第5話 理想と現実Ⅰ

 進級式が終わった講堂で、ルイルは一目散にテオールのもとへと向かった。その傍らにフィオールはいない。人酔いした昨日の今日ということで、大事を取って部屋で留守番させているからだ。本人はテオールの勇姿を目に焼きつけたい欲求が半分、大勢の中で座り続けなくてはならない嫌悪感が半分で、結局後者を取ったようだった。ローブを着たテオールの写真を撮りながら、帰ってきたらまた撮らせてくれ、と頼む悲痛な様子が印象深い。

 ルイルとしては、そのときに一枚ではなく何十枚も撮れば良かったと思う。あるいは、テオールを部屋に閉じ込めて進級式を欠席してもらう方法もあった。そもそも、どうして新入生全員で式を執り行うのだろうか。他の人たちが遠慮し、ルイルとフィオールとテオールの三人のみで行えば全てが解決する、ルイルはそう本気で考えた。実際に働きかけるどころか口に出しさえしなかったのは、フィオールがテオールの晴れ舞台だと楽しみにしていたのを知っているからでしかない。ルイルには、ランロッド兄弟が絡むと周囲を顧みない部分がある。


 新入生代表としてスピーチをしたせいか、テオールの周囲には数人規模の集団が形成されていた。ルイルは一瞬冷めた目をしたものの、背後からテオールに抱き着いたときには無邪気な笑顔に戻った。


「テオー!」

「わっ!……ルイ!戻ってなかったの?」


 ――テオールの何気無い一言は、ルイルの心を凍らせた。しかし、フィオ、大丈夫かな、という言葉が続いたことで、フィオールを心配してのことだとルイルは理解できた。


 テオールは優しい。もっとルイルを欲しがっても構わないのに、フィオールがルイルを拠り所に生きていると分かっているから、自分は一歩退いたところで穏やかに笑っている。ルイルは、テオールのそういうところがもちろん好きだ。だが、今は不本意とは言え二人きりなのだから、フィオールはさておいてルイルのことを考えてほしい。決してフィオールを邪魔者扱いしているわけではなく、フィオールへの心配や恋しさが無くなったわけでもないが、ルイルはとにかくテオールに自分を欲してほしい。

 テオールと出会って六年、ルイルの心にはいつも不安がある。フィオールは他人が怖いから、ルイルとテオールという唯一の理解者から断じて離れようとしないだろう。一方、テオールにはそういう決定的な欠落が無い。毎朝ルイルのもとを訪れわざわざメイクを施す辺り、ルイルの意識に介入したいという願望は少なからずあるだろうが、絶対にルイルでなくてはいけないという理由は無いだろう。もしテオールがルイルとフィオール以外に興味を向けたら、自分はあっさりと捨てられるのではないか。テオールが側にいないとき、ルイルは危ぶんでばかりだ。


 外に出ると、かすむほど青い空が天辺に広がっていた。きっとフィオールも見ているだろう、初秋の景色。その中で、ルイルは子供のように駆けた。テオールと二人、魔法使いが空を飛ぶように風を切り、寮にたどり着くや否やフィオールの部屋まで駆け上がった。ノックもせず、バタンッ、とドアを思いきり開く。


「フィオー!テオのスピーチ、すっごく格好良かったよ!」


 窓際のデスクで勉強していたらしいフィオールは、開いた教科書をそのままにルイルたちへ歩み寄った。


「おかえり。テオ、大丈夫だったか?緊張しただろ?」

「そうだね。けど、一応ちゃんと読めたよ。二人が練習に付き合ってくれたおかげ」


 こういうところで、ばっちりできたと言わないのがテオールだ。首席だからと胸を張ることはせず、勝ち取った結果に安堵を覚えるので精一杯。その精神に致命的な障害は無いが、謙虚を通り越した臆病な性を持っている。新入生代表となることが決まったときも、軽く驚いてはにかんだだけだった。ルイルとフィオールが祝えば、運が良かったんだよ、と否定する始末。進級はミドルスクールでの成績と面接を鑑みて認められる、幸運のみで首席に輝くことは不可能だと言うのに、テオールは自信を生み出すことができない。

 尤も、ルイルはいつまでもそのままのテオールでいてほしいと思っているが。テオールは自己肯定感が低いだけで認められたくないわけではない、ルイルが肯定すればするほど、テオールはルイルの存在に無条件で安心を感じるようになる。いつか、テオールもルイル無しには生きられない心になってしまえばいい。フィオールのように、いついかなるときもルイルを求めるようになればいい。そうなれば、テオールはルイルのもとから絶対にいなくならない。


 テオールが自室に戻ろうとしたので、ルイルはその腕を掴んで引き止めた。


「テオ、クラスルームまで一緒に行こう。送ってあげるね」

「ん、ありがとう。フィオは行けそう?」

「うん」


 ルイルたちが通うこの学校は、割とハードなカリキュラムだ。進級式が終われば、その日のうちに授業が始まる。一クラス十二人という少人数体制で、授業態度やテスト結果が悪ければ単位はもらえない。伝統ある有名校とあって一部の落ちこぼれ以外は真面目に勉強するから、三人を含む特待生はその座を失わないために必死だ。

 ボーディングスクールは学費が馬鹿にならない、奨学金はもらえればもらえるだけ助かるに決まっている。そして、ルイルたちはそれを獲得できなければパブリックスクールに編入することになっていた。ランロッド家は貧乏ではないが、高い学費を三人分確保できるほど裕福でもない。ランロッド夫妻のことが鬱陶しいルイルは、この条件を飲むことでランロッド兄弟との寮暮らしを実現させている。


 三人で、校舎までの道のりを歩く。キャンパスは広い。大会を開けるほど機能的な競技場やプールに、絶版の書籍も最新版の辞書も揃った図書館。敷地の裏手には山があり、春はそこでフィールドワークという名のキャンプを行う。敷地外には一週間前までに許可をもらわなくては出られないとは言え、必需品はカフェテリアや購買で十分揃う。一部の留学生はこの制限された空間に馴染めず帰国すると聞くが、フラットな気持ちで受け入れれば自由が全く無いわけでもない。授業は三時が最終なので自由時間は割と長いし、進級の敷居が高いおかげで倫理観に欠けた生徒は滅多にいないから、ルイルのように自分本位な幸福を追求したい者には打ってつけの環境。


 ――テオールのクラスルームに着いたとき、ルイルは視線を感じた。


「……?」


 蛍光パープルのウルフカットを備えた、女子生徒。頬杖を突き、クラスルームからにらむようにこちらを見詰めている。服装は真っ白なロリータなのに、まとう雰囲気は尖ったものだ。明らかに周囲から浮いている。


 ルイルは少女の心情と共鳴しそうになり、慌てて顔を背けた。一度も会ったことがない人物のはずなのに、同族の自覚が芽吹く。心臓はどくどくと速い鼓動を刻み、冷や汗が背中を伝う。警戒しろ、脳裏がそう訴えていた。ところがフィオールとテオールは気づかなかったらしい、テオールはするりと入室し、フィオールはルイルを伴って己のクラスルームへと歩んだ。

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