第47話 二人ぼっち
とりあえずの結論は出たので、フィオールたちはジャスティーの運転で学校へ戻ることになった。当然ながら、レナリアの歩みは遅い。不慣れな杖の音をローテンポで響かせ、懸命に廊下を進む。
エレベーターの到着を待っている間、その重心はテオールに預けられていた。その背中を認め、フィオールは目を逸らさずにはいられない。
代償と言うには、あまりに大きいのではないだろうか。テオールを誘ったのはレナリアの逆恨みでも、テオールが血を流したのは別人の悪意のせいだ。フィオールに至っては、レナリアの意思は関係なかった。奪われ続け、他人の幸せをほんの少し羨んだだけの子供に対する仕打ちとするには、あまりに無情だ。もし元凶が見つかったなら、この少女はこれから恵まれるのだろうか。
寮の部屋に戻ったところで、得られる安寧などもはや無い。いつかのようにベッドに並んで座り、フィオールはルイルに言った。
「――……ごめん……」
一体、誰のための謝罪だろうか。罪をあがなうためだろうか。それとも、己の罪悪感を軽くするためだろうか。分からない。今のフィオールには、何が正しくて何が正義なのか分からない。
「もっと早くに思い出してれば、ルイの家族も、ジオスの大事な人たちも死ななかったかもしれない……」
ぎゅう、とルイルの手を握り締めてしまう。フィオールの手は、前にも増して骨が浮き出ていた。テオールとルイルがどうにか食べさせるようにしているが、外野の努力を裏切るかのように己は淡々とやつれていっている。噛めないのだ、口に入れても。顎を上下に動かす度、口の端から血がこぼれている錯覚に陥る。そして、カーゴにさらわれた日のレナリアを思い出す。ルイルだけではない、レナリアの周囲の人も、フィオールが記憶を失わなければ死なずに済んだのではないのか。己とテオールが命の危機に瀕しなければ、素直に証言できたのだろうか。
これまでは曖昧だった死のイメージが、テオールの笑顔を塗り潰していく。毎夜、毎夜、血の臭いと手の感触がフィオールの知覚を侵そうと忍び寄る。
「――フィオは悪くないよ」
こつん、と触れた、ルイルの頭。ぐりぐりと押しつけるようにして、ルイルの温もりがフィオールに流れてくる。幾度となく繰り返されてきた愛しい行為に、フィオールの目元は呆気なく緩んでしまう。
「もう終わったことなんだよ。もしもの話なんか、したって意味無いよ。俺の家族は死んで、ジオスの大事な人たちも死んで……もう、戻れないよ」
名前、とフィオールはふと気づいた。いつからか、ルイルはレナリアの名前を呼ぶようになった。少し前のルイルなら、絶対にしなかったこと。
いつの間にか、ルイルは変わった。テオールとの不協和音をきっかけとして、ルイルの精神はかつての幼さを少しだけ無くした。
それが正しいことなのか、フィオールには分からない。ミランは喜ぶだろう。しかし、フィオールはそれが最善だとどうしても思えない。ルイルがテオールを必要としなくなったことは、すなわちルイルがテオールから離れたということではないのか。ルイルの成長は、他者を不要とするものではないのか。なら、ルイルがもっと大人になったら、今度はフィオールが捨てられるのではないのか。フィオールはテオールにとってのレナリアのような存在を見つけられないのに、そのときが来たらルイルに容易く捨てられるのだろうか。
ところが、ルイルはこうも言う。
「今はフィオが一緒にいてくれるんでしょ?フィオはいなくならないよね?」
「……」
「本当はテオも無くしたくなかった。でも、テオにはジオスが必要なんだって分かるから……。上手に言えないけど、多分あの二人は一緒にいないと駄目で、俺はジオスにはなれないんだよね」
「……」
「もう、俺にはフィオしかいないんだよ……。フィオは何にも悪くないから、ずっと一緒にいて……」
ぐりぐり、ルイルの頭はフィオールのそれに押しつけられた。言葉の通り、フィオールに拒絶されることを恐れるかのような仕草。隣り合った手を繋ぎ、震える声でルイルは言う。
フィオールの頭は、持ち上がった。ルイルの両手に支えられ、半強制的に目を合わせられる。その青い星は、フィオールの人生を切望しているのだろうか。こくん、とフィオールは頷いた。直後、星はとろりと溶ける。
「フィオ、泣かないで」
ぼろぼろ、ぼろぼろ、フィオールの頬を涙がすべり落ちていく。ルイルの願望は、フィオールの救いだ。独りぼっちで生きていくことしかできないこの身に、無条件で寄り添ってくれる。忘却という罪を犯したこの身に、情けと許しを与えてくれる。それがどれほどの幸せで、どれほどの奇跡かは、きっと神様にも分からないだろう。ルイルから平穏を奪った神様に、二人の幸福を理解できるわけはない。
フィオールは、ルイルの両手に己のそれを重ねた。無くさないよう、離さないよう、震えるそれで必死に掴んだ。声を上げ、背中を丸め、我を忘れて涙を流す。失いたくない、と強く願う。もう終わらせたい、と心の底から望む。
ずっと、悪夢の中にいた。まやかしの太陽が照らす箱庭で、ずっと狂乱と共に生きてきた。ここで目覚めたい。ここで終演にしたい。今度こそ、他の誰のものでもない、自分たちだけの物語を紡いで生きていきたい。
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