでないが、二人を上乗せすることを許した。
だが、それは最善策なのだろうか。学校という閉鎖的な場所を出てしまうのは、むしろ悪手ではないのか。確かに、これまでの事件はカーゴという教師が犯人だった。きっと、それは学校さえ安全な場所ではないという証明になってしまっただろう。しかしだからと言って、外の世界のほうが安心できるとは限らないのではないのか。
アスファルトを削りながら、車のタイヤは摩擦力を増した。窓が開き、ジャスティーが顔を見せる。
「お待たせ。前には誰が乗る?」
「俺が乗るよ」
後部座席は三人掛けだ、誰か一人は別で座らなくてはいけない。テオールは名乗り出ると、繋いでいたレナリアの手を一撫でしてから放す。レナリアのバッグをどうしようかと思案したところで、後部座席の中央に来たルイルが何も言わずに受け取ってくれた。
「ありがとう」
「テオが二個持ったら重いでしょ?」
言外に、レナリアのためではないと訴える声。それでも、ルイルがレナリアへの態度を多少和らげたのは事実だ。レナリアもそれを感じているのだろう、礼は言わないが嫌味も言わない。
ふと、テオールはフィオールの様子が気になった。車に乗らず、立ったまま硬直している。
「フィオ、大丈夫?」
「……あ、うん……大丈夫」
文字列とは裏腹に、その声は震えていた。恐々として体を滑り込ませ、隣のルイルをじっと見詰める。
「何?」
「……何でもない」
「テオール、いいか?」
「うん」
ジャスティーに急かされ、テオールも車に乗った。ジリジリと音を立てながらタイヤが回り始め、どんどんと学校が遠ざかっていく。
本当に、これでいいのだろうか。これが最善だろうか。運ばれていった先、テオールたちは安全な時間を手に入れることができるだろうか。一度生まれた不安は、時が進むほど膨張していく。数週間前、駄目だと首を横に振ったフィオールの姿を思い出す。フィオールが願った通り、何も知らない振りをするのが正解だったかもしれない。
テオールは、左隣でハンドルを切るジャスティーを盗み見た。息子と同じ虹彩を持つ目は、ただじっと前を見据えている。今日は、不自然なほど目を合わせていない。衝撃的な事実を知り、父親も平静を保つのに精一杯なのだろうか。
一時間ほど掛け、テオールたちはランロッド家に帰ってきた。ガレージに入り、エンジン音が止まる。
見慣れた風景だ。ドアを開ければ、ゴムと油の臭いと、宙を舞う土埃の感触。壁にはラックがあり、工具やテニスラケットなどが放置されている。赤ん坊のときから、テオールとフィオールはこの家で過ごしてきた。ルイルとて、ここで暮らした日々はそう短いものではない。
テオールは肩の力を抜き、レナリアが車から降りるために手を差し出した。立ち上がらせ、ふらついたところを支える。
ドアを閉めようとしたとき、フィオールとルイルはまだ車の中にいた。
「フィオ、降りないの?」
「……」
「フィオ?」
「――フィオール」
びくっ、とフィオールの体は跳ねた。外から覆いかぶさるようにして覗いてきたジャスティーに目を向け、さっと俯く。
「どうした?」
「な、んでもない。……酔ったのかもしれない」
「そうか。先に家に入ってるからな」
うん、とフィオールは小さな声で頷いた。当然、ルイルもフィオールの隣から動こうとしない。自分とレナリアの荷物を持ち、テオールは後ろ髪を引かれる思いで歩き始めた。フィオールのことは心配だが、足が不自由なレナリアを立ったままでいさせたくない。
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